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ガイドウォーク2: ジェーン・オースティンのロンドン ジェーン・オースティン は、出版当時、名前を伏せて、作者名を「ある女性」としていたため、数人の家族以外、彼女がベストセラー作家であることを知らなかった  シリーズでお伝えしているガイドウォーク。(*ガイドウォーク#1はこちら >>。*ガイドウォーク#2はこちら >>)  今回紹介するのは、London Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」。オースティンも、シェイクスピアと同じく、英国文学を語る上で、外せない作家です。恋愛小説の大家と称されることが多い彼女ですが、明治の文豪、夏目漱石もが、彼女に賛辞を送っるほどの文才の持ち主。没後200年を記念し、2017年新10ポンド札に彼女が載ったのは、ただの恋愛小説家ではないことを証明していると思います。最近では、ロンドンに住むアラサー独身女性を描いた世界的ヒット小説『ブリジット・ジョーンスの日記』で、オースティンの『高慢と偏見』が注目を浴びました。いつの時代も彼女の作品は、女性たちのバイブルになっているようです。  そのオースティンは、ロンドンに住んでいたことはありません。ただ、家族、親戚や出版社を訪ねて上京しています。滞在中は、私たちと同様に、ショッピング、観劇、公園での散歩などを楽しんでいたようです。その経験を活かして、自分の小説のネタにもしています。今回のガイドウォークは、彼女と深い関係があるメイフェア、 セント・ジェームス周辺を中心に歩きました。現在は高級品店舗が立ち並ぶこのエリアで、彼女の姿を追うと同時に、彼女が生きた18世紀後期から19世紀始めのジョージアン、そしてリーシェンシー様式の建物や流行を中心に見ていきました。フリーのキュレーター兼歴史家の男性の方が案内してくれました。ツアーは、地下鉄駅グリーンパークにまず集合。予約不要ということもあってか、その日に観光でロンドンを訪れていたであろう、国内外からの方々が30人ぐらい参加していました。オースティンということで、やはり女性客が断然多かったです。 さすが、ジェーン・オースティン。女性の参加者が圧倒的に多い  駅からピカデリー通り沿いに歩き始めると王立公園のひとつグリーン・パークに隣接している五つ星ホテル、ザ・リッツ・ロンドンが見えてきます。皇室、政治家やセレブ御用達のホテルで、映画『ノッティングヒルの恋人』の舞台にもなったことで有名です。しかし18、19世紀は、White Horse Cellarという駅馬車があり、英国南部、西部からの玄関口だったそうです。我々が歩いている場所は、かつて多くの馬車が行き来し、馬と人と荷物でごった返していた。そんな中、上京してきたオースティンも、華やかなロンドンに心踊る思いで、ここに降り立ったのでしょう。 王立公園のひとつである、グリーンパーク。芝生の広場があり、リラックスできる場所として人気。ビルが立っているあたりがメイフェアのエリアになる。オースティンは駅馬車でロンドンに上京し、この公園前で下車していた  その後、ピカデリー通りから左に入り、メイフェア内へとツアーは進みます。オースティンの時代にはロンドン随一の高級住宅街として人気を集め、多くの上流階級の男性が社交の場として集まり、女性は流行の品を買い求めていました。当時、イギリス最大の英雄ネルソン海軍提督、詩人のバイロンなどが、このあたりにいました。なんでしょ、歴史で習った人物が実際にこの道を歩いていたり、お茶していたと聞くと、絵でした見たことがない人物に、急に血が通い始めたようで、実に生々しい。そして、メイフェアが放つきらびやかさの裏では、ゴジップニュースもお盛んで、惚れた腫れたの騒ぎは日常茶飯事だったそうな。オースティンもしっかり自身の作品の中で、フィクションという形でゴジップネタを入れていました。 [osmap centre="TQ2861680444" zoom="7.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Mayfair.gpx"]青色で示されたエリアが、メイフェア マレー出版社があったアルバマール通り50番のテラスハウス。ロンドンに住んでいたジェーンの兄の働きかけのおかげで、彼女はこの会社から出版できた。きっとここを訪ねてきているはず  メイフェアにあるアルバマール通り(Albemarle Street)50番の建物前にグルーブは止まりました。そこは、オースティンの主要作品の中から四作品、『エマ』、『マンスフィールド・パーク』、『説得』、『ノーサンガー・アビー』を出版した、ジョン・マレーの出版社があった場所です。このマレー社は、当時大きな影響力を持っていた文芸出版社で、バイロンの文芸書、ダーウィンの『種の起源』なども出版していました。