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夏草や 兵どもが 夢の跡  言わずと知れた、松尾芭蕉の紀行作品「奥の細道」にでてくる平泉で詠んだ有名な句です。春が始まりかけた三月、英国のとある場所を訪ねた際、ふっとこの句が浮かび上がってきました。この句にまともに向き合ったのは、きっと中学の国語が最後かと・・・。全く違う季節、全く違うシチュエーションの中で、文学に疎い私の頭をよぎったのです。 特設テントが張られ、水仙祭り化としたウォーリー・プレイス  春先、クロッカスや水仙が咲き始める頃になると、ガーデニングのクライアントさんたちから、「シノ、ウォーリー・プレイスへは、行ったことある?あそこは、春の球根草花が綺麗で、特に水仙の群集は圧巻だよ。一度見に行ってみるといい。」と以前から言われていました。これはぜひ一度拝見せねばとタイミングを見計らっていると、ちょうどガイドウォークの開催情報が目に飛び込んできました。訪ねるだけではもったいない。説明していただけるなんて、一石二鳥、お買い得!主婦魂に火がついた私は、早速参加してみることにしました。  ウォーリー・プレイス(Warley Place)は、ロンドンを大きな円で囲んでいる首都高速環状線・M25が通っているエセックス州ブレントウッドにあり、ほぼロンドンと言ってもいいぐらいの栄えた場所に位置します。通勤ラッシュ時には車でごった返すこのエリアに、野生動物保護団体エセックス・ワイルドライフ・トラストの自然保護区として、地元の保存グループと共同で管理されています。 [osmap markers="TQ5838091022!red;ウォーリー・プレイス" zoom="3.50"][osmap_marker color=red] ウォーリー・プレイス  風はまだ若干冷たいが、柔らかい日差しが心地よい春の週末、これはお花見日和だと、早速片田舎にある自宅から都会へと車を飛ばし、ルンルン気分で入口に向かいました。エセックス・ワイルドライフ・トラストのテントが張られ、パーフレット、本、ハガキなどが売られ、ちょっとした水仙まつりといた様子。人々が次々に敷地内へと入っていきます。黄色の水仙たちがお出迎えのお辞儀をするかのように、頭を垂らして風に揺られいる姿が、すでに遠くからも見えます。まだどんより雲が残っている空の下、黄色の電灯が地を照らし、春のエネルギーが放出されているかのようです。春色に癒された訪問者たちも、どことなく笑顔が溢れ出しています。 廃墟となった豪邸跡。白黒写真の左に写っているガラス部屋だった部分 以前の姿を写真で確認。この建物以外にも、番小屋、小家屋、馬小屋、温室、冷床などがあったが、全て取り壊されている  ガイドウォークは、10名ぐらいの少人数でスタート。大きな敷地内をぐるっと一周するかたちで、1時間半ほど歩いていきました。そろそろ終わりになりそうなスノードロップ、クロッカスの花々もまだ咲いており、四月末ごろに花が咲くワイルドガーリックは、緑の葉をすでに伸ばし始めています。そして、視野に入りきらないほどの水仙たちが一面を覆い尽くしていました。今まで見たこともない、とんでもない数です。なぜこんなに多くの水仙がここだけ生息しているのか、不思議に思いながら歩き続けていると、突如大きな屋敷だったであろう崩れかけた廃墟が現れます。事情をよく把握せず、春の陽気に誘われて、ただ水仙の群生地見たさに参加した私には、かなりのインパクトで、びっくりしました。しかし、なぜだかこの廃墟と黄金に輝く水仙のコントラストが、とても美しく心を奪われます。まるで、フランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』のワンシーンのよう。