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遺産ってなんだろう? #2 湖水地方編


国の遺産相続、ややこしや

 「遺産相続」と聞いただけで、ややこしや、ややこしや。トラブルの火種、業と業のぶつかり合い、ドロドロした人間模様。サスペンスドラマやワイドショーにもってこいの題材であります。他人事として見ているぶんには楽しいですが、当事者となると、えらいこっちゃ!これは国の遺産レベルでも同じ。次世代に残そうとする者同士、または受け継ぐ者同士でごちゃごちゃと揉めることは、よくあることのようです。この場を守っていきたい熱い気持ちは同じなのに、その方法論が全く違うため、地元民を巻き込んで政治論争へと発展。さらにややこしいやなのです。

湖水地方1 ドライストーンウォール(Dry Stone Wall)と呼ばれる石積みの壁に囲まれた牧草地。湖水地方の風景には欠かせないもの

 今回取り上げる国の遺産の舞台は、英国のカントリーサイドの代名詞的存在であり、日本人観光客にも大人気のThe Lake District ー 湖水地方です。氷河によって形成された美しい山と湖、独特の石造りの家々、放牧された牛や羊たち。それらが醸し出す牧歌的でノスタルジックな魅力あるこのリゾート地が、なぜか論争の場となっています。それは、2017年ユネスコ世界遺産への登録という、ある人々には大きな希望、ある人々には嬉しくない遺産相続の形となったからです。そんな熱い現場へ、登録直後早速行ってきました。


なぜ、湖水地方は世界文化遺産?

イングランド北西部 湖水地方 ウィンダミア

 湖水地方が世界遺産に登録されたというニュースを聞いた時、「なんで今さら世界遺産なんだろう」というのが、正直な私の感想でした。18世紀産業革命初期から今に至るまで、この風光明媚な地は、人々を魅了続けてきました。1951年に国立公園に指定されてからは、さらにその勢いを増し、2017年度の観光客数は、1917万人*1にまで上り、2018年は、2000万までいくとされています。2016年に訪日外国人観光客が2000万人突破したことがニュースになっていましたが、それとほぼ同じぐらいの数が、限られた地域を毎年訪れていることになります。そのためハイシーズンに宿を予約するのは困難で、しかも高い。車の渋滞や駐車場、環境への負担やゴミの問題なども深刻で、地元民の生活への影響が懸念されています。

湖水地方2 英ロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース。偉大な詩人、環境保護思想の原点を生み出した人物として、欧米では評価されている。ワーズワース博物館にて

 多くの人たちが訪れるということは、想像以上のインパクトを、正負両方面から受けることになります。18世紀から地元では、この正負のバランスをどう保ち、この場を守っていくべきか、常に議論されてきました。湖水地方出身で、英国を代表するロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースは、1835年に出版された”A Guide through the District of the Lakes in the North of England “(湖水地方案内)*2の中で、湖水地方のことを、“a sort of national property, in which every man has a right and interest who has an eye to perceive and a heart to enjoy” ー 見る目と楽しむ心を備えたすべての人が権利と関心を持つ、一種の国民的財産である(小田友弥訳、2010)。ワーズワースは、時代の流れや外からの影響には逆らえずとも、国民的財産であるこの地が持つ美を損なわないよう、みなが努力する必要があると説いています。この一節は、今でも英国の環境保護思想の原点とされており、そこから自然・文化景観保全の概念、ナショナル・トラスト運動、国立公園構想が派生し、世界へと広がっていきました。この国民的財産の考えが巡り巡って、1972年の世界遺産条約に繋がったと言えなくもないわけです。そんな本家本元が、なぜユネスコ世界遺産に登録されることに、そんなに一生懸命になるのか。過去二度失敗し、三度目の正直の今回、ようやく文化遺産として獲得したこのステイタスに何のメリットがあるのか、不明でした。

湖水地方3 その名の通り、湖が多く点在しているため、ハイキングやサイクリングだけでなく、ウォータースポーツも人気

湖水地方4 グラスミアにあるダブ・コテージ。ワーズワースの代表作『水仙』は、ここで書かれた

 そんな疑問を持ちながら、9月末の秋、湖水地方観光ホットスポットのひとつであるウィンダミアの駅に降り立ちました。湖水地方は、「景観設計の発展に重要な影響を与えた、価値感の交流 (登録基準 ii)」、「あるひとつの文化を特徴づけるような土地利用形態 (登録基準 v)」、「顕著な普遍的価値を有する芸術作品、文学的作品 (登録基準 vi)」の三つの基準を満たし、世界文化遺産として登録されました。ざっくり言うと、1)18世紀から続く環境保護思想、2)1000年続く自然と調和する畜産業、3)湖水地方の自然賛美から生まれたロマン主義、この三点の伝統文化が世界遺産として今後保護されるべきと認められたということです。この三点がどのようなものなのか、少しでもヒントが得られればと思い、まずは、ウィリアム・ワーズワースが住んでいたダヴ・コテージ、そして絵本『ピーターラビット』の生みの親であり、湖水地方環境保護活動家でもあったビアトリクス・ポターが晩年住んでいた、ヒルトップに行ってきました。世界中からの観光客で溢れる名所を、なぜわざわざ訪ねたか。湖水地方を深く愛した二人が、それぞれの創作活動する中で、湖水地方をどう捉え、どのようにこの国民的財産(遺産)を残していきたいと考えていたのか、少しでも感じ取れるかもしれないと考えたからです。