また、早くから旅行ガイドブックシリーズも出版しており、今日私たちが見るガイド本の先駆けと言われています。1891年には、日本のガイドブック(A Handbook for Travellers in Japan)も出しています。ロンドンの高級エリアでよく見る古めのテラスハウス。特に特徴ある建物でもなく、プラーグもないので、知らなければ完全に素通りするであろう場所に、こんな歴史が隠されていたとは驚きです。きっと、ロンドンにはこういった場所が多々存在するんだと、初めて気付かされました。 少し前までは、男性専用だったアルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンション。ジェーンの兄が一時期オフィスを構えていた。最近だと俳優のテレンス・スタンプが暮らしていたことが有名  その後も、高級ブランド通りのボンド・ストリート、老舗のオーダーメイド紳士服店が並ぶサヴィル・ロー、世界一古いアーケードと言われているバーリントン・アーケード、アルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンションビルなどを見ながら、興味深い当時の話を聞き、オースティン作品の舞台になった場所を巡っていきました。世界中から来ているお金持ちたちが買い物している中、ぞろぞろと列をなして歩く私たちのグループは、明らかに異色です。そんなツアーですが、オースティン作品を真面目に読んでおらず、いくつかの映画版を眠そうになりながら見ていた私には、話がちょっとオタクすぎで、話についていけず。登場人物が他の作品とごっちゃになり混乱していました。話と歩は、パニックの私など気にせず、どんどん進んで行きます。恐るべきガイドウォーク。参加者もしっかり勉強しておかないと、置いてけぼりを食います。  後半は、ピカデリー通りを挟んで反対側のセント・ジェームスに移動しました。こちらは、重厚感溢れる大きな建物が連なっています。セント・ジェームスも老舗名店が並びますが、メイフェアが若者・女性向けが中心とすると、こちらはどちらかというと紳士向けのお店、例えば、巻きタバコ、帽子、ブーツなどのお店が多いなと感じました。ガイドさん曰く、この辺りにはエリート階級紳士専用の会員制クラブ、ジェントルマンズクラブが多くあるそうで、そのあたりも関係しているのかもしれません。1693年に設立したロンドン最古のジェントルマンズクラブ・White'sもここにあり、みなで外観を見上げていました。チェールズ皇太子が、ダイアナ妃との結婚前夜にバチェラー・パーティーを開いたところだそうです。このあたりになると、宇宙人と同じぐらい異次元の世界の話になり、異国から来た庶民の私には、想像を超えてきます。かなりゆるくなったとは言え、英国はやはり階級社会なんだとつくづく感じました。 リージェンシー様式のドレス。古代エジプト、ギリシャ・ローマの影響を受けている。英国では今でもこの様式を取り入れたウェディングドレスが人気 Printed Circa 1801, © The Graphics Fairy 2007  二時間のツアーは、狭い範囲でしたが、とても濃い内容で、最後はお腹いっぱいに。オースティン好きは、満足したことでしょう。無知の私は、きっと三分の一ぐらいしか理解しておらず、ちょっともったいないかった。ただ今回の歩きで、現代の英国女性が、オースティンが生きた時代のリーシェンシー様式ファッションへの強い憧れを持つ気持ちが、なんとなく理解できるような気がします。日本女子が、大正ロマン、昭和モダンといったものに、ときめくのと同じように、時代背景は違えども、自国が外国からの刺激を大いに受け、経済、文化がさらに発展し、希望に満ち溢れている元気な時代に対して、人々はノスタルジックに感じるのかもしれません。オースティン作品の人気は、そこがひとつ関係していると思います。そして、オースティンの巧みな心理描写により、女性の地位が低かった時代にも関わらず、力強く生き抜く女性たちの姿に、時代を超えて世界中の読者を魅了し続けることを、今回のツアーで強く感じ取りました。私も彼女の作品に学んで、表現力豊かにできたら、このウェブももっと話が面白くなるかもしれないなぁ・・・と、ちょっと反省しながら、帰路につきました。 ジェーン・オースティンゆかりのスポットを巡るロンドン・ウォーキングガイドブック。オースティン以外にも著名人とロンドンの関わりを見て回るために、多くのガイド本が出版されており、ロンドンの本屋さんには、そのためのコーナーが設けられている  ロンドンでのオタク・ガイドウォーク、二つほどご紹介しました。いつもそれほど魅力を感じていなかったロンドンが、このツアーに参加してから、ちょっと違って見えてくるから不思議です。前に何度も通った道もあり、そんなところがシェイクスピアやジェーン・オースティンとゆかりがあるとは、以前は考えもしていませんでした。また、建物ひとつとってもその時代を反映した様式や工夫が隠されていて、それを知ることで、大きな目覚めがあります。