そこには、さっきまで感じていた心踊る爽やかな春の空気はなく、ひやっと冷たい空気に、どことなく寂しさが漂っていました。 今では、動植物が新たな家主となっている  エセックス・ワイルドライフ・トラストが管理している保護区は、森、草原、湿地帯など、昔から人々が自然資源を得るために上手に管理して来た土地を買取し、野生動植物の住みかとして保護していくのが通常です。しかし、このウォーリー・プレイスは、全く違う歴史があります。そもそもここは、マナーハウス・ウォーリー(The Manor of Warley)として、代々地位のある人たちが暮らした場所だったそうです。しかし1934年、最後に住んでいたエレン・アン・ウィルモット女史の死後、廃墟となり、1938年には建物の崩壊が危ぶまれ取り壊しになりました。その後誰も住ことなく、この土地のオーナーがエセックス・ワイルドライフ・トラストと地元管理グループにリースし、自然保護区として管理する形で現在にいたります。 エレン・アン・ウィルモット女史。一時期、ここは彼女の帝国だった。© R G Berkley  最後の家主であったウィルモット女史は生前、園芸家、そして植物コレクターとして名を馳せていました。プラントハンターに依頼して世界中から珍しい植物を取り寄せ、甥っ子姪っ子たちが遊びにくるたびに球根をそこらへ投げ込ませ、常駐させている100人ほどのガーデナーたちに、次々と植えさせていきました。また、自分の山草コレクションを飾るため、ヨークシャーから取り寄せた巨大な石で峡谷を作らせたり、電気が普及していない時代に温度調節可能な温室と冷床で、園芸種の品種改良や英国では見ない植物を栽培したりと、持てる財産と時間をすべて園芸に注ぎ込みました。そのため、結婚もせず、晩年には財が底をつき、多額の借金を抱えたまま、この世を去ったようです。ガーデニングの端くれとして、これだけの設備とお金をかけた庭を当時私が見せられたら、圧倒されていたことでしょう。まさに、ガーデナードリームの地だった。それが、今では泡のように消え去り、彼女が植えさせた木々や花たちだけが、その当時を思い出させるように、春になると蘇ってくるのです。 ここを整備しているボランディアによるガイド・ウォーク。自然だけでなく、価値ある建築物跡として管理していくことが大切なようだ 立派な冷床があった一角は、スノードロップに覆われていた。積み上げられたレンガがかすかに面影を残す  生い茂った夏草を見て、奥州藤原氏の栄華の儚さを思い、芭蕉がしたためた平泉での句。この名句がもつ無常観と虚しさが、ここウォーリー・プレイスにもありした。お抱えガーデナーたちという兵どもたちが、ウィルモット女史の理想の庭園のためだけに、汗水垂らし戦い続けた。しかし夢の跡なってしまった今は、皮肉にも自然が取って代わり、ここを支配しているのです。  水仙の花畑から、霞んだ空の向こうに、ロンドンの高層ビルをかすかに見渡すことができます。まるで自然が抱きかかえるかのように、この地を包み込み、都会の喧騒から、そして時の流れから逃れ、秘密の隠れ家として、ひっそりと存在しているウォーリー・プレス。再生の季節である春。湧き上がる新たな生命力と相反して、朽ちていく夢の庭園。水仙が輝ければ輝くほど、残酷にも盛者必衰のことわりをあらわしています。鳥のさえずりが聞こえてくる中、ウィルモット女史の亡霊が、今もさ迷い続けているのです。 11th March 2017, Sat @ Warley Place, Essex エセックス・ワイルドライフ・トラスト自然保護区情報: ウォーリー・プレイス オフィシャルサイト 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2021...

