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トレイル関係者に向けて、英国におけるトレイルの現状や保全について、掲載しております。また、専門用語集も掲載予定。

歩くことが好きでたまらない英国人たち  ここ10年、世界中で「歩く」ことが再注目されています。デジタル革命により、価値観や生活スタイルが大きく変化する中、時間と情報に追われ続ける人々が、このもっともプリミティブでアナログな行為に、ある意味救いを求めているように見受けられます。この新たなムーブメント、実は昔にも同じようなことが起こっています。18世紀後半、産業革命の時代です。そして、そこから200年以上の月日をかけて現在にいたるまで「歩く」ことに並ならぬ情熱を持ち、一大文化までに発展させた国があります。それが、今私が住んでいる英国です。私は、たまたま英国人男性と結婚して、英国の田舎に住んで15年になります。住み始めてある日、「いつでもどこでも散歩している人が多いな」と気づき、「これは、なんなんだろう?」と疑問を持つようになり、日々観察してきました。今回は、いち日本人主婦の私が、彼らにとっての日常生活上でのウォーキング、「散歩文化」について、お伝えしたいと思います。  ここにひとつ、興味深いデータがあります。日本観光庁の2019年訪日外国人消費動向調査で、一般客一人当たり旅行支出を費目別にみると、中国の方々の買物代、5万3千円が最も高いです。ただ、 宿泊費は、英国がもっとも高く10万3千364円。飲食費、娯楽等のサービス費も、英国人が一番消費しています。訪問者数は、中国などのアジアに比べると圧倒的に少ないにもかからず、日本にかなりお金を落としてくれていっている、ありがたい国であることがわかります。では、彼らは日本でお金を使って何をしているのか。Experience=体験です。何かモノを買って得るのではなく、日本という東方のミステリアスな島国に滞在して、見て、聞いて、触って、食して、日本文化とは何か、日本人がどんな生活をしているのか、自分の体を通して理解を深めていこうとする体験型の旅です。それには、どんなスタイルの旅を彼らは好むのか・・・。すばり歩く旅です。  そんな英国には、大きく分けて2つのウォーキング文化があることを、ご存知でしょうか?ひとつは、日本でも慣れ親しみのあるアルピニズム。登山をメインとした、スポーツ要素満載の歩き。登頂、成功、制覇、踏破、達成という言葉が聞こえてくる、大きな目標、目的がある歩きです。もうひとつは、目的がまったくない野山歩き、ただ軽くその辺りをウォーキングするスタイル。つまり散歩です。とにかく彼らは、しょっちゅう散歩をしています。Sport England Active Livesによると、2019年、イングランドでは、週に2回以上、散歩するひとが1千9百60万人。人口比率でいうと35パーセント。この数字は、日常生活での歩きのみで、旅行や登山などの歩きは、含まれていません。しかも、去年一年で50万人増えたそうです。スコットランドでは、Sports Scotlandが2018年に調べたところ、人口の68パーセントが30分以上のレクリエーション歩きをしていると答えています。今ちょっとした散歩ブームです。世界の散歩人口の比較データがあるのかわかりませんが、英国は多分世界で一番散歩する国だと思われます。  では、その彼らの散歩、どんなものかといいますと、ガンガン歩きまくる・・・といったアルピニズム的なものとはまったく違い、ぷらぷら、ぶらぶら、ふらふら家の近くや旅行先で歩きます。散歩や散策をしていると日本語では言えるのですが、ちょっとニュアンスが違うように、私は感じます。彼らは、歩いてどこかへ行こうとか、歩くことで何かを得ようとか、はっきりとした目的はなく、彼らは、ただただ、街中や、自然の中を歩いているんです。頑張って歩こうとは一切思っていない。散歩に飽きたら、家に帰るし、途中で疲れたら、パブに寄って飲んでしまう。物見遊山という言葉が一番彼らの散歩スタイルに近いかもしれません。彼らは、歩くプロセスそのものを大切にしているようです。 英国を代表するナショナル・トレイルの一つ、サウス・ウエスト・コースト・パス  そのためでしょうか、英語で歩くを意味を指す単語、みなさんに馴染みのあるWalking Hiking Trekking以外に、Strolling, Roaming, Wandering, Ambling, Rambling, Scrambling, Stamping, Hillwalking, Fellwalking, Bushwalking, Tramping, Puttering, Sauntering, Mooching, Meandering, Moseying などなど、たくさんあります。意味は、それぞれ微妙に違いますが、ざっくり言うと歩くという意味になります。それだけ、彼らが歩くという行為に関心を寄せている。日常的な行為であり、意識を高く持っていることが、単語の数ひとつとっても、言えるのではないでしょうか。  そんな英国の散歩は、具体的にどんな感じか。まず、私の体験をお話しします。私が15年前に主人と結婚して英国に住み始めた頃、犬を飼いました。ジャックラッセルテリアという、小さい体にターボエンジンを兼ね備えた、エネルギッシュな犬です。そのため、毎日しっかり散歩に連れて行かなくてはならない。そこで、主人と一緒に散歩に行くようになったわけですが、私も日本で犬を飼っていたので、犬の散歩には慣れていました。ただ、毎日毎日主人と歩きに行くごとに、なんだか、今まで私が体験してきた犬の散歩とは、違うのです。まず、近所の原っぱ、農地、森、丘や川の岸辺など、毎日違うエリアへ家から車で行く。そこに到着するなり、日本で馴染みのかっこいいウォーキングブーツではなく、深緑のゴム製の長靴に履きかえる。そして犬をリードから放ち、犬も人間も歩きたい方向に勝手に歩いて行くのです。例えば、日本人の私は躊躇してしまう、膝ぐらいまで伸びた麦畑のど真ん中を、突っ切っていったり、放牧されている羊がいる中を平気で歩いたり。時には、人様の庭に入って行ったりするのです。これには、驚きました。しかも、長靴は、夏には、蒸れるし、冬になるとは、泥だらけになるし、歩きにくい。さらに、仕事がどんなに忙しくても、一回に最低45分、長い時は2時間ぐらい犬の散歩に、毎日行きます。天気もまったく気にしない。「今日は、寒いし雨も強そうだよ」と長い散歩やめようと提案する私に、「へっ、それがどうしたの?」とかまわず、主人はどんどん歩いていってしまう。「このダサくて、チープな散歩は、なんなんだ?」と。ヨーロッパでは、もっとオシャレに犬と歩くイメージがあった私ですから、戸惑いました。「へんなひとと、結婚したんだ」と思っていたら、彼の家族も全く同じことをしている。「今日はどこかへ飛ばされるぐらい、すごい風ねぇ」とか、「暑くて、汗だくになりそう」といいながら、義理の両親も、毎日ぶらぶら歩きに出かける。そんなこと言うなら、行かなきゃないいのにと、鬼嫁の私は思うのですが・・・。「変わった家族なんだな」と納得しようとしていたとき、ふっと気づいたら、そうゆう変人たちが、大勢外を歩いていたんです。これは、ただごとではないぞと思いました。そこから、英国のウォーキング文化に興味を持ち始めたのです。 歩く行為が文化へと発展する  この文化がどこからきたのか、多くの研究者が語っていますが、私は、やはり彼らが狩猟民族であることが、大きいのではないかと考えます。英国人は、中世からハンティング、シューティング、フィッシングといった野外で遊ぶことを楽しんできました。特に王族、貴族がこれらをレクリエーションとして、発展させてきた。散歩も昔は、お金と時間が有り余っている上流階級のすることでした。英国において、スポーツと言う言葉の概念は、この「遊び」からきている。日本では、わざわざアウトドアスポーツといいますが、彼らの感覚としては、スポーツのベースには、「野外でアクティビティをする。