私のロンドンの見方を、ガラッと変えてくれたガイドツアーでした。そして、ブラブラ歩く、散策することは、いつでも、どこでも、どんな形でも、楽しめることを改めて認識しました。特に今回のような学ぶツアーでは、歩くスピードがじっくりとその時代に浸らせてくれます。知識を得るのにちょうど良いスピートと距離感だったと感じます。今までは、ショッピングや美術館巡りしかしてこなかった大都会を、まるで森の中で野生生物を見つけるかのように、今後はどんな秘密や歴史が潜んでいるのか、意識しながら歩いてみたいと思います。みなさんも、観光客でなくても楽しめるオタク・ガイドウォークに、ぜひ参加してみてください。ガイド本も案内もたくさんありますので、セルフ・ガイドでも十分楽しめると思います。非常にお手軽で気楽なのに、学びが十二分にある遊びです。みなさんの近くにもきっと開催されていると思います。よく知っていると思っている地でも、知らないことだらけ。新たな出会いが待っているはずです。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: London Walks ウェブサイト walks.com 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

ガイドウォーク1: シェイクスピアのロンドン ウィリアム・シェイクスピアの人生は、謎だらけ。未だに別人説が浮上する William Shakespeare associated with John Taylor oil on canvas, feigned oval, circa 1600-1610 NPG 1 © National Portrait Gallery, London  前回説明してきたガイドウォーク(*前回のページは、こちら >>)、実際に私が参加したのは、どんな感じだったのか。まずご紹介するのは、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」。2016年は、彼の没後400年記念の年ということで、多くのイベントが年間通して全国各地で開催されました。その一環として、ロンドン博物館での特別展示、そしてこのガイドウォークも行われました。彼は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンという村で生まれ育ちましたが、のちにロンドンに上京し、俳優兼劇作家として活躍し、世界的に有名になる戯曲を発表していきました。しかし、彼の作品はよく知られているのに、彼自身についてはあまり記録がなく、謎に包まれています。今回のガイドウォークは、シェイクスピア自身に関する貴重な資料を元に、彼の足跡を追いながら、彼が生きたテューダー朝時代のロンドンと当時の人気エンターテインメントであったイギリス・ルネッサンス演劇を追体験するものでした。 復元されたグローブ座。独特の円形野外劇場(amphitheatre)では、春から秋にかけてシェイクスピア劇が、上演されている。1666年ロンドン大火後、唯一許可が下りた茅葺き屋根の建物 旧グローブ座跡地にて。ロンドン博物館の学芸員が、当時の様子を説明してくれる  スタートは、テムズ川の南岸サザックにある、グローブ座から。この劇場は、近年多くの俳優たちのサポートを受けて、復元されたもの。今では、シェイクスピア劇が頻繁に上演されていて、ロンドンの人気スポットです。エリザベス朝時代には、テムズ川を挟んで北岸は、政治やビジネスをする地域、南岸は娯楽の地域とされ、この一帯に多くの大衆劇場が建てられました。人々が、船以外で唯一川を渡れるのは、ロンドンブリッジだけだったそうで、いつも大混雑していたとか。南岸はある意味隔離された場であり、種々雑多な人々でひしめいていたそうです。そんなエネルギッシュな地から、シェイクスピア劇のあの独特の世界が生まれたではないでしょうか。 Money Potと呼ばれている発掘品。劇場の入場料支払いに使われたそう  テムズ川沿いにある現グローブ座から230メートル奥へと、ガイドウォークは進みました。そこには、元々のグローブ座があった跡地があります。また、同じ時代に建てられ、グローブ座のライバルだったローズ座があった場所も見ることができます。今では、オフィスビルが立ち並ぶ間に、ぽつんとある跡地。400年ほど前、ここら一帯は、劇場から溢れる人々の熱気でムンムンとしていたのか・・・。今にも観客の笑いや叫び声が聞こえてきそうです。いつの時代も、人々は娯楽に熱狂するんですね。演劇にあまり触れてきていない私でも、ちょっと興奮してきます。ガイドの学芸員さんが、大事そうにタッパを取り出し、蓋を開けて中身を見せてくれました。そこにあったのは、壊れた焼き物のようなもの。入場料を支払う際に使われた壺だそうです。縦線の隙間が入っていて、そこにコインを入れるシステム。