ガイドウォーク2: ジェーン・オースティンのロンドン ジェーン・オースティン は、出版当時、名前を伏せて、作者名を「ある女性」としていたため、数人の家族以外、彼女がベストセラー作家であることを知らなかった  シリーズでお伝えしているガイドウォーク。(*ガイドウォーク#1はこちら >>。*ガイドウォーク#2はこちら >>)  今回紹介するのは、London Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」。オースティンも、シェイクスピアと同じく、英国文学を語る上で、外せない作家です。恋愛小説の大家と称されることが多い彼女ですが、明治の文豪、夏目漱石もが、彼女に賛辞を送っるほどの文才の持ち主。没後200年を記念し、2017年新10ポンド札に彼女が載ったのは、ただの恋愛小説家ではないことを証明していると思います。最近では、ロンドンに住むアラサー独身女性を描いた世界的ヒット小説『ブリジット・ジョーンスの日記』で、オースティンの『高慢と偏見』が注目を浴びました。いつの時代も彼女の作品は、女性たちのバイブルになっているようです。  そのオースティンは、ロンドンに住んでいたことはありません。ただ、家族、親戚や出版社を訪ねて上京しています。滞在中は、私たちと同様に、ショッピング、観劇、公園での散歩などを楽しんでいたようです。その経験を活かして、自分の小説のネタにもしています。今回のガイドウォークは、彼女と深い関係があるメイフェア、 セント・ジェームス周辺を中心に歩きました。現在は高級品店舗が立ち並ぶこのエリアで、彼女の姿を追うと同時に、彼女が生きた18世紀後期から19世紀始めのジョージアン、そしてリーシェンシー様式の建物や流行を中心に見ていきました。フリーのキュレーター兼歴史家の男性の方が案内してくれました。ツアーは、地下鉄駅グリーンパークにまず集合。予約不要ということもあってか、その日に観光でロンドンを訪れていたであろう、国内外からの方々が30人ぐらい参加していました。オースティンということで、やはり女性客が断然多かったです。 さすが、ジェーン・オースティン。女性の参加者が圧倒的に多い  駅からピカデリー通り沿いに歩き始めると王立公園のひとつグリーン・パークに隣接している五つ星ホテル、ザ・リッツ・ロンドンが見えてきます。皇室、政治家やセレブ御用達のホテルで、映画『ノッティングヒルの恋人』の舞台にもなったことで有名です。しかし18、19世紀は、White Horse Cellarという駅馬車があり、英国南部、西部からの玄関口だったそうです。我々が歩いている場所は、かつて多くの馬車が行き来し、馬と人と荷物でごった返していた。そんな中、上京してきたオースティンも、華やかなロンドンに心踊る思いで、ここに降り立ったのでしょう。 王立公園のひとつである、グリーンパーク。芝生の広場があり、リラックスできる場所として人気。ビルが立っているあたりがメイフェアのエリアになる。オースティンは駅馬車でロンドンに上京し、この公園前で下車していた  その後、ピカデリー通りから左に入り、メイフェア内へとツアーは進みます。オースティンの時代にはロンドン随一の高級住宅街として人気を集め、多くの上流階級の男性が社交の場として集まり、女性は流行の品を買い求めていました。当時、イギリス最大の英雄ネルソン海軍提督、詩人のバイロンなどが、このあたりにいました。なんでしょ、歴史で習った人物が実際にこの道を歩いていたり、お茶していたと聞くと、絵でした見たことがない人物に、急に血が通い始めたようで、実に生々しい。そして、メイフェアが放つきらびやかさの裏では、ゴジップニュースもお盛んで、惚れた腫れたの騒ぎは日常茶飯事だったそうな。オースティンもしっかり自身の作品の中で、フィクションという形でゴジップネタを入れていました。 [osmap centre="TQ2861680444" zoom="7.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Mayfair.gpx"]青色で示されたエリアが、メイフェア マレー出版社があったアルバマール通り50番のテラスハウス。ロンドンに住んでいたジェーンの兄の働きかけのおかげで、彼女はこの会社から出版できた。きっとここを訪ねてきているはず  メイフェアにあるアルバマール通り(Albemarle Street)50番の建物前にグルーブは止まりました。そこは、オースティンの主要作品の中から四作品、『エマ』、『マンスフィールド・パーク』、『説得』、『ノーサンガー・アビー』を出版した、ジョン・マレーの出版社があった場所です。このマレー社は、当時大きな影響力を持っていた文芸出版社で、バイロンの文芸書、ダーウィンの『種の起源』なども出版していました。また、早くから旅行ガイドブックシリーズも出版しており、今日私たちが見るガイド本の先駆けと言われています。1891年には、日本のガイドブック(A Handbook for Travellers in Japan)も出しています。ロンドンの高級エリアでよく見る古めのテラスハウス。特に特徴ある建物でもなく、プラーグもないので、知らなければ完全に素通りするであろう場所に、こんな歴史が隠されていたとは驚きです。きっと、ロンドンにはこういった場所が多々存在するんだと、初めて気付かされました。 少し前までは、男性専用だったアルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンション。ジェーンの兄が一時期オフィスを構えていた。