思いっきり遊ぶ。」楽しいイメージが根本にあるように思います。そして、18世紀末ごろに起こった産業革命により、その野外活動が一気に一般に広がり、労働者階級のひとたちも、過酷な仕事や生活環境からリフレッシュしたいと強い思いを持ち始め、自然のある場へと足を運び、それが一大ブームになっていきました。彼らにとって、歩くことが、ただの交通手段から、レクリエーションになったわけです。そしてスポーツの概念もコンペティション、フィットネスといった要素が加わったことで、歩く文化が、ひとつは、アルピニズムへと発展していった。その一方で、昔貴族がおこなっていた、ぶらぶら歩く散歩も、気軽に自然と触れ合えるということで、同時に独自の発展をしてきて、今にいたる。英国の面白いところは、両方を究極までに発展させたことです。これは、他のヨーロッパではない特徴です。  ただ、「歩るいてリフレッシュしたい」というマインドだけでは、散歩文化は発展しません。歩ける場所が必要となります。彼らは、行動に出ます。それが、今まで通勤、通学などで使用していた歩行者専用道路フットパスを、レクリエーション用途に使えるようシステムを変えようと努力します。そして、戦後まもなくPublic Right of Way通行権を法で保証し、全国で登録されているフットパスを守れるようにしたのです。現在、このフットパスが、英国全国津々浦々、毛細血管のようにあります。イングランドとウェールズにある全フットパスを合わせると、約22万キロ。 スコットランドは、約1万6600キロ。まだ登録が完了していない歩道もありますので、今後さらに伸びると思われます。合計すると、だいたい地球を、軽く6周できるぐらいの距離になります。  今日では、先人のおかげで、地元の人々が、それぞれのスタイルで、フットパスを利用しているわけです。そのフットパスを繋げて、長距離トレイル(彼らはレクリエーショントレイルと呼びます)を作り、内外から人々が歩きにきています。ただ、あくまでも、すべてフットパスがベースになっている。長距離トレイルをわざわざ作ってはいません。そして、そのフットパスを地元の人が歩くからこそ、フットパスが残り続ける。長距離トレイルは、それの延長線上に存在しているだけなのです。必要とあれば、地元の人々で道のメンテナンスをする。イギリスはチャリティー大国ですから、彼らの力も借りる。ただ、ベースにあるのは、人がコンスタントに歩かなければ、どんなにりっぱな道でも、消えていくということです。メンテだけでは、だめなようです。 家族全員で散歩する姿は、英国でよく見る光景  さらに、限定されてはいますが、道によっては、トレランを含めたランナー、サイクリスト、乗馬、車いす、ベビーカーなども通ることができます。みんなで、道をシェアし、アウトドアの楽しみを共有しあっているわけです。そのあたりは、みな平等にと考える、英国らしさがあります。例えば冬、馬が通過したあとの道は、凸凹になり、ぬかるみ、馬糞が落ちています。でも、誰も文句は言いません。犬のフンは、家畜や野生動物の健康への悪影響を考え、きちんと持ち帰るよう、厳しく取り締まっていますが、馬糞は害がないので、いいそうです。田舎では、車道にも落ちていますが、誰も気にしない。放牧地も同じです。牛や羊の糞がそこら中にありますが、みな平気で歩いている。靴に付けば、あとで洗い流せばいい、もしくは、その靴を外においておく。その点では、おおらかなんです。田舎のパブでも長靴姿は、普通です。ただし、長靴オッケーのパブも、泥はきちんと落としてから。その辺のエチケットはあるようです。  そんな彼らの歩く格好も、まちまち。アウトドアギアやハンティングブランドの服で、ビシッと決めた人もいれば、その辺のスーパーで買ってきた長靴とウェアで歩く人もいます。背負ってるリュックも何かの景品で当たったかのような、ヨレヨレなものだったりもします。私の住んでいるところは、ヒッピーも多いので、裸足で歩いているひとも見かけます。ハロウィンやクリスマス近くだと、仮装して歩いているひともいます。千差万別。なんでもあり。こだわりがない。そして、法律で定められた歩く上での最低限のルールさえ守っていれば、誰も何も言わないし、気にしない。むしろお互いを干渉し合わないよう、ある一定の距離を保っている。プライバシーを尊重するひとたちです。  また、英国人の犬好きは知られていると思いますが、犬も多種多様。世界中の犬種が集まっているのではないでしょうか。とにかく、彼らは昔からハンティングバディーとして、犬と共に生きてきましたら、犬の散歩で歩く人は多いです。人間も、犬ものびのび歩いていて、実に楽しそう。そして、そのままパブに犬も一緒に行ってしまうのです。私の家の近所に、丘の上にある眺めのよいパブがあります。夏の昼間は地元の人と観光客でいっぱいになります。大人たちに連れられた子供と犬たちでごった返しています。きっと散歩ついでに寄ったひと、これから歩く前にランチと思っているひとたちです。馬で来る人もいて、芝生で馬が休んでいる時もあります。日本人の私は、驚きと共に、すごく平和な時間がすぎていて、幸せな気持ちになります。特に、EU離脱問題で揺れている英国で、こうゆう光景を見ると、少し希望が見えてきます。 英国散歩を充実させるツール  このような自由な歩きを可能する重要なアイテムのひとつが、地図です。自由といっても、どこでも歩いていいわけではありません。先ほど述べたようにフットパスを歩くことが、原則です。そのフットパスがどこにあるのか一発でわかるのが、英国陸地測量部が出している地図、OS Mapです。一番メジャーなのがExploreシリーズの2万5千分の1地図で全国を網羅していて、全部で403冊あります。この地図に、緑の点線ですべてのフットパスが表示されているので、どこを歩いていいのか、すぐにわかります。最近はスマフォなどのデジタル版も充実していて、紙とスマフォを両方を使って出かける人が多いです。読図が得意でない私のような素人でも、簡単に道がわかります。この地図は、マストアイテムです。だからでしょうか、このOS Mapに馴れ親しんでいる彼らが、海外に歩きに行くと、ちゃんとした地図がないことをよく嘆いているのを聞きます。 犬は英国ウォーカーたちの良い仲間  それだけ歩くことにパッションを注ぐ国民性ですから、ウォーキングに関する情報も充実しています。ガイドブックやウォーキング専門雑誌はもちろん、一般紙の日曜版の中にあるトラベルセクションには、内外のウォーキング体験の記事や情報が、ほぼ毎週掲載されています。全国紙だけではなく、地方紙、または地方自治会や町内会で出版している〇〇お便り的な新聞まで、おすすめウォーキング情報とフットパスの整備状況が必ず載っています。そして、観光案内所に行けば、〇〇Walkという散歩レベルから本格的ハイキングコース案内がありますし、ガイドウォークも盛んです。宿泊するホテルやB&B(英国版民宿)には、宿泊施設ご利用案内のファイル内に、施設利用の際のルール等の記載とともに、必ず周辺のフットパス、お奨めウォーキング情報が入っています。そのため、地元民だけではなく、必ずそこを訪れた人々にも、歩いてもらえるのです。 森の地図と動植物の情報を読んでいる親子  はじめに英国人は、ぶらぶら歩いていると書きましたが、ただボーと歩いてるわけではありません。彼らは、地元に関することをよく知っていますし、大変興味を持っています。あの植物がどうしてそこに咲いているのか、なぜあの石が鎮座しているのか、この教会は誰が建てたのかなどなど・・・。お硬く言えば、 地学、自然科学・人文地理学、歴史学、文化人類学、生物学、エコロジー、園芸、芸術など、自分の住んでいる地域を熟知しています。特に、歩くことが好きな人々(きっとその方々が日本へ歩く旅に来られるターゲット)には、それが当たり前のようです。これは、子供の頃からの学校教育の影響もあると思います。そして、歩いている間にそういったものをよく観察する。つまり、ひとりひとりが、それぞれフィールドワークしている。