発掘の際発見されたものらしく、参加者全員に回して見せてくれました。さすが、博物館のツアー、太っ腹!!コンディションはよくなくとも、貴重な資料に触れられる機会を与えられ、ますますその時代の人たちにがリアルに感じられます。 セント・ポール大聖堂近くにあるカーター・レーン(Carter Land)の飲食店前。ビルの柱にプラークが埋め込まれている。友人がシェイクスピア宛に手紙を書いた宿があった場所とのこと。知らなければ、気づかず素通りしそう  そのあとも、テムズ川の渡し舟の船頭たちが待機しているときに座っていた石の椅子、シェイクスピアの父親が紋章獲得の嘆願書を出した紋章院、シェイクスピアの友人が彼宛に手紙を書いた記録が残された宿、シェイクスピアが住んでいたい場所などを見て回りました。行く先々でプラーグ(銘板)や貴重な記録のコピーを見せてもらい、当時の様子について詳しく話を聞きました。彼に関する少ない記録の中から、社会的な地位、名誉回復、借金などで奔走していた話などが出てくると、偉大な功績で歴史に名を残したひとでも、やはりひとりの人間なんだと、親近感を感じ、ちょっと微笑ましくなります。 実際のファースト・フォリオのコピーを見せながら、この出版が英文学史上どれほど大きな意味があったのか、説明してくれた  最後に、ロンドン博物館近くにある聖メアリー・オルダーマンベリー公園にあるシェイクスピアの胸像前に来ました。彼の死後、ヘンリー・コンデルとジョン・ヘミングスふたりが、バラバラになっていた彼の戯曲36作品をかき集め、1623年に「ファースト・フォリオ」として、作品集を出版しました。その記念碑がここにあります。(実物の作品集は、大英図書館に保管。)この出版がなければ、私たちが今シェイクスピア劇に触れることがなかったかもしれません。2時間のツアーがあっという間に、終了しました。今回は、シェイクスピアの足跡のほんの一部を見て来ましたが、内容はボリューム満点。私のような、演劇に疎いものでも、彼の目を通して当時のロンドンを思い浮かべながら歩くのは、一種のタイムスリップのようなもので、その時代の人々と肌で触れ合う感覚があり、ちょっとワクワク、ゾクゾクしました。都市をテーマにした博物館で、展示物を見る延長線上に、ガイド付きで街を歩くことは、とても面白いし、理にかなっていると感じました。そして、ガイドウォーク後、また再度博物館を訪れて、展示物を見ると理解がさらに深まります。なかなか賢いアイデアだと感心しました。また、当人が歩いたであろう場を、自分の足で歩いて見て回るからこそ、じっくりと内容の濃い話が、リアリティを増して伝わってくるんだと感じました。それによって、ロンドンの違う面が見えてきて、魅力をさほど感じていなかったロンドンに、ちょっと興味を持ち始めている自分がいました。 参加者は30名ほど。英国国内だけでなく、ヨーロッパの国からの参加者もいた。シェイクスピアの人気は絶大。ローズ座跡地にて [osmap centre="TQ3198581040" zoom="7.75" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Shakespeare-Walk.gpx" markers="TQ3222480539!red;出発点: グローブ座|TQ3222981610!green;終着点: ロンドン博物館"] [osmap_marker color=red] 出発点: グローブ座 [osmap_marker color=green] 終着点: ロンドン博物館 つづく *「ガイドウォーク2:ジェーン・オースティンのロンドン」は、こちら >>。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: ロンドン博物館(Museum of London)ウェブサイト 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

"When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford." 『ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから』  18世紀英国文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンが残した有名な言葉です。長い歴史を刻んできた欧州最大都市ロンドン。しかし、このサミエルさんがゾッコンだったロンドンに、なぜか私がときめくことはありませんでした。もっと若い時にロンドンに出会っていたら、その関係性は違っていたかもしれませんが、ロンドンの全てを知る前に、私が都会そのものに飽き、すでに別れを告げていたからかもしれません。ロンドン、あなたはきっと魅力的なはず。あなたが悪いわけじゃないの・・・。タイミングって、何においても難しいですね。