最近だと俳優のテレンス・スタンプが暮らしていたことが有名  その後も、高級ブランド通りのボンド・ストリート、老舗のオーダーメイド紳士服店が並ぶサヴィル・ロー、世界一古いアーケードと言われているバーリントン・アーケード、アルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンションビルなどを見ながら、興味深い当時の話を聞き、オースティン作品の舞台になった場所を巡っていきました。世界中から来ているお金持ちたちが買い物している中、ぞろぞろと列をなして歩く私たちのグループは、明らかに異色です。そんなツアーですが、オースティン作品を真面目に読んでおらず、いくつかの映画版を眠そうになりながら見ていた私には、話がちょっとオタクすぎで、話についていけず。登場人物が他の作品とごっちゃになり混乱していました。話と歩は、パニックの私など気にせず、どんどん進んで行きます。恐るべきガイドウォーク。参加者もしっかり勉強しておかないと、置いてけぼりを食います。  後半は、ピカデリー通りを挟んで反対側のセント・ジェームスに移動しました。こちらは、重厚感溢れる大きな建物が連なっています。セント・ジェームスも老舗名店が並びますが、メイフェアが若者・女性向けが中心とすると、こちらはどちらかというと紳士向けのお店、例えば、巻きタバコ、帽子、ブーツなどのお店が多いなと感じました。ガイドさん曰く、この辺りにはエリート階級紳士専用の会員制クラブ、ジェントルマンズクラブが多くあるそうで、そのあたりも関係しているのかもしれません。1693年に設立したロンドン最古のジェントルマンズクラブ・White'sもここにあり、みなで外観を見上げていました。チェールズ皇太子が、ダイアナ妃との結婚前夜にバチェラー・パーティーを開いたところだそうです。このあたりになると、宇宙人と同じぐらい異次元の世界の話になり、異国から来た庶民の私には、想像を超えてきます。かなりゆるくなったとは言え、英国はやはり階級社会なんだとつくづく感じました。 リージェンシー様式のドレス。古代エジプト、ギリシャ・ローマの影響を受けている。英国では今でもこの様式を取り入れたウェディングドレスが人気 Printed Circa 1801, © The Graphics Fairy 2007  二時間のツアーは、狭い範囲でしたが、とても濃い内容で、最後はお腹いっぱいに。オースティン好きは、満足したことでしょう。無知の私は、きっと三分の一ぐらいしか理解しておらず、ちょっともったいないかった。ただ今回の歩きで、現代の英国女性が、オースティンが生きた時代のリーシェンシー様式ファッションへの強い憧れを持つ気持ちが、なんとなく理解できるような気がします。日本女子が、大正ロマン、昭和モダンといったものに、ときめくのと同じように、時代背景は違えども、自国が外国からの刺激を大いに受け、経済、文化がさらに発展し、希望に満ち溢れている元気な時代に対して、人々はノスタルジックに感じるのかもしれません。オースティン作品の人気は、そこがひとつ関係していると思います。そして、オースティンの巧みな心理描写により、女性の地位が低かった時代にも関わらず、力強く生き抜く女性たちの姿に、時代を超えて世界中の読者を魅了し続けることを、今回のツアーで強く感じ取りました。私も彼女の作品に学んで、表現力豊かにできたら、このウェブももっと話が面白くなるかもしれないなぁ・・・と、ちょっと反省しながら、帰路につきました。 ジェーン・オースティンゆかりのスポットを巡るロンドン・ウォーキングガイドブック。オースティン以外にも著名人とロンドンの関わりを見て回るために、多くのガイド本が出版されており、ロンドンの本屋さんには、そのためのコーナーが設けられている  ロンドンでのオタク・ガイドウォーク、二つほどご紹介しました。いつもそれほど魅力を感じていなかったロンドンが、このツアーに参加してから、ちょっと違って見えてくるから不思議です。前に何度も通った道もあり、そんなところがシェイクスピアやジェーン・オースティンとゆかりがあるとは、以前は考えもしていませんでした。また、建物ひとつとってもその時代を反映した様式や工夫が隠されていて、それを知ることで、大きな目覚めがあります。私のロンドンの見方を、ガラッと変えてくれたガイドツアーでした。そして、ブラブラ歩く、散策することは、いつでも、どこでも、どんな形でも、楽しめることを改めて認識しました。特に今回のような学ぶツアーでは、歩くスピードがじっくりとその時代に浸らせてくれます。知識を得るのにちょうど良いスピートと距離感だったと感じます。今までは、ショッピングや美術館巡りしかしてこなかった大都会を、まるで森の中で野生生物を見つけるかのように、今後はどんな秘密や歴史が潜んでいるのか、意識しながら歩いてみたいと思います。みなさんも、観光客でなくても楽しめるオタク・ガイドウォークに、ぜひ参加してみてください。ガイド本も案内もたくさんありますので、セルフ・ガイドでも十分楽しめると思います。非常にお手軽で気楽なのに、学びが十二分にある遊びです。みなさんの近くにもきっと開催されていると思います。よく知っていると思っている地でも、知らないことだらけ。新たな出会いが待っているはずです。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: London Walks ウェブサイト walks.com 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2021...