そして、それらについて、家族、友人、近所の人々、時には初めて会ったひととよく話をしています。暮らし始めた頃、私は「つまんない話だな〜」と退屈していましたが、これがのちのち、どれほど英国人にとって重要なことなのか、私は理解していくのです。これを密かに「半径2キロ圏内トーク」と私は言っています。この彼らの大事な社交が道でも、バプでも、家でも、スーパーでも、年がら年中、行なわれているのです。そして、彼らが旅行先でも求めるものが、そのフィールドワークのような体験型歩きなのです。己を知っているから、他人を知ることができる。海外も含め、旅行先で、自分の住んでいる地元の「 半径2キロ圏内」と、今自分が立っている地の「 半径2キロ圏内」とどう違うのか、比較して楽しむ。いつも興味津々です。この記事を読んでいる人の中には、ガイドの方々もいらっしゃるかと思いますが、欧米人たちをガイドする場合、もちろん英語を話せればビジネスは広がっていきますが、さらに連れて行く先々の地形、地質、歴史、動植物、建築、風土、地場産業などの知識があると、彼らから絶大な信頼を寄せられること、間違いないです。彼らは、そのあたりを、ガイドに求めてくると思います。 日本のトレイル文化の可能性  英国には生活に根ざしたウォーキング文化、散歩が全国どこでも行われいる唯一の国といっても過言ではありません。同じ島国の日本とは、西と東とで大きな違いがありますが、コンパクト、歴史が長い、自然愛が強い、独自の文化が発展、大陸国に対するプライド、古いものを大切にする、国立公園のあり方など多くの共通点もあります。この生活に根ざしたウォーキングは、日本でも大いに参考になるのではないかと考え、今回この記事を書かせていただきました。  日本は、英国以上に、とても豊かな自然と文化があるユニークな国であり、トレイルにおいても、ポテンシャルはかなり高いです。最近日本では、散歩関連の書籍やテレビ番組が人気を博ていると聞きました。ただ、歩くブームも一時的なものではなく、日本独自のトレイル文化へと発展できるよう、みなで知恵を出し合う必要があると思います。それには、それそうの時間がかかることを覚悟しなくてはなりません。英国でも、200年はかかっています。そのため、代々継いでいく人たちを育てるのは、重要です。そして、国内外からのトレイル利用者から学び、ハイブリットな歩く文化作りが必要だと考えます。それには、まずトレイルを管理している人たち、地元の人たちが、それぞれのトレイルをよく知ること。サポートだけでなく、自分たちでトレイルを歩き続け、常に状況を把握し、そして何よりもトレイル愛を育てて欲しいです。そうすれば、自然とひとびとが歩きに来たくなるトレイルになると思います。  新型コロナウィルスで、今世界は混乱状況にあり、この原稿を書いている時点では、今年の東京オリンピックが開催できるのかは、まだわかりません。開催できたとしても、インバウンドの波は、予測していたものより、かなり穏やかなものになるかもしれません。ただ、日本のトレイルが消えるわけではありません。また、世界中の日本を歩きたいと思う気持ちは、変わることはありません。すこし予定より時間がかかるかもしれませんが、きっとみなさんが歩きに来るはずです。  そこかしこで自粛ムードが拡大し、閉塞感と先行き不透明感によるストレスで、せっかくの春を迎えるのに、悶々とした雰囲気が漂っています。こんな時こそ、お金をかけず、手軽にでき、ウィルス感染のリスクも低い「散歩」で、リフレッシュするのは、ひとつのアイデアかもしれません。まずは、自分たちの身近なところから、歩いてみませんか。歩くことが、トレイル作りの基本ですから・・・。 【この記事は、安藤百福記念 2019年度事業報告書に(35から42ページ目)『英国人の散歩に見る「歩く文化」〜いち日本人主婦が見た英国流ウォーキング〜』として掲載されました。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

ロックダウン中、公共施設は、すべて閉鎖となった  2019年末からのコロナ禍。それに伴い英国では、2020年3月末からロックダウン状態になりました。  「ああ、どこかへ飛んで行きたい。」  ド田舎に住んでいる私には、さほど影響もなく生活しているのに、見えない緊張感と閉塞感で押し潰れそうになり、息苦しくなるのです。どこにも行けず、ただただ空を見上げ、籠の中から飛び立ち自由になる鳥の妄想をする日々が続きました。 ロックダウン後のフットパス  ロックダウン後、英国国内では車や飛行機の交通量が減り、大気汚染が改善され、ロンドンの二酸化窒素(NO2)量は、前年比で40%近くまで減り、全国の騒音が50%減った*1と報告がありました。私の家の周りも、鳥たちの鳴き声が響き渡り、遠くから羊の親子が呼び合う声がはっきりと聞こえてきます。星空はいつもより鮮明に見えるし、フクロウのホーホーと鳴く音が、妙に心を落ち着かせてくれます。そんな自然の癒しで少しでもリフレッシュしたいと、外を散歩したり、サイクリングしたりする人たちが通常の3倍ぐらいになり、フットパスはちょっとした混雑状態。今まで近所を散策したことがないであろう人たちの姿をたくさん見ました。ある友人は、「40年近く住んでいるこの土地で、今まで一度も歩いたことがなかったフットパスがあったけれど、今回初めて歩くことができたよ」と言っていました。 コロナ禍で、医療従事者に対する敬意と配慮が重視され始めた  YouGov pollによるとロックダウン中74%のひとが、何らかの運動したと答えており、そのうち女性は10人中6人、男性は半数がウォーキングを選択したとのデータ*2があります。自分の周りにある自然は、人間にとっての非常事態とは無関係に、何事もなく進んでいくことに安心すると共に、人間だけがあたふたして置いてけぼり状態で、思わず苦笑いしてしまいます。それでも、みなが近所を散歩する姿は、先行きが不透明な今、何かを変そうな予感がして、微かな希望の光ように映ります。今課題になっているソーシャルディスタンスが、ただ感染予防という点だけでなく、今後人と人とのの関わり方と距離間を変え、人々がもっと外へと出て行く機会が増えそうな予感がします。 心身の健康保持とソーシャルティスタンスのため、ウォーキング、サイクリングをするひとが、圧倒的に増えた 私たちを影で支えている人たちを想う ヘリコプターだけはロックダウン中も頻繁に飛行していた  そんな静かな空を見上げながら散歩していると、突然爆音が平穏を切り裂くかのように、ヘリコプターの姿が現れます。自宅近くには、ヘリ工場があり、基地もあるため、よく飛行していくのです。ロックダウン中でも、多い時には1日20機ぐらい飛んでいきました。飛び越していくヘリの姿を、私は無意識に毎回目で追いかけてしまいます。18歳の夏、山小屋で1ヶ月住込みでバイトをしたことがあり、ヘリが物資を運んだり、人命救助にあたる姿をよく見ていました。そのため、ヘリはライフラインであり、最前線で戦うものと私の脳みそに刷り込まれてしまっているのです。誰かの命を守るため、日夜私たちの健康と安全な生活を守るために、飛んで助けに行くヘリを眺めながら、感謝の気持ちと共に、私はこんな能天気にしていていいのだろうかと、複雑な気持ちになります。今回のパンデミック下では、財力、権力、テクノロジーがそれほど役に立たず、近年社会からぞんざいに扱われてきた、医療、福祉、食品小売業、物流、第一産業など生活の基本となるものが、一番大切なんだと思い知らされました。どれだけの人たちが影から支えてくれていて、私たちの当たり前を成立させているのか、改めて考える必要に迫られているように感じます。 医療従事者に感謝の印として、子供達が描いた虹の絵を窓に貼っているのが、そこら中で見受けられた 近所の子供達の虹アートに感化されて、私も前庭に色付けした柳と羊の毛で虹を作ってみた アウトドアスポーツは、危機管理能力を上げる  私がここで書いている「歩き」を含めたアウトドアスポーツも、高揚感、癒し、達成感を求め楽しむ遊びではありますが、一歩間違えれば、ケガや遭難事故で悪夢となりかねない、紙一重の細い線を綱渡りしているようなもの。