そんな、なかなか距離を縮めることができなかったロンドンが、ぐっと近づいた瞬間がありました。それは、ロンドン内で多く行われているガイドウォークに参加した時です。 ガイドウォークといってもいろいろ。ただし、ガイドは道案内、安全管理だけでなく、どんな質問でも答えられるよう、豊富な知識が求められる  ガイドウォークとひとことで言っても、いろいろあります。英国では、ざっと大きく分けて三つのタイプがあるようです。 1)道案内のガイドによる、旅行規模の歩き。山岳ガイドや旅行会社の添乗員などが付くタイプで、日本でも一般的です。 2)ある特定の情報や知識を学びながら歩くツアー。いわば大人の社会科見学みたいなもの。観光というより、アカデミックな要素が強い。 3)お試し体験のガイドウォーク。よくイベントの一環として行われ、ある団体や地域の魅力、日頃行なっている保全活動を、体験や見学を通して知ってもらうPR型。今回お話しさせていただくのは、タイプ2の学ぶガイドウォーク。私は、オタク・ガイドウォークと呼んでいます。  オタク文化といえば、日本ですが、英国も負けず劣らずオタク大国です。強い探究心がある国民性で、いろんな分野のマニアやコレクターが存在しています。なんでしょ、島国の特徴なんですかね。そんこともあり、今回レポートするロンドンで体験できるガイドウォークは、名所巡りや名物を食するといったよくある観光ツアーとはちょっと違う、ある一つのテーマに特化した内容の濃いもので、全国だけでなく海外からも探究心が止められない方々が参加されます。その中から私が実際に参加したガイドウォークを二つほどご紹介したいと思います。 ロンドン内では、純粋な観光ツアーのほかに、あるテーマに特化したツアーが、毎日どこかで行われている。オタクな人々には、たまらない ロンドン博物館のガイドウォークは、人気のアトラクションなのか、前もってチケットを購入しておかないと、すぐに売り切れてしまうほど人気がある  まずは、ロンドン博物館が行なっているガイドウォーク。この博物館は、旧石器時代から現在までの、都市ロンドンの歴史や文化を専門に研究。市内二ヶ所に博物館を持ち、貴重な資料を展示しています。そして天気の良い季節になると、展示と関連したガイドウォークが、頻繁に開催されます。ロンドンは、都市としての歴史が長いため、ガイドウォークのテーマも豊富です。しかも案内してくれるのは、テーマごとの専門学芸員、または、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)になりますので、かなり深い話や最近の研究情報も聞けるので、通好みかと思います。 London Walksのパーフレット。このパーフレットを掲げたひとが集合場所にいる。それが目印  もうひとつのガイドウォークは、London Walks。その名の通り、ロンドンのガイドウォークを、50年前から専門に扱っているツアー会社です。ツアーは、2時間ほどで10ポンド。予約不要。指定された時間に集合場所へ行けば、誰でも参加できます。365日毎日開催され、毎週約100ツアーの中から選べます。ロンドンの時代ごとの歴史、文化はもちろん、お化け、パブ、医療、地学、ギャング、映画ロケ地、スパイ、殺人事件現場、土木、法廷、インド文化、テムズ川での発掘作業などなど…。ロンドンをあらゆる方向から掘り下げていくガイドウォークです。ガイドは、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)だけでなく、弁護士、俳優、学者、エンジニア、作家などそれぞれの分野の専門家が担うこともあります。こちらも聞ける話は、かなり興味深く、ツアーによっては、寸劇が入るエンターテイメント・ショーのようなものもあるようです。  では、後半2回に分けて、私が実際に参加したツアー、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」とLondon Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」のそれぞれの様子をご紹介します。文学に疎い私ですので、正直オタク情報は理解できない部分もあります。それでも、時代ごとのロンドンでの生活は、どのような様子だったのか。少しでも理解できたらなと思い行ってまいりました。 つづく *後半は、こちら >>。 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 公園を散歩したり、ウィンドーショッピングしながらぶらぶらしたり、自然の中でハイキングしたりと、ウォーキングという言葉には、のびのびリラックスした健康的なイメージがどこかあるのではないでしょうか。ただ、歩くという行為は、時に熱を帯びた過激なパフォーマンス手段と変貌する時があります。 子供が手作りのプラカードを掲げていた。なかなかのセンス  英国は今、ひとつの大きな壁にぶち当たっています。Brexit : EU離脱問題。