ガイドウォーク1: シェイクスピアのロンドン ウィリアム・シェイクスピアの人生は、謎だらけ。未だに別人説が浮上する William Shakespeare associated with John Taylor oil on canvas, feigned oval, circa 1600-1610 NPG 1 © National Portrait Gallery, London  前回説明してきたガイドウォーク(*前回のページは、こちら >>)、実際に私が参加したのは、どんな感じだったのか。まずご紹介するのは、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」。2016年は、彼の没後400年記念の年ということで、多くのイベントが年間通して全国各地で開催されました。その一環として、ロンドン博物館での特別展示、そしてこのガイドウォークも行われました。彼は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンという村で生まれ育ちましたが、のちにロンドンに上京し、俳優兼劇作家として活躍し、世界的に有名になる戯曲を発表していきました。しかし、彼の作品はよく知られているのに、彼自身についてはあまり記録がなく、謎に包まれています。今回のガイドウォークは、シェイクスピア自身に関する貴重な資料を元に、彼の足跡を追いながら、彼が生きたテューダー朝時代のロンドンと当時の人気エンターテインメントであったイギリス・ルネッサンス演劇を追体験するものでした。 復元されたグローブ座。独特の円形野外劇場(amphitheatre)では、春から秋にかけてシェイクスピア劇が、上演されている。1666年ロンドン大火後、唯一許可が下りた茅葺き屋根の建物 旧グローブ座跡地にて。ロンドン博物館の学芸員が、当時の様子を説明してくれる  スタートは、テムズ川の南岸サザックにある、グローブ座から。この劇場は、近年多くの俳優たちのサポートを受けて、復元されたもの。今では、シェイクスピア劇が頻繁に上演されていて、ロンドンの人気スポットです。エリザベス朝時代には、テムズ川を挟んで北岸は、政治やビジネスをする地域、南岸は娯楽の地域とされ、この一帯に多くの大衆劇場が建てられました。人々が、船以外で唯一川を渡れるのは、ロンドンブリッジだけだったそうで、いつも大混雑していたとか。南岸はある意味隔離された場であり、種々雑多な人々でひしめいていたそうです。そんなエネルギッシュな地から、シェイクスピア劇のあの独特の世界が生まれたではないでしょうか。 Money Potと呼ばれている発掘品。劇場の入場料支払いに使われたそう  テムズ川沿いにある現グローブ座から230メートル奥へと、ガイドウォークは進みました。そこには、元々のグローブ座があった跡地があります。また、同じ時代に建てられ、グローブ座のライバルだったローズ座があった場所も見ることができます。今では、オフィスビルが立ち並ぶ間に、ぽつんとある跡地。400年ほど前、ここら一帯は、劇場から溢れる人々の熱気でムンムンとしていたのか・・・。今にも観客の笑いや叫び声が聞こえてきそうです。いつの時代も、人々は娯楽に熱狂するんですね。演劇にあまり触れてきていない私でも、ちょっと興奮してきます。ガイドの学芸員さんが、大事そうにタッパを取り出し、蓋を開けて中身を見せてくれました。そこにあったのは、壊れた焼き物のようなもの。入場料を支払う際に使われた壺だそうです。縦線の隙間が入っていて、そこにコインを入れるシステム。発掘の際発見されたものらしく、参加者全員に回して見せてくれました。さすが、博物館のツアー、太っ腹!!コンディションはよくなくとも、貴重な資料に触れられる機会を与えられ、ますますその時代の人たちにがリアルに感じられます。 