そんな遊びを実現させてくれ、少しでも安全で楽しめるよう、見えなところで守り続けている人たちがいます。器具調達、ルート確保と整備、食事やトイレ、情報提供(地図・天気・ルートなど)、宿泊施設、万が一の時には救助など、実に多くの助けが必要となるわけですが、それらをサポートしてくださる方々の功績は表には出てきません。私のような凡人のぶらぶら歩きですら同じで、どれほどの支えがあって、無事に行えることができているのか、歩く旅ができない今だからこそ、振り返り思うのです。そして、そんな彼らに何か少しでも恩返しをしたいと思った時、自分に何ができるのか考えていくと、「危機管理」という言葉にあたりました。もちろん、ボランティア活動や寄付などで直接奉仕することも素晴らしいと思いますが、まずはその人たちの努力を無駄にしないように、ひとりひとりのアウトドアスポーツでの危機管理能力をもっと高め、行動することが、最低限必要だと考えます。なぜなら、場合によっては、自分の遊びによって、彼らに大きな負担をかけ、最悪命を奪うことにもなりなねない。リクスをすべて回避できずども、下げる努力は常に忘れてはいけないなと思います。  また、今回のパンデミックを含めた災害は、いつ起こるのか予測はできません。せめてできることは、災害などが起きた後に、周りにいる人間と協力して多くの人命を救助し、減災に努め、心身共々安定した生活へ戻せるかが重要であり、それしかコントロールできないのが、人間の限界だと思います。「想定外」のことが起こるのは、想定内なんじゃないかと。1995年に起きた阪神淡路大震災の時に「救出してくれた人は誰か」という調査で、自力が35%、家族に32%、友人・隣人28%、通行人2%、これらを自助、共助と呼び、合わせると97%となります。それに対し警察や自衛隊などの緊急時の救助を業務としている組織による助けは、公助と呼ばれ、それはわずか2%という結果*3がでています。災害が大きければ、公助には限界があり、政府や自治体に頼っていては命は救えず、自分たちで何とかしなくてはならない。今回のコロナ禍でも、改めて確信しました。それに、危機とは災害だけでなく、個人の日常生活上でも、いつ何時でも起こりえるものです。そのためにも、日頃から「危機管理」のトレーニングをしておく必要があるということだと思います。それができる場は、予測不可能な自然を相手にするアウトドアスポーツなのではと、素人の直感レベルですが、感じています。 自然災害大国日本が、世界にできること ピーク・ティストリクトでのトレラン大会にて、緊急時のために待機していたチャリティー団体、Mountain Rescue England and Walesのスタッフ。彼らのような人たちの助けを忘れずにいたい  そしてさらに図々しい主婦の私は、日本こそが危機管理能力向上トレーニングの最適な場となり、世界をリードしていける可能性があるのではと、勝手に大きな絵を想像しています。なぜなら、日本は世界有数の自然災害大国だからです。それを自慢することではありませんが、日本の自然、社会、そして文化は、この自然災害に良くも悪くも大きな影響を受けて成り立っている以上、それを一つの特徴とし、その経験値を生かして、リスク、そしてクライシスマネージメントの点から世界に貢献する役割があるように感じます。例えば、東北被災三県に2019年にオープンしたみちのく潮風トレイルのような、災害をひとつのテーマとして織り込むアウトドアスポーツやツーリズムによって、被災地を訪れ、経験談を聞き、今そこで生きていこうとしている人たちと交流することひとつとっても、危機管理意識の啓蒙活動に繋がるような気がします。トレイルのような歩く旅の醍醐味のひとつは、自分、他人、そして人と自然の見えない繋がりを日常を離れてじっくりと再確認することです。それは、危機管理を考える上で大事なベースにもなりえます。 7月14日に行われたWorld Trails Network代表ガレオ・セインツ氏のネット公開インタビューの様子  ということで、私のような素人は、まず読図、ナビゲーション能力、応急処置法、ケガをしない体力づくりあたりから、危機管理能力アップを始めてみようと思います。そして、歩きまくる。歩くことは、災害避難の基本です。先日World Trails Network代表のガレオ・セインツ氏の公開インタビューがネット上で行われ*4、今回のパンデミックによる災害や自然災害の観点からも、安全で楽しめる歩く場がさらに求められるようになり、今後の街づくりにも大きな影響を与えると言っていました。  ということで、まず歩こう!!影にいる人々に感謝しながら・・・。 * World Trails Networkが、新型コロナウィルス下でのトレイル利用と運営についてのガイドラインを世界に向けて発表しました。ぜひ参考にしてみてください。 Covid-19 and Trails Guidelines For Trail User Safety and Trail Protection 参照: *1 British Geological Survey Press Release, 9th April, 2020 *2 YouGov, Changing consumer landscape:  Sports, dieting, and exercise, 21st May, 2020 *3 日本火災学会、1995年兵庫南部地震における火災に関する調査報告書 *4 World Trails Network Chair - Galeo Saintz, webinar interview with the Abraham Path Initiative, 14th July, 2020 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

国の遺産相続、ややこしや  「遺産相続」と聞いただけで、ややこしや、ややこしや。トラブルの火種、業と業のぶつかり合い、ドロドロした人間模様。サスペンスドラマやワイドショーにもってこいの題材であります。他人事として見ているぶんには楽しいですが、当事者となると、えらいこっちゃ!これは国の遺産レベルでも同じ。次世代に残そうとする者同士、または受け継ぐ者同士でごちゃごちゃと揉めることは、よくあることのようです。この場を守っていきたい熱い気持ちは同じなのに、その方法論が全く違うため、地元民を巻き込んで政治論争へと発展。さらにややこしいやなのです。 ドライストーンウォール(Dry Stone Wall)と呼ばれる石積みの壁に囲まれた牧草地。湖水地方の風景には欠かせないもの  今回取り上げる国の遺産の舞台は、英国のカントリーサイドの代名詞的存在であり、日本人観光客にも大人気のThe Lake District ー 湖水地方です。氷河によって形成された美しい山と湖、独特の石造りの家々、放牧された牛や羊たち。それらが醸し出す牧歌的でノスタルジックな魅力あるこのリゾート地が、なぜか論争の場となっています。それは、2017年ユネスコ世界遺産への登録という、ある人々には大きな希望、ある人々には嬉しくない遺産相続の形となったからです。そんな熱い現場へ、登録直後早速行ってきました。 なぜ、湖水地方は世界文化遺産? [osmap markers="SD4138598631!red;湖水地方" zoom="0"] [osmap_marker color=red] イングランド北西部 湖水地方 ウィンダミア  湖水地方が世界遺産に登録されたというニュースを聞いた時、「なんで今さら世界遺産なんだろう」というのが、正直な私の感想でした。18世紀産業革命初期から今に至るまで、この風光明媚な地は、人々を魅了続けてきました。1951年に国立公園に指定されてからは、さらにその勢いを増し、2017年度の観光客数は、1917万人*1にまで上り、2018年は、2000万までいくとされています。