2016年6月の国民投票により、英国はEUからの離脱を決定。2017年3月、正式に離脱宣言を欧州理事会に通告。ただ国内では未だ残留派も多く、国を二分する危機に直面。大きく揺れる中、6月に下院解散による総選挙が実施され、再度国民に離脱賛成・反対を問おうとしています(*これを書いているときは、総選挙2週間前です)。テロ事件も立て続けに起こり、国民の将来への不安は益々高まっています。この国の市民権を持っておらず選挙権がない私は、傍観者として行く末を見守っていますが、この問題を英国国民は、井戸端会議から国会まで、それぞれの視点から意見を述べ議論を盛んにしていて、「議会制民主主義が生まれた国なんだな」と感心してしまいます。どんなにアホな考えであっても、まったく同意できない意見であっても、誰しも意見を述べる権利、そしてそれに反論する権利が尊重されているのは、この国が階級社会であるゆえ、その壁を乗り越える手段のひとつとして、主張する権利が大切にされているユニークな社会なんだと思います。そして、時に個々の主張が塊となり、アクションを起こす。国を動かすデモンストレーションへと発展。庶民の表現手段として一般的なのが、歩くパフォーマンス、デモ行進です。 ロンドンで開催されたUnite for Europeのデモ行進。街頭がEUカラーの青色に染まる  3月25日、離脱宣言三日前、そして欧州連合が欧州経済共同体設立条約に調印したローマ条約60年周年のこの日、EU残留派による大規模なデモ"Unite for Europe"がロンドンで行われ、私も参加してきました。人生一度も政治的な活動をしたことがない私は、デモがどうゆうものなのか半ば興味本位で、そして選挙権がない私が唯一自分の意見を主張できる手段として、集合場所であったハイドパーク脇にあるパーク・レーンへ向かいました。この集会五日前には、ロンドン・ウェストミンスターでテロ事件があり、厳戒態勢の中デモ行進が行われようとしていました。このタイミングでのデモそのものにも疑問視する意見もあり、かなりピリピリした雰囲気。私も今まで、ぶらぶら歩くことでこんなに緊張した経験はなく、一歩一歩の重みを考えると胃がキリキリしていました。 青色コーディネートファッションの女性。手には花束が エルヴィス・プレスリーも天国からデモに参加?! テロで殉職した警官を偲んで、警備のパトカーには沢山の花が飾られていた  会場へ到着すると、各地から到着した大型バスから、地下鉄出口からEUカラーの青色のコスチュームに身を纏い、それぞれの主張が書かれたプラカードが掲げられ、何かを祝うお祭り、フェスのような賑やかさがあり、想像と違いカルチャーショックを受けました。それでもテロ直後ということで、派手さやおふざけはかなり自粛され、命を失った人々への哀悼の意を捧げるために、多くの人たちが花を持っていたことが印象に残ります。 車椅子にバナーを立て参加する女性  約一時間遅れでデモ行進がスタート。ある政党のロゴを掲げるグループ、小さい子供や乳母車に赤ちゃんを乗せて歩く家族、コスプレした人たち、大きなEUの旗を振る学生、車椅子のひと、ヨーロッパからの移民、スコットランドやウェールズの旗をマントのように羽織る人々、犬を連れて歩くリベラル中流階級の中高年夫婦、ひとり地味な格好で静かに参加している女性などの集団が、ロンドンの大通りを青の波にし、黄色い星たちが浮かぶ、まるで天の川とでもいいましょうか、ゆっくり流れ進んでいきました。バイドバークから、有名な高級ホテル・リッツ・ロンドンがあるグリーンパーク脇を抜けて、トラファルガー広場へ出てから、国会議事堂・ビックベンがあるウェストミンスターへの2マイル(約3.2キロ)の歩き。10万人(警察発表。BBCは5万人参加と報道。どうして差があるのかは、よくわかりません)のデモ行進がゆっくりと、シュプレヒコールを大合唱しながら、時にはバンドが音を奏で、参加者が歌にのせてEUに残りたいと叫び、歩を進めていきます。あるグループは、スターウォーズのオープニングテーマ曲に合わせて歌いながら、離脱反対を訴えていました。テーマは重いのに、なぜかみな笑顔で平和な行進が続きました。トラックの運ちゃんが、クラクションを鳴らして応援したり、道沿いの部屋からスピーカーを出してきてビートルズの”All You Need is Love”を爆音でかけ盛り上げた住民がいたり、いつもは車でぎゅうぎゅう詰めになっている車道を、人々が歩いていく非日常的光景に、みなのテンションもマックスとなります。 スコットランドの旗を巻いた男性。ウェールズの旗も見られた  デモ隊の中には、個性的なコスチュームやウィットに富んだスローガンとインパクトあるグラフィックによるプラカードが注目され、多くの人々にスマートフォンで写真を撮られるスターも誕生していました。どうやらSNSが広がった現代では、デモ行進 = 歩くストリート・アートといった要素もあるようです。