セント・ポール大聖堂近くにあるカーター・レーン(Carter Land)の飲食店前。ビルの柱にプラークが埋め込まれている。友人がシェイクスピア宛に手紙を書いた宿があった場所とのこと。知らなければ、気づかず素通りしそう  そのあとも、テムズ川の渡し舟の船頭たちが待機しているときに座っていた石の椅子、シェイクスピアの父親が紋章獲得の嘆願書を出した紋章院、シェイクスピアの友人が彼宛に手紙を書いた記録が残された宿、シェイクスピアが住んでいたい場所などを見て回りました。行く先々でプラーグ(銘板)や貴重な記録のコピーを見せてもらい、当時の様子について詳しく話を聞きました。彼に関する少ない記録の中から、社会的な地位、名誉回復、借金などで奔走していた話などが出てくると、偉大な功績で歴史に名を残したひとでも、やはりひとりの人間なんだと、親近感を感じ、ちょっと微笑ましくなります。 実際のファースト・フォリオのコピーを見せながら、この出版が英文学史上どれほど大きな意味があったのか、説明してくれた  最後に、ロンドン博物館近くにある聖メアリー・オルダーマンベリー公園にあるシェイクスピアの胸像前に来ました。彼の死後、ヘンリー・コンデルとジョン・ヘミングスふたりが、バラバラになっていた彼の戯曲36作品をかき集め、1623年に「ファースト・フォリオ」として、作品集を出版しました。その記念碑がここにあります。(実物の作品集は、大英図書館に保管。)この出版がなければ、私たちが今シェイクスピア劇に触れることがなかったかもしれません。2時間のツアーがあっという間に、終了しました。今回は、シェイクスピアの足跡のほんの一部を見て来ましたが、内容はボリューム満点。私のような、演劇に疎いものでも、彼の目を通して当時のロンドンを思い浮かべながら歩くのは、一種のタイムスリップのようなもので、その時代の人々と肌で触れ合う感覚があり、ちょっとワクワク、ゾクゾクしました。都市をテーマにした博物館で、展示物を見る延長線上に、ガイド付きで街を歩くことは、とても面白いし、理にかなっていると感じました。そして、ガイドウォーク後、また再度博物館を訪れて、展示物を見ると理解がさらに深まります。なかなか賢いアイデアだと感心しました。また、当人が歩いたであろう場を、自分の足で歩いて見て回るからこそ、じっくりと内容の濃い話が、リアリティを増して伝わってくるんだと感じました。それによって、ロンドンの違う面が見えてきて、魅力をさほど感じていなかったロンドンに、ちょっと興味を持ち始めている自分がいました。 参加者は30名ほど。英国国内だけでなく、ヨーロッパの国からの参加者もいた。シェイクスピアの人気は絶大。ローズ座跡地にて [osmap centre="TQ3198581040" zoom="7.75" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Shakespeare-Walk.gpx" markers="TQ3222480539!red;出発点: グローブ座|TQ3222981610!green;終着点: ロンドン博物館"] [osmap_marker color=red] 出発点: グローブ座 [osmap_marker color=green] 終着点: ロンドン博物館 つづく *「ガイドウォーク2:ジェーン・オースティンのロンドン」は、こちら >>。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: ロンドン博物館(Museum of London)ウェブサイト 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2021 ...