2016年に訪日外国人観光客が2000万人突破したことがニュースになっていましたが、それとほぼ同じぐらいの数が、限られた地域を毎年訪れていることになります。そのためハイシーズンに宿を予約するのは困難で、しかも高い。車の渋滞や駐車場、環境への負担やゴミの問題なども深刻で、地元民の生活への影響が懸念されています。 英ロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース。偉大な詩人、環境保護思想の原点を生み出した人物として、欧米では評価されている。ワーズワース博物館にて  多くの人たちが訪れるということは、想像以上のインパクトを、正負両方面から受けることになります。18世紀から地元では、この正負のバランスをどう保ち、この場を守っていくべきか、常に議論されてきました。湖水地方出身で、英国を代表するロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースは、1835年に出版された"A Guide through the District of the Lakes in the North of England "(湖水地方案内)*2の中で、湖水地方のことを、"a sort of national property, in which every man has a right and interest who has an eye to perceive and a heart to enjoy" ー 見る目と楽しむ心を備えたすべての人が権利と関心を持つ、一種の国民的財産である(小田友弥訳、2010)。ワーズワースは、時代の流れや外からの影響には逆らえずとも、国民的財産であるこの地が持つ美を損なわないよう、みなが努力する必要があると説いています。この一節は、今でも英国の環境保護思想の原点とされており、そこから自然・文化景観保全の概念、ナショナル・トラスト運動、国立公園構想が派生し、世界へと広がっていきました。この国民的財産の考えが巡り巡って、1972年の世界遺産条約に繋がったと言えなくもないわけです。そんな本家本元が、なぜユネスコ世界遺産に登録されることに、そんなに一生懸命になるのか。過去二度失敗し、三度目の正直の今回、ようやく文化遺産として獲得したこのステイタスに何のメリットがあるのか、不明でした。 その名の通り、湖が多く点在しているため、ハイキングやサイクリングだけでなく、ウォータースポーツも人気 グラスミアにあるダブ・コテージ。ワーズワースの代表作『水仙』は、ここで書かれた  そんな疑問を持ちながら、9月末の秋、湖水地方観光ホットスポットのひとつであるウィンダミアの駅に降り立ちました。湖水地方は、「景観設計の発展に重要な影響を与えた、価値感の交流 (登録基準 ii)」、「あるひとつの文化を特徴づけるような土地利用形態 (登録基準 v)」、「顕著な普遍的価値を有する芸術作品、文学的作品 (登録基準 vi)」の三つの基準を満たし、世界文化遺産として登録されました。ざっくり言うと、1)18世紀から続く環境保護思想、2)1000年続く自然と調和する畜産業、3)湖水地方の自然賛美から生まれたロマン主義、この三点の伝統文化が世界遺産として今後保護されるべきと認められたということです。この三点がどのようなものなのか、少しでもヒントが得られればと思い、まずは、ウィリアム・ワーズワースが住んでいたダヴ・コテージ、そして絵本『ピーターラビット』の生みの親であり、湖水地方環境保護活動家でもあったビアトリクス・ポターが晩年住んでいた、ヒルトップに行ってきました。世界中からの観光客で溢れる名所を、なぜわざわざ訪ねたか。湖水地方を深く愛した二人が、それぞれの創作活動する中で、湖水地方をどう捉え、どのようにこの国民的財産(遺産)を残していきたいと考えていたのか、少しでも感じ取れるかもしれないと考えたからです。 二人のレジェンドを訪ねて、答えを探してみた 大雨の中のヒル・トップ。それでも、多くの人たちが訪れていた  天気はあいにくの雨。ハイシーズン最後の週末にもかかわらず、ダブ・コテージ、ヒル・トップ共に人が集まっていて、見学待ちをすることに。ハイシーズン真っ最中だったら、一体どれだけ待つことになるのだろう。考えただけで、ぞっとします。ダブ・コテージは、ワーズワースの作品はもちろん、彼と交流があったロマン派の作家たちの作品保管と研究をしているチャリティー団体、ワーズワース・トラストが、ヒル・トップは、湖水地方で誕生し、ポターも支援者であった英国最大のチャリティー団体、ナショナル・トラストが管理しています。家内のガイドはすべてボランティアが行なっていましたが、皆プロ意識が強く、ジョークを交えながらも二人それぞれの人物の興味深い話を聞かせてくれました。学校の教科書や絵本でしか触れていない、遠くにいるレジェントたちが、私たちと同じように仲間と食べたり、飲んだり、散歩したり、自然を愛でたりしながら、インスピレーションの宝庫であるこの地で創作活動していたことを聞くと、存在がとてもリアルに思えてくるから不思議です。難しいことは理解できませんが、それでも二人の原稿や原画を見ていると、この土地への愛と守りたいという強い気持ちからくる使命感が溢れ出ていました。 決して標高は高くないが、崇高感がある湖水地方の山々  そんな二人の面影を感じ取りながら、家の周辺を3時間ほどぶらぶら歩いていると、なんだか彼らと繋がっているような気分になってきます。雨の中でも湖水地方は、幻想的な空気を織りなし、紅葉した落葉樹が、豊かな色彩を奏でていました。服も靴もびっしょり濡れて不快に感じる体は、この土地が持つ魔力に麻痺させられているのか、ずっと歩いていたい気持ちが抑えられず、足を止めることを忘れていました。確かに"Picturesque Scenery" 「絵になる風景」が、そこにはありました。何気なく感じているこのPicturesque (ピクチャレスク=絵のような)という審美上の理念は、ここで開花したロマン主義が残してくれた遺産です。 放羊は、畜産業?それとも、観光産業?  空、山、緑、水がある湖水地方の風景は、柔らかさと荒々しさが混在していて、どことなく日本の自然美と通ずるものがあります。今まで訪ねた英国の他の地域にはない親しみを感じ、とても新鮮です。いつまでもボーと見ていられる飽きのこない世界。ただ、日本ではお目見えしないものが、ここにはあります。ドライストーンウォール(英国式伝統石積み)で囲まれた牧草地。そこに、牛や羊が放牧されている光景です。英国の典型的な田舎の風景で、日本人が里山に対する郷愁と似たものが、ここにはあります。世界遺産でも、この地方で代々受け継がれてきた、山を生かした畜産業が評価のひとつとされました。ですが、これが問題だと指摘する方々がいます。畜産業なのに、畜産業の体をなしていない。産業としてすでに廃れていて、観光イメージ保持のためだけに、国やEUから援助を受けながら放牧を続けていることが、なぜ世界遺産に値するのか疑問の声が上がったのです。 放羊は、湖水地方になくてはならない存在と考える人が多いようだが、維持するには苦労が尽きない(注:写真の羊は、スワリデールという別の種類。ハードウィックは、撮り逃した。残念!!)  その象徴となるのが、湖水地方原種の羊、ハードウィック・シープ(Herdwick Sheep)です。この地方にしか生息しない希少種で、絶滅寸前であったところを、印税などで財を成したビアトリクス・ポターが、ナショナル・トラスト創立者のひとり、ローンスリー司祭と共に、この羊の保護に力を入れていきました。ハードウィック・シープは、湖水地方の厳しい自然の中でも生き延びることができる性質を持っていますが、逆に成熟するのに時間がかかり、羊毛も固く、激しい価格競争内では採算がとれず、農場から姿を消していきました。それでもこの希少種は、湖水地方の環境にはなくてはならない存在であると考え、ポターとローンスリー司祭の意思を継ぎ、ナショナル・トラストが後ろ盾となり、地元農家に協力する形で、保護活動を進めてきました。