ウェストミンスターでは、集会も開かれデモ参加者が次々に到着し、ステージ上の演説者に耳を傾けていました。事後報告によりますと、事故なく、けが人も出ず、無事にデモは終了した模様です。 自作グラフィックが彼らの主張をうまくアピールしている 将来を不安に思う親の肩に乗り、子供たちも沢山参加していた 街頭を進むデモ隊。ウェストミンスター宮殿が見えてきた  正直今回のデモ行進が政治にどれだけの影響を与えたのかは、わかりません。ひとによっては、ただ派手な格好でぶらぶら歩くお気楽な行進に、社会を変えるだけのインパクトはないと言う人たちも多くいます。効果はともかく、自分の主張を形にして公共へ発信していく。ネットなどによりアピールする場は多様化した今でも、大昔から行われている原始的方法のデモ行進は、やはり民主主義を生み出した英国(または欧州)の伝統文化なのだと、今回参加して思います。大勢で一緒に歩くことで生み出す力、平和的アピール方法でも、彼らの熱は十分に感じ取れました。逆に、ストリート・パフォーマンス・アートとして、ライブ感覚でSNSを通して全世界へ発信する、また短時間で写真集を発売するなど、デジタル社会だからできる要素も加わり、デモ行進自体も時代とともに変化してきているようです。道は、ただ人が歩いたり、車が走ったりする交通目的だけのものではなく、表現できる場でもあることを人々は、デモ行進を通して再確認し続けているのかもしれません。世界的に有名なストリート・アーティスト、バンクシーがこの国から生まれたのも、なんとなく理解できるような気がします。歩くことは、時に武器にもなりえる。道は、表現の自由を体現できる場にもなりえる。とても有意義な政治活動初心者入門体験となりました。 路上に"We♥︎EU"。きっと子供たちが書いたのでしょう。彼らの未来を感じた一瞬 *第二部は、こちら >>。 25th March 2017, Sat @ Central London 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

西から来たカナダ人のジルちゃん。東から来た日本人の私。約10年前に英国の大学で出会ったふたりは、卒業後それぞれの道に進みながらも英国で暮らし、今でも家族同然のように付き合いをしています。会うたびに「この国、変じゃねぇー」と、理解できない異文化について語りながら、お酒を飲むのがお決まりです。しかし、文句を言いながらも、どこか愛情を抱いてしまう不思議なこの国。そしてある日、このワンダーランドをあちこち一緒にぶらぶらして、知らなかった新たな一面を発見したいと旅が始まりました。どこそこのトレイルを踏破しようとか、あの山登ろうとか、あそこまで歩こうといったノリは一切なく、ぐうたらなふたりらしい、天気と気分次第で歩くゆるゆる旅です。 [osmap gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/10/Thames-Path-Pitney-to-Richmond.gpx" markers="TQ2451875884!red;出発点: パトニー・ブリッジ|TQ17847444!green;終着点: リッチモンド"] [osmap_marker color=red] 出発点: パトニー・ブリッジ [osmap_marker color=green] 終着点: リッチモンド こちらは、コーチが檄を飛ばすボート  今回は、英国の代表格ナショナル・トレイルのひとつである、テムズ・パス(Thames Path)の一部をランぶら歩きしてみました。テムズ・パスは、ロンドン中心部を流れるテムズ川に沿って歩く計184マイル(296キロ)の道です。イングランド南西部コッツウォルズ地方にある水源地から、オックスフォード、音楽フェスがあるレティング、エリザベス女王が住む城があるウィンザー、パンプトン・コート宮殿、キュー王立植物園、国会議事堂・ビックベン、タワーブリッジ、本初子午線があるグリニッジを通過しながら、テムズ・バリアーと呼ばれる川の障壁までのコースになります。ナショナル・トレイルのなかでも、高低差がないので、私たちのようながんばらないひとたち向きです。本日のコースは、ロンドン西南部にあるパトニー・ブリッジからキュー王立植物園脇を通り、リッチモンドまでの10マイル(約16キロ)になります。川の流れとは逆に歩いて行く、ちょっと肌寒くなってきた秋の紅葉狩りとなりました。 こちらは、コーチが檄を飛ばすボート  お天気は、あいにくの曇り。でもこのグレー色が、ロンドンぽいかも。そんな天気の中でもロンドンっ子たちは、散歩したり、チャリ乗ったり、ジョギングしたりと元気です。川には、ボートが次々と運び出されていました。ここは、毎年4月に行われるオックスフォード大 vs ケンブリッジ大で競われる伝統のボートレースが開催されるエリアで、次の試合に向けて練習しているようです。 