二人のレジェンドを訪ねて、答えを探してみた

湖水地方5 大雨の中のヒル・トップ。それでも、多くの人たちが訪れていた

 天気はあいにくの雨。ハイシーズン最後の週末にもかかわらず、ダブ・コテージ、ヒル・トップ共に人が集まっていて、見学待ちをすることに。ハイシーズン真っ最中だったら、一体どれだけ待つことになるのだろう。考えただけで、ぞっとします。ダブ・コテージは、ワーズワースの作品はもちろん、彼と交流があったロマン派の作家たちの作品保管と研究をしているチャリティー団体、ワーズワース・トラストが、ヒル・トップは、湖水地方で誕生し、ポターも支援者であった英国最大のチャリティー団体、ナショナル・トラストが管理しています。家内のガイドはすべてボランティアが行なっていましたが、皆プロ意識が強く、ジョークを交えながらも二人それぞれの人物の興味深い話を聞かせてくれました。学校の教科書や絵本でしか触れていない、遠くにいるレジェントたちが、私たちと同じように仲間と食べたり、飲んだり、散歩したり、自然を愛でたりしながら、インスピレーションの宝庫であるこの地で創作活動していたことを聞くと、存在がとてもリアルに思えてくるから不思議です。難しいことは理解できませんが、それでも二人の原稿や原画を見ていると、この土地への愛と守りたいという強い気持ちからくる使命感が溢れ出ていました。

湖水地方6 決して標高は高くないが、崇高感がある湖水地方の山々

 そんな二人の面影を感じ取りながら、家の周辺を3時間ほどぶらぶら歩いていると、なんだか彼らと繋がっているような気分になってきます。雨の中でも湖水地方は、幻想的な空気を織りなし、紅葉した落葉樹が、豊かな色彩を奏でていました。服も靴もびっしょり濡れて不快に感じる体は、この土地が持つ魔力に麻痺させられているのか、ずっと歩いていたい気持ちが抑えられず、足を止めることを忘れていました。確かに”Picturesque Scenery” 「絵になる風景」が、そこにはありました。何気なく感じているこのPicturesque (ピクチャレスク=絵のような)という審美上の理念は、ここで開花したロマン主義が残してくれた遺産です。


放羊は、畜産業?それとも、観光産業?

 空、山、緑、水がある湖水地方の風景は、柔らかさと荒々しさが混在していて、どことなく日本の自然美と通ずるものがあります。今まで訪ねた英国の他の地域にはない親しみを感じ、とても新鮮です。いつまでもボーと見ていられる飽きのこない世界。ただ、日本ではお目見えしないものが、ここにはあります。ドライストーンウォール(英国式伝統石積み)で囲まれた牧草地。そこに、牛や羊が放牧されている光景です。英国の典型的な田舎の風景で、日本人が里山に対する郷愁と似たものが、ここにはあります。世界遺産でも、この地方で代々受け継がれてきた、山を生かした畜産業が評価のひとつとされました。ですが、これが問題だと指摘する方々がいます。畜産業なのに、畜産業の体をなしていない。産業としてすでに廃れていて、観光イメージ保持のためだけに、国やEUから援助を受けながら放牧を続けていることが、なぜ世界遺産に値するのか疑問の声が上がったのです。

湖水地方7 放羊は、湖水地方になくてはならない存在と考える人が多いようだが、維持するには苦労が尽きない(注:写真の羊は、スワリデールという別の種類。ハードウィックは、撮り逃した。残念!!)

 その象徴となるのが、湖水地方原種の羊、ハードウィック・シープ(Herdwick Sheep)です。この地方にしか生息しない希少種で、絶滅寸前であったところを、印税などで財を成したビアトリクス・ポターが、ナショナル・トラスト創立者のひとり、ローンスリー司祭と共に、この羊の保護に力を入れていきました。ハードウィック・シープは、湖水地方の厳しい自然の中でも生き延びることができる性質を持っていますが、逆に成熟するのに時間がかかり、羊毛も固く、激しい価格競争内では採算がとれず、農場から姿を消していきました。それでもこの希少種は、湖水地方の環境にはなくてはならない存在であると考え、ポターとローンスリー司祭の意思を継ぎ、ナショナル・トラストが後ろ盾となり、地元農家に協力する形で、保護活動を進めてきました。その後も、ナショナル・トラストやEUからの助成金を受けながら、グローバル経済、口蹄疫問題などをなんとか乗り越え、飼育されているのが現状です。ここの土地は耕作には向かず、そのために牧畜が発展してきましたが、このハードウィックをはじめ羊を飼う目的が、本来の製品価値より、観光のための景観保護という付加価値の要素がどんどん上回っていったのです。そして最後のひと押しが、世界文化遺産登録だったようです。