その後も、ナショナル・トラストやEUからの助成金を受けながら、グローバル経済、口蹄疫問題などをなんとか乗り越え、飼育されているのが現状です。ここの土地は耕作には向かず、そのために牧畜が発展してきましたが、このハードウィックをはじめ羊を飼う目的が、本来の製品価値より、観光のための景観保護という付加価値の要素がどんどん上回っていったのです。そして最後のひと押しが、世界文化遺産登録だったようです。 迷える子羊、湖水地方  私なりに見たり聞いたりしていくうちに、もしかして、今の湖水地方は、大きな壁にぶち当たっているのかも・・・? 彼らには、自然と人間の関係を時代の流れに押されながらも、より良いバランスを模索してきた豊富な経験とプライドがあります。そんな彼らが、新たな時代の価値観の前で、どちらに舵を切るべきか、もがき続けている。客を増やしたい。経済を活性化させたい。でも、観光資源は破壊したくない。新たな産業を発掘したい。でも、従来の農業も守りたい。便利な暮らしがほしい。でも、自然美を失いたくない。いろいろ欲張りすぎて、前に進まない。そんなどっちつかずの状態が続いている。素人の勘違いかもしれませんが、私にはそう映ります。 ワーズワースは、湖水地方の美を損なうカラマツの大規模植林を嫌っていた。今は、それに代わり北米原産シトカトウヒの植林が行われている。彼から厳しい声が聞こえてきそう  上にあげた羊の例ひとつとっても、そうです。エコロジーへの関心が高まっている今日、放牧を湖水地方の景観のひとつとして、助成金にどっぷり浸かりながら継続していくべきなのか。生産性のない家畜の数を減らし、森林を育てていくことが自然を守ることなのか、世界遺産登録後の現時点でも、議論は続いてます。保守系の新聞が、「英国は農業国だった歴史が長い。湖水地方の畜産業を保護するのに、何の疑問もない」と言えば、リベラル系の新聞が、「世界遺産登録は、放羊を推奨し、湖水地方をビアトリクス・ポターのテーマパークにしようとしている」と意見がぶつかり合い、イングランドの南北経済格差、EU離脱問題まで話が広がっていきます。  また、国民のための自然とレクリエーションの場としての国立公園の位置づけと、自然の中から発展した独自の文化を保護する世界文化遺産の間では、微妙にヴィジョンが異なります。観光やレクリエーションの要素を盛り込みながら、同時に環境も文化も守る。いい塩梅をどうやって保つのか具体的に見えてこないですし、二つの方向性内で解釈の食い違いもあるようです。他にも、観光重視の美しいカントリーサイドに徹っしていくのか。地元民が受ける観光公害や利便性が後回しになるジレンマをどう対処していくのか。緊縮財政やEU離脱による助成金削減をどう補うのか。全国の中でひとり当たりの年収が低い現状をどう打破していくのか。舞台裏では多くの疑問と意見が飛び交い続けています。 ロマン派の画家により、湖水地方の「絵になる風景」が多く描かれた  今回の世界遺産登録は、そんな多くの疑問と意見を消化しきれないまま、一部の力ある人たちで見切り発車させたのではないのかと、勘ぐってしまいます。いずれにせよ、世界遺産になったことは、ひとつのきっかけであり、この地域社会が生き残っていけるか、これからの方向付けが勝負になるように感じます。自然の中で育まれてきた文化が世界的に評価された。しかし、自然と文化が時には対峙してしまうこともあり、うまく調和しながらこの地の魅力を保つことは、難題です。きっと世界遺産に登録された地域どこもが抱える問題なのかもしれません。現地が抱える理想と現実の間で、地域住民や常連客の声を拾い、話し合いを十分に重ねることで、迷いや戸惑いが徐々に消えていき、10年、20年後には壁を乗り越え、進むべき道が示さること期待しながら、湖水地方をあとにしました。その時はきっと、世界にまた新たな波を届けてくれることでしょう。  ウィリアム・ワーズワースやビアトリクス・ポターは、今回の世界遺産登録をどう思うのでしょう。彼らの思う理想の遺産相続とは・・・。今回の訪問では、私の勉強不足もあり、結局答えを見出せませんでした。今後の湖水地方の動きに注目しながら、宿題とさせていただきます。 参照: *1 Tourism facts and figures, Lake District National Park *2 William Wordsworth, A...

国の遺産と言われても、よくわからない  2018年2月平昌冬季オリンピック。日本人選手の大躍進で、日本では大盛りあがりだったようですね。日本において冬季五輪は、夏季ほど注目されていないイメージがありましたが、世界に通用する実力選手たちが、幅広くいろんな競技で活躍しているおかげで、立派なメジャーイベントにまで発展したようで、驚きました。これは、ひとつに長野オリンピックが残した遺産が、形になって現れた結果なのかもしれませんね。それと同時に、あの狭い日本の国土が、どれほどバラエティに富んだものなのか、物語っているとも感じました。夏季、冬季五輪両方での強豪国は限られ、大抵は大国です。例えば、同じ島国の英国は、夏季は強いですが、冬季は競技人口が少なく、ほとんどの選手は欧州に拠点を起き、自国でトレーニングできる環境がありません。冬季は、ウィンタースポーツの大会。つまり、自然の中で行われるのが基本にある、アウトドアスポーツです。それができる環境、雪山や凍湖があるのかが前提にあります。夏季、冬季両方のスポーツが楽しめる多様な土地が、ギュッとコンパクトに詰まっている国。世界にも稀に見るユニークなもので、日本の大事な遺産であると考えられないでしょうか。  さて、ここで2回も安易に「遺産」という言葉を使いましたが、そもそもこの最近よく耳にする「遺産」とは、なんぞや?とずっと疑問に感じていました。遺産=お金のイメージがまず先にきますが、よくメディアで見聞きする「遺産」は、それとはちょっとニュアンスが違うようです。英語では、国レベルの遺産という意味では、"Heritage""Legacy"と表現することが多いようです。前者は、歴史的・文化的な価値のある文物が、代々受け継がれていくもの。一番わかりやすい例は、UNESCO World Heritage、ユネスコ世界遺産。後者は、財産などの金銭的価値のあるもの、例えば、施設、インフラ、経済活動が、次へと受け継がれること。東京五輪誘致の際に、よく「オリンピック・レガシー」という言葉が使われていたのが、記憶に新しいです。しかし、日本語ではどちらも「遺産」と捉えるため、私の中でHeritageとLegacyの両方の意味が混在して、いまいち英語のニュアンスがわからない。そこで、「国の遺産」を英国ではどう捉えているのか、この目で直接確かめようと、家をと飛び出しました。 デヴォン州、シドマス付近。三畳紀の露頭が圧巻。約2億年前の地球の状態を教えてくれる赤褐色の層が、目の前で見れる  はじめに、Heritageを理解しようと、2001年から世界自然遺産に登録されているドーセットと東デヴォンの海岸、通称ジュラシック・コーストと、2017年に世界文化遺産へ登録されたばかりのイングランド北部にある湖水地方を覗いてきました。そして、Legacyでは、2012年に開催されたロンドン五輪のその後の街の様子を、観察してきました。世界遺産にしろ、ロンドン五輪レガシーにしろ、多くのレポートが専門家によって書かれていますが、今回は、一般の訪問者としてぶらぶら歩きながら感じたことを、素直に書いてみたいと思います。 世界自然遺産ジュラシック・コーストへGO! [osmap markers="SX9989181167!red;エクスマス" zoom="0"][osmap_marker color=red] イングランド南西部 エクスマス  まずは、イングランド南西部にある世界自然遺産ジュラシック・コーストへ。"Jurassic Coast World Heritage Site - 95miles of coastline ...

