ロンドンウォーク5

ガイドウォーク in ロンドン #2


ガイドウォーク1: シェイクスピアのロンドン

シェイクスピア ウィリアム・シェイクスピアの人生は、謎だらけ。未だに別人説が浮上する William Shakespeare associated with John Taylor oil on canvas, feigned oval, circa 1600-1610 NPG 1 © National Portrait Gallery, London

 前回説明してきたガイドウォーク(*前回のページは、こちら >>)、実際に私が参加したのは、どんな感じだったのか。まずご紹介するのは、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」。2016年は、彼の没後400年記念の年ということで、多くのイベントが年間通して全国各地で開催されました。その一環として、ロンドン博物館での特別展示、そしてこのガイドウォークも行われました。彼は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンという村で生まれ育ちましたが、のちにロンドンに上京し、俳優兼劇作家として活躍し、世界的に有名になる戯曲を発表していきました。しかし、彼の作品はよく知られているのに、彼自身についてはあまり記録がなく、謎に包まれています。今回のガイドウォークは、シェイクスピア自身に関する貴重な資料を元に、彼の足跡を追いながら、彼が生きたテューダー朝時代のロンドンと当時の人気エンターテインメントであったイギリス・ルネッサンス演劇を追体験するものでした。

ロンドンウォーク6 復元されたグローブ座。独特の円形野外劇場(amphitheatre)では、春から秋にかけてシェイクスピア劇が、上演されている。1666年ロンドン大火後、唯一許可が下りた茅葺き屋根の建物

ロンドンウォーク7 旧グローブ座跡地にて。ロンドン博物館の学芸員が、当時の様子を説明してくれる

 スタートは、テムズ川の南岸サザックにある、グローブ座から。この劇場は、近年多くの俳優たちのサポートを受けて、復元されたもの。今では、シェイクスピア劇が頻繁に上演されていて、ロンドンの人気スポットです。エリザベス朝時代には、テムズ川を挟んで北岸は、政治やビジネスをする地域、南岸は娯楽の地域とされ、この一帯に多くの大衆劇場が建てられました。人々が、船以外で唯一川を渡れるのは、ロンドンブリッジだけだったそうで、いつも大混雑していたとか。南岸はある意味隔離された場であり、種々雑多な人々でひしめいていたそうです。そんなエネルギッシュな地から、シェイクスピア劇のあの独特の世界が生まれたではないでしょうか。

ロンドンウォーク8 Money Potと呼ばれている発掘品。劇場の入場料支払いに使われたそう

 テムズ川沿いにある現グローブ座から230メートル奥へと、ガイドウォークは進みました。そこには、元々のグローブ座があった跡地があります。また、同じ時代に建てられ、グローブ座のライバルだったローズ座があった場所も見ることができます。今では、オフィスビルが立ち並ぶ間に、ぽつんとある跡地。400年ほど前、ここら一帯は、劇場から溢れる人々の熱気でムンムンとしていたのか・・・。今にも観客の笑いや叫び声が聞こえてきそうです。いつの時代も、人々は娯楽に熱狂するんですね。演劇にあまり触れてきていない私でも、ちょっと興奮してきます。ガイドの学芸員さんが、大事そうにタッパを取り出し、蓋を開けて中身を見せてくれました。そこにあったのは、壊れた焼き物のようなもの。入場料を支払う際に使われた壺だそうです。縦線の隙間が入っていて、そこにコインを入れるシステム。発掘の際発見されたものらしく、参加者全員に回して見せてくれました。さすが、博物館のツアー、太っ腹!!コンディションはよくなくとも、貴重な資料に触れられる機会を与えられ、ますますその時代の人たちにがリアルに感じられます。

ロンドンウォーク9 セント・ポール大聖堂近くにあるカーター・レーン(Carter Land)の飲食店前。ビルの柱にプラークが埋め込まれている。友人がシェイクスピア宛に手紙を書いた宿があった場所とのこと。知らなければ、気づかず素通りしそう

 そのあとも、テムズ川の渡し舟の船頭たちが待機しているときに座っていた石の椅子、シェイクスピアの父親が紋章獲得の嘆願書を出した紋章院、シェイクスピアの友人が彼宛に手紙を書いた記録が残された宿、シェイクスピアが住んでいたい場所などを見て回りました。行く先々でプラーグ(銘板)や貴重な記録のコピーを見せてもらい、当時の様子について詳しく話を聞きました。彼に関する少ない記録の中から、社会的な地位、名誉回復、借金などで奔走していた話などが出てくると、偉大な功績で歴史に名を残したひとでも、やはりひとりの人間なんだと、親近感を感じ、ちょっと微笑ましくなります。

ロンドンウォーク10 実際のファースト・フォリオのコピーを見せながら、この出版が英文学史上どれほど大きな意味があったのか、説明してくれた

 最後に、ロンドン博物館近くにある聖メアリー・オルダーマンベリー公園にあるシェイクスピアの胸像前に来ました。彼の死後、ヘンリー・コンデルとジョン・ヘミングスふたりが、バラバラになっていた彼の戯曲36作品をかき集め、1623年に「ファースト・フォリオ」として、作品集を出版しました。その記念碑がここにあります。(実物の作品集は、大英図書館に保管。)この出版がなければ、私たちが今シェイクスピア劇に触れることがなかったかもしれません。2時間のツアーがあっという間に、終了しました。今回は、シェイクスピアの足跡のほんの一部を見て来ましたが、内容はボリューム満点。私のような、演劇に疎いものでも、彼の目を通して当時のロンドンを思い浮かべながら歩くのは、一種のタイムスリップのようなもので、その時代の人々と肌で触れ合う感覚があり、ちょっとワクワク、ゾクゾクしました。都市をテーマにした博物館で、展示物を見る延長線上に、ガイド付きで街を歩くことは、とても面白いし、理にかなっていると感じました。そして、ガイドウォーク後、また再度博物館を訪れて、展示物を見ると理解がさらに深まります。なかなか賢いアイデアだと感心しました。また、当人が歩いたであろう場を、自分の足で歩いて見て回るからこそ、じっくりと内容の濃い話が、リアリティを増して伝わってくるんだと感じました。それによって、ロンドンの違う面が見えてきて、魅力をさほど感じていなかったロンドンに、ちょっと興味を持ち始めている自分がいました。

ロンドンウォーク11 参加者は30名ほど。英国国内だけでなく、ヨーロッパの国からの参加者もいた。シェイクスピアの人気は絶大。ローズ座跡地にて

出発点: グローブ座  終着点: ロンドン博物館

つづく

*「ガイドウォーク2:ジェーン・オースティンのロンドン」は、こちら >>。

6th August 2016, Sat @ London

ガイドウォーク情報:
ロンドン博物館(Museum of London)ウェブサイト


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