昔サッカー日本代表の稲本潤一選手が所属していたフラムFCの本拠地・クレイヴン・コテージが見える  ジルちゃんは、長年勤めたロンドンでの仕事を辞めて、ブリストルに移り新たな生活をスタートさせます。今回の旅は、慣れ親しんだロンドンを離れる前に、一度自分の知らないロンドンを見てみたい。そんな彼女の思いがありました。 緑と金色が美しいハマースミス橋。橋のデザインを見て歩くだけでも、面白い そのハマースミス橋の下を通るランナー。頭、気をつけて!!  川近くまで、ちょっと降りてみた。石がゴロゴロ 途中水近くまで降りてみました。ロンドン中心部あたりだと砂がメインなのに対して、この辺りになると石がゴロゴロ。多少上流に上ってきているんだなとわかります。川幅も徐々に狭くなり始めました。 手を繋ぐカップル。年なんて関係ない!! 若者だって紅葉狩り 川沿いの大きな木々が、色とりどりのアーチを作り出している 川沿いでは、紅、黄、緑に染まった木々の中、週末のひと時を夫婦や仲間と散歩しながらのんびり過ごす姿がありました。今回は本格的な装備をしたハイカーは見かけず、手ぶらで散策しているひとたちが多かったです。たぶん地元のひとたちでしょう。ジョギングしているひとたちは、若いバリバリのビジネスマン&ビジネスウーマンたちが中心で、仕事もプライベートも充実させています!と言わんばかりのパワフルさ。スポーツファッションに身を固め、落ち葉を蹴りながら颯爽と走り抜けていく姿が、散歩族とは対照的でした。トレイルの一部はサイクリングも可能で、20代から50代の男性中心に、フル装備でロードレーサーに跨り、結構なスピードで走っていきます。ボーとしている我々ふたりは、何回もチャリンチャリーンとベルで警告され、慌てて避けていました。 ナショナル・トレイルとしてスルー・ハイカーが歩く道であり、地元のひとたちがふらっと歩く道でもあるテムズ・パス。その上、ジョギングやサイクリングする人たちも加わり、それぞれの目的で好きなように利用している。道は、人々に使われてこそ道になり得るんだと、「道」の存在というものを観察しながら考えていました。 りっぱな標識。重厚感があります 昼食後の散歩か、仲間同士四季を楽しむ 英国の紅葉は、日本とは違った趣があります 水上では、若者が檄を飛ばされながら、必死にボートを漕ぐ姿が。女性チームもいました。「寒そうだし、鼻水垂れそうだし、きつそー。絶対にヤダ!!」「あっ、でもあれ見て。あのボートに座っている女性なら、私にもできそう」などとふたりで、歩きながら冷やかしていました。 サギが見守る中、ボートの猛特訓。寒くないの!? ダッチ・バージと呼ばれているオランダ版はしけ。遊覧用であったり、運河などでは住居として使用されている 大英帝国時代、ロンドンが貿易の中心地となり、このテムズ川は世界で一番交通量の多い場でした。時代が変わり、交通路としての役目をほぼ終えて、今はレジャー目的の船が、行き来しています。最新式のクルーザーもあれば、昔の船を改造したものなどもあり、時代は違えど、活気があったテムズ川の面影がうっすら感じられます。トレイル歩き同様、水上でもそれぞれの目的で好きなように遊び、実に楽しそう。こうするべきといった流儀や流行りはなく、みなが公共の場において必要最低限のルールをきちんと守りながら、お互い干渉せず、秋のクルージングを通して四季を謳歌している。我が道を往く英国人らしさが、そこに表れていました。 グッバイ、ロンドン。別れを惜しむ、ジルちゃん  ぶらぶらしているうちに、だんだん道が賑やかになってきました。どうやらリッチモンドに到着したようです。高級住宅街地域のリッチモンドには、ポッシュなお店も沢山あります。買い物帰りのひとたちが秋の夕涼み!?なのでしょうか、人々がお茶やビールを飲んでいたり、川辺に座り話をしていたり、ただぶらついていたり。私たちもビールで乾杯し、ジルちゃんの門出を祝いました。  しょっちゅう見ていたテムズ川ですが、今回ほどこの川をじっくり眺め意識したことはなかったです。というか、川沿いをここまでじっくり時間をかけて歩いたことが初めてで、違う角度で見慣れた風景を見る面白さを発見し、今まで持っていたロンドンのイメージを少し変えたように感じます。ロンドンのシンボルでもあるこの川は、数千年前から人々の暮らしの中にあり、今も変わらず大きな存在であり続けているようです。そして、遠い昔の人たちも歩いたであろう道を辿ることで、僭越ながら私自身もその長い歴史の一部になれたような気がしました。 26th October 2014, Sat @ The Thames Path (Putney Bridge to Richmond), London トレイル情報: デムズ・パス www.nationaltrail.co.uk/thames-path Rhoebe Clapham, Thames Path in London (Aurum Press, 2012) 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...