 「2017年総選挙、与党の保守党は過半数を獲得できず、宙ぶらりんの「ハング・パーラメント」。求心力を弱めたメイ首相、EU離脱交渉がますます困難に。」  6月8日(木)、英国下院議会・解散総選挙が行われた翌日、英国国内に激震が走りました。日本を含む世界へもこのニュースは流れ、去年行われたEU離脱を問う国民投票以来の注目を浴びました。市民権保持者ではない私には選挙権がないため、いち住民として、またある意味傍観者として、ことの成り行きを見守ってきました。そんな中、総選挙に絡んで、チャリティー団体の動きが活発になり、ちょっと気になりました。SNS上には、景観・自然保護団体、スポーツ・レクリエーション推進団体が、国政選挙に向けて、どんなアピールや政策提言ができるのか、団体が関心を寄せている諸問題を各党がどう解決していこうとしているかなど、連日フィードに投稿されていきました。 選挙運動期間中、連日私のフェイスブックのフィードには、チャリティー団体から選挙関連の投稿が・・・。© CPRE  私の勝手な思い込みですが、チャリティー(慈善団体)やNPO団体と聞くと、政治とは別枠、中立な立場で国がカバーできない部分を補い、市民のために活動をしているイメージがあったのですが、どうやらそうでもないようです。雇用、医療、難民、貧困、差別など国民ひとりひとりに直接関わることで、各党のマニフェストの焦点となる分野ならともかく、ウォーキング、サイクリング、乗馬などの、自然、スポーツ、レクリエーション、観光といった遊びは、生活に絶対になくてはならないものとは言い切れない(もちろん、必要だと思う方も多々いらっしゃいますが・・・)、政治とは別ものでは?これらの遊びは、もとは英国貴族から始まっており、生活(または心)に余裕がある人々が考えることなんだと、どこかで思っていました。地方や地域ベースだけでなく、国政レベルまでキャンペーンを展開するのは、やはりチャリティー大国ならではのことなのでしょうか。欧州でのチャリティーは、キリスト教の教えに基づく教会から起きた活動が元のようで、政治に関与することに、政教分離ではないけれど、なんとなく違和感があるのですが、国教がある英国は、日本とは状況が違うのかもしれません。毎日フィードに、絶え間なくアップされる投稿に 「こうゆうこと、するんだ・・・」とちょっと戸惑っていました。例えば、各団体の主張は、こんな感じです。 The Wildlife Trust(野生動物保護団体)  自然を保護することは、自然の一部である人間を保護することである。我々は多くの野生動植物を守り、自然をもっと身近なものとするべきと考える。環境保護に関する規制は、現在EUベースで行われており、離脱後、独自の環境保護法を制定し、世界をリードする目標の高いものにする必要がある。また、海上の自然保護区をいち早く定めるべき。  自分たちの選挙区の候補たちに、自然保護がどれだけ大切なのか、どのような保護活動を考えいるのか、話を聞きに行くよう勧める。理事長によるビデオメッセージも紹介。 ザ・ワイルドライフ・トラストのウェブサイトより。政策提言と理事長からのビデオメッセージが掲載されている。© The Wildlife Trust Sustrans(サイクリング推進団体)  我々は、よりよいサイクリング環境を作るために、他のサイクリング、ウォーキング推進団体と組んで、それぞれの政党に、3つの提言をする。 a)新しい大気汚染防止法の制定。毎年約4万人が大気汚染により死亡しており、全国の道路80%は、基準値をはるかに超える汚染度である。ディーゼル車の排気ガス規制、サイクリングやウォーキングを推進、排出ゼロへシフトできるような仕組みを強化するべき。特に離脱後も、継続してこれらの問題を解決できるような法整備が必要。 b)サイクリストや歩行者が安全な道を利用できるよう、道路整備の予算を、主に高速道路へ使うのではなく、地方道に使うべき。一マイルにつき、2万7千ポンドを投資するれば、イングランドの97%の地方道が整備される。(*高速道路は、一マイルにつき、110万ポンド。イングランド全体の3%の道しか整備されない)。 c)サイクリングやウォーキングを推進するために、予算をもっと割くべき。それにより、国民の健康向上、公共交通費の値下げ、商店街の活性化、大気汚染減少などの効果が見込まれ、最終的に大きな財政削減対策になりえる。 サストランズのウェブサイトより。車ではなく、持続可能な交通手段の利用を推進する団体。彼らの政府への要望は、かなり野心的。© sustrans Living Streets(街における歩行者を守る団体)  上記のSustransと組んで、キャンペーン活動をしている。3つの提言を、各政党がどのようにマニフェスト上で提言しているのか、比較したリストを公開。また、政権を握った政党が、きちんと提言通りに3つのポイントを実行するか、常に監視していこうと訴える。 リビンク・ストリートのウェブサイトより。サストランズと共同キャンペーンを展開中。それぞれの政党は、彼らの関心事をマニフェスト上で、どう提示しているのか、比較している © Living Streets CPRE – Campaign to Protect Rural England(イングランド地方保護団体)  総選挙に向けた団体独自のマニフェスト ”Stand up for the Countryside” を発表。 CPRE のマニフェスト。各政党が発表する前に、すでにリリースされていた © CPRE  美しい田舎を守り、よりよいものにするということは、地方経済に大きく貢献することであり、人々の生活向上につながり、個人や地域のアイデンティティを確立するものである。これらのことを次世代に残すべき以下の提言をする。 1)緑地帯、国立公園、AONB(英国版国定公園)をより積極的に守る。特に近年の住宅開拓からこれらを守る必要がある。 2)財政面だけで農業、環境をサポートするのではなく、地産地消を推進することで、安全な食を国内で生産し、美しい景観を残し、レクリエーションの機会を増やし、地方経済を潤す、新たな補助金システムが必要。 3)財政を主要道中心とする公共事業ばかりに投資するのではなく、持続可能な社会を形成するために、鉄道やバスなどの公共交通機関の充実、サイクリングやウォーキングによる移動を可能にする環境作りが必要。 4)ゴミ処理による公害対策の強化。リサイクル環境をさらに良くし、美しい自然を守る。 5)EU離脱後も、現EU環境法を継続できるよう、そのまま国内法へ移行し、新たに強固な環境法を制定するべき。 The Ramblers:(ウォーキング推進・環境保護団体) ランブラーズのマニフェスト。チャリティー団体が、政党顔負けのマニフェストを制作 © Ramblers  総選挙に向けた団体独自のマニフェスト”Manifesto for a Walking Britain”を発表。 1)EU離脱に伴い、政府は農産業への投資を保証し、カントリーサイドへのアクセスを改善するべき。アクセス権(通行権含む)があるエリアを規定通りに管理している農家へは報酬を与え、逆に満たない農家へは、補助金を減らすシステムを提案。 2)国民の健康問題は、ますます深刻になり、財政面でも大きな負担となっている。歩くことは、人が心身ともに健康になる最適の方法である。それを実行するために、予算を確保し、歩ける環境整備と医療機関と連携ができるシステムを構築するべき。 3)都市は、車移動をベースにデザインされており、自転車や歩行者がより安全で、緑を楽しめるような環境にするべきである。次期政権には、国民すべてが、自宅から徒歩10分以内に緑地へ辿り着けるような環境作りを求める。 4)ナショナル・トレイル存続の保証。前政権は、2020年までにイングランドすべての海岸線を歩けるようトレイル整備への予算投入を約束。次期政権でも継続されるよう保証が必要。また、他のナショナル・トレイルが、長期存続できるような保全・管理体制を求む。  