"When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford." 『ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから』  18世紀英国文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンが残した有名な言葉です。長い歴史を刻んできた欧州最大都市ロンドン。しかし、このサミエルさんがゾッコンだったロンドンに、なぜか私がときめくことはありませんでした。もっと若い時にロンドンに出会っていたら、その関係性は違っていたかもしれませんが、ロンドンの全てを知る前に、私が都会そのものに飽き、すでに別れを告げていたからかもしれません。ロンドン、あなたはきっと魅力的なはず。あなたが悪いわけじゃないの・・・。タイミングって、何においても難しいですね。そんな、なかなか距離を縮めることができなかったロンドンが、ぐっと近づいた瞬間がありました。それは、ロンドン内で多く行われているガイドウォークに参加した時です。 ガイドウォークといってもいろいろ。ただし、ガイドは道案内、安全管理だけでなく、どんな質問でも答えられるよう、豊富な知識が求められる  ガイドウォークとひとことで言っても、いろいろあります。英国では、ざっと大きく分けて三つのタイプがあるようです。 1)道案内のガイドによる、旅行規模の歩き。山岳ガイドや旅行会社の添乗員などが付くタイプで、日本でも一般的です。 2)ある特定の情報や知識を学びながら歩くツアー。いわば大人の社会科見学みたいなもの。観光というより、アカデミックな要素が強い。 3)お試し体験のガイドウォーク。よくイベントの一環として行われ、ある団体や地域の魅力、日頃行なっている保全活動を、体験や見学を通して知ってもらうPR型。今回お話しさせていただくのは、タイプ2の学ぶガイドウォーク。私は、オタク・ガイドウォークと呼んでいます。  オタク文化といえば、日本ですが、英国も負けず劣らずオタク大国です。強い探究心がある国民性で、いろんな分野のマニアやコレクターが存在しています。なんでしょ、島国の特徴なんですかね。そんこともあり、今回レポートするロンドンで体験できるガイドウォークは、名所巡りや名物を食するといったよくある観光ツアーとはちょっと違う、ある一つのテーマに特化した内容の濃いもので、全国だけでなく海外からも探究心が止められない方々が参加されます。その中から私が実際に参加したガイドウォークを二つほどご紹介したいと思います。 ロンドン内では、純粋な観光ツアーのほかに、あるテーマに特化したツアーが、毎日どこかで行われている。オタクな人々には、たまらない ロンドン博物館のガイドウォークは、人気のアトラクションなのか、前もってチケットを購入しておかないと、すぐに売り切れてしまうほど人気がある  まずは、ロンドン博物館が行なっているガイドウォーク。この博物館は、旧石器時代から現在までの、都市ロンドンの歴史や文化を専門に研究。市内二ヶ所に博物館を持ち、貴重な資料を展示しています。そして天気の良い季節になると、展示と関連したガイドウォークが、頻繁に開催されます。ロンドンは、都市としての歴史が長いため、ガイドウォークのテーマも豊富です。しかも案内してくれるのは、テーマごとの専門学芸員、または、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)になりますので、かなり深い話や最近の研究情報も聞けるので、通好みかと思います。 London Walksのパーフレット。このパーフレットを掲げたひとが集合場所にいる。それが目印  もうひとつのガイドウォークは、London Walks。その名の通り、ロンドンのガイドウォークを、50年前から専門に扱っているツアー会社です。ツアーは、2時間ほどで10ポンド。予約不要。指定された時間に集合場所へ行けば、誰でも参加できます。365日毎日開催され、毎週約100ツアーの中から選べます。ロンドンの時代ごとの歴史、文化はもちろん、お化け、パブ、医療、地学、ギャング、映画ロケ地、スパイ、殺人事件現場、土木、法廷、インド文化、テムズ川での発掘作業などなど…。ロンドンをあらゆる方向から掘り下げていくガイドウォークです。ガイドは、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)だけでなく、弁護士、俳優、学者、エンジニア、作家などそれぞれの分野の専門家が担うこともあります。こちらも聞ける話は、かなり興味深く、ツアーによっては、寸劇が入るエンターテイメント・ショーのようなものもあるようです。  では、後半2回に分けて、私が実際に参加したツアー、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」とLondon Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」のそれぞれの様子をご紹介します。文学に疎い私ですので、正直オタク情報は理解できない部分もあります。それでも、時代ごとのロンドンでの生活は、どのような様子だったのか。少しでも理解できたらなと思い行ってまいりました。 つづく *後半は、こちら >>。 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2021...