迷える子羊、湖水地方

 私なりに見たり聞いたりしていくうちに、もしかして、今の湖水地方は、大きな壁にぶち当たっているのかも・・・? 彼らには、自然と人間の関係を時代の流れに押されながらも、より良いバランスを模索してきた豊富な経験とプライドがあります。そんな彼らが、新たな時代の価値観の前で、どちらに舵を切るべきか、もがき続けている。客を増やしたい。経済を活性化させたい。でも、観光資源は破壊したくない。新たな産業を発掘したい。でも、従来の農業も守りたい。便利な暮らしがほしい。でも、自然美を失いたくない。いろいろ欲張りすぎて、前に進まない。そんなどっちつかずの状態が続いている。素人の勘違いかもしれませんが、私にはそう映ります。

湖水地方8 ワーズワースは、湖水地方の美を損なうカラマツの大規模植林を嫌っていた。今は、それに代わり北米原産シトカトウヒの植林が行われている。彼から厳しい声が聞こえてきそう

 上にあげた羊の例ひとつとっても、そうです。エコロジーへの関心が高まっている今日、放牧を湖水地方の景観のひとつとして、助成金にどっぷり浸かりながら継続していくべきなのか。生産性のない家畜の数を減らし、森林を育てていくことが自然を守ることなのか、世界遺産登録後の現時点でも、議論は続いてます。保守系の新聞が、「英国は農業国だった歴史が長い。湖水地方の畜産業を保護するのに、何の疑問もない」と言えば、リベラル系の新聞が、「世界遺産登録は、放羊を推奨し、湖水地方をビアトリクス・ポターのテーマパークにしようとしている」と意見がぶつかり合い、イングランドの南北経済格差、EU離脱問題まで話が広がっていきます。

 また、国民のための自然とレクリエーションの場としての国立公園の位置づけと、自然の中から発展した独自の文化を保護する世界文化遺産の間では、微妙にヴィジョンが異なります。観光やレクリエーションの要素を盛り込みながら、同時に環境も文化も守る。いい塩梅をどうやって保つのか具体的に見えてこないですし、二つの方向性内で解釈の食い違いもあるようです。他にも、観光重視の美しいカントリーサイドに徹っしていくのか。地元民が受ける観光公害や利便性が後回しになるジレンマをどう対処していくのか。緊縮財政やEU離脱による助成金削減をどう補うのか。全国でひとり当たりの年収が低い現状をどう打破していくのか。舞台裏では多くの疑問と意見が飛び交い続けています。

湖水地方9 ロマン派の画家により、湖水地方の「絵になる風景」が多く描かれた

 今回の世界遺産登録は、そんな多くの疑問と意見を消化しきれないまま、一部の力ある人たちで見切り発車させたのではないのかと、勘ぐってしまいます。いずれにせよ、世界遺産になったことは、ひとつのきっかけであり、この地域社会が生き残っていけるか、これからの方向付けが勝負になるように感じます。自然の中で育まれてきた文化が世界的に評価された。しかし、自然と文化が時には対峙してしまうこともあり、うまく調和しながらこの地の魅力を保つことは、難題です。きっと世界遺産に登録された地域どこもが抱える問題なのかもしれません。現地が抱える理想と現実の間で、地域住民や常連客の声を拾い、話し合いを十分に重ねることで、迷いや戸惑いが徐々に消えていき、10年、20年後には壁を乗り越え、進むべき道が示さること期待しながら、湖水地方をあとにしました。その時はきっと、世界にまた新たな波を届けてくれることでしょう。

 ウィリアム・ワーズワースやビアトリクス・ポターは、今回の世界遺産登録をどう思うのでしょう。彼らの思う理想の遺産相続とは・・・。今回の訪問では、私の勉強不足もあり、結局答えを見出せませんでした。今後の湖水地方の動きに注目しながら、宿題とさせていただきます。


参照:
*1 Tourism facts and figures, Lake District National Park
*2 William Wordsworth, A Guide Through the District of the Lakes in the North of England: With a Description of the Scenery, &C. For the Use of Tourists and Residents(1835)
湖水地方案内、ウィリアム・ワーズワス著 小田友弥訳(法政大学出版局 2010)


参考資料:
湖水地方国立公園 www.lakedistrict.gov.uk/home
ウィリアム・ワーズワース・トラスト wordsworth.org.uk
ナショナル・トラスト湖水地方 www.nationaltrust.org.uk/days-out/regionnorthwest/lake-district


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