上記のマニフェスト発表以外にも、”General Election 2017 Hustings Guide”として、選挙運動中の候補者に、どのように話をしに行くのか、どこで候補者による集会が開催されているのか、実際の集会でどのようなことを聞いたらいいのか、選挙後当選した国家議員をグルーブ・ウォーキングにどう招待するのかなど、具体的なアドバイスをしている。 車、自転車、歩行者が、道をどう安全に共用できるのか、問われている  ざっと、ランぶら歩きする環境を保護している代表的な団体が、選挙中提示した内容です。かなり積極的で、限られた国家予算をどれだけ自分たちの活動目的に役立てるか、法を制定できるか、非常に政治的な面が見えてきます。ただ、倫理的な気持ちベースでアピールするのではなく、多くのデータに基づいた政策提言であり、自分たちの利益ではなく、政府や国民にとっての利益のためにというスタンスは、絶対に外してはいません。また、具体的にどこの政党、候補者を支持しているということはありません。あくまでも団体のポリシーを表明し、それぞれの政党の考えを比較し、その情報を国民に公開することで、判断基準のひとつにしてもらおうとしています。もちろん、EUの厳しい規制に不満を持つ農家を筆頭にこれらの提言に反対する人々もいますし、アウトドア愛好家の中でも、政治色が強すぎるキャンペーンを嫌う人達もいます。ただ、環境を守るということは、自分の周りだけの問題ではなく、国全体、または欧州、果ては地球全体で考え、取り組まなくてはならない。自然現象に国境はない。その考えをベースに全EU加盟国が今まで協力して行ってきた環境保護が、英国EU離脱により、大きく変化するかもしれない。行き先の見えない不安が、一層これらの団体の声が上がる理由かと感じます。 ロンドンでは、オリンピックを機に貸自転車をあらゆる場所に設置した  自然保護やレクリエーションを楽しむために、政治の場面でも、イケイケで押し捲る、ガンガンプレッシャーをかけて、自分たちの目的を達成するアグレッシブさは、私には新鮮に映ると共に、どことなく感覚で理解できない部分があります。のどかな美しい田舎、森林浴でやさしい癒し、豊かな自然の恵みといった日本人が持つ、のんびりソフトな静のイメージからは想像しにくいものなのかもしれません。ただこの行動は、英国人(欧州人)特有の自然観からくるものと片付けられず、19世紀に起こった産業革命により、ほとんどの自然と多くの歴史的建造物を失い、公害による健康への悪影響で苦しんできた経験があるからこそ、ここまでのモチベーションを保てるのではと感じます。何かを失った人たちが持つ強い気持ちは、石のように硬い。今回は、ちょっと違う角度から英国政治を追う、私にとってそんな総選挙になりました。 選挙期間中のランブラーズ・ウェブサイト、2017年総選挙ページより © Ramblers 参考資料(総選挙関連ウェブサイトページ): The Wildlife Trust www.wildlifetrusts.org/GE2017 Sustrans www.sustrans.org.uk/blog/general-election-2017-sustrans-cycling-and-walking-manifesto-asks Living Streets www.livingstreets.org.uk/what-you-can-do/blog/general-election-where-the-parties-stand-on-walking CPRE www.cpre.org.uk/local-group-resources/item/4595-general-election-resources-for-branches The Ramblers www.ramblers.org.uk/policy/vote-for-walking-manifesto.aspx 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 社会に向けて、自分たちの主張を通す手段として、デモ行進という表現方法が英国(欧州)にはあり、歩く行為が個々の内面を体現することになりえることがあります。表現の自由、参政権、抗議デモは、この国では人が人であるための権利として法律で保証されていますが、それは長い間、多くの人たちが血と涙を流しながらも訴え続け、ようやく勝ち取ってきた権利です。 子供達のために、お母さんたちもデモ行進に参加。Unite for Europeのデモ行進にて  ここ最近では、女性中心に起こる運動が注目を浴びていて、米国トランプ大統領就任式翌日に、女性たちによる抗議デモが世界規模で起こり、全世界で数百万人に上ったことがニュースになりました。英国でもロンドンを中心に各地で、女性たちがピンク色に着飾り、ユーモアに、そして平和に包まれながら歩く姿の写真が、SNS上で飛び交っていました。また、毎年3月8日の「国際女性デー」に因んで開催される行進では、年を追うごとに盛り上がりを増しています。2015年には、英国で女性参政権を求めて戦った人々を描いた映画「未来を花束にして(原題 : Suffragette)が上映され、その関連の企画展がロンドン博物館で開催。映画共々好評を得ていました。劇中では、活動仲間の女性の死を悼み、「神が勝利を与えてくださるまで、戦い続ける」と書かれた大きなバナーを掲げながら、白いドレスに黒い腕章、そして花のリースを持つ女性たちが行進するシーンもでてきます。そんな彼女たちの活躍もあり、1928年に、21歳以上すべての女性に選挙権が与えられました。権利とは国民ひとりひとりが唯一平等に持てるもの。ただ、その権利は上から与えられるのではなく、自分たちで勝ち取っていくことなんだと、これらを通して学んだことです。一歩、また一歩と進んでいく、そのアクションに大きな意味があることを、私は英国で初めて認識しました。= ピーク・ディストリクト北部は、別名ダークピークと呼ばれ、グリットストーンとムーアランドが続く  そして、1928年の女性参政権獲得から4年後、1932年4月、また別の権利を巡って、世の中を騒がす事件が起こります。舞台は、打って変わって大都市から、英国のへそにあたるピーク・ディストリクト国立公園北部にあるヒースで埋め尽くされた荒涼とした高原。キンダー・スカウト(Kinder Scout)と呼ばれるこの一帯で一番標高が高いムーアランド(低木のみの荒野)に、400人ほどの若者を中心としたランブラーたちが結集していました。 キンダー・スカウトは、ランブラーの聖地となり、今でも多くの人々が歩きに来る [osmap markers="SK1226185562!red;キンダー・スカウト" zoom="0"][osmap_marker color=red] ピーク・ディストリクト国立公園 キンダー・スカウト  19世紀ごろに起こった産業革命で、英国の人々の生活は一転。工業都市に人口が集中。都市部の労働環境と住宅事情は悪化。公害問題もあり、人々の健康が損なわれました。その反動で、労働で賃金を得た人々は、休みを利用して、健康改善や気分転換のため、革命後急激に発展した鉄道を利用して、自然豊かな地に出かけることが、一大ブームになりました。 ここピーク・ディストリクトは、イングランドの背骨と呼ばれるペナイン山脈が南北にはしり、二大工業都市、東のシェフィールドと西のマンチェスターに挟まれる位置にあります。そのため毎週日曜日になると、日頃過酷な労働を強いられている若者たちが、汽車に揺られこの地域に歩きにどっと押し寄せてくる現象が続き、20世紀初頭には、数千人単位に膨れ上がっていたそうです。ただ、ここ一帯は、有名な雷鳥の猟場で、有力者が個人で所有している土地がほとんどでした。ゲームキーパー(Gamekeeper:この場合のgameは、狩りの獲物のこと)と呼ばれる猟場番人を雇い、一般の人々が入れないよう遮断された地でした。ほんの一部の歩くことが許されたエリアが、人でごった返すことに限界を感じ始めたランブラーたちは、広範囲で散策したい気持ちを徐々に強めていきました。大昔から人々が通行のために使っていたフットパス(歩道)を歩かせてほしいと、100年以上嘆願し続けてきましたが、土地所有者たちは、多くの労働者が自分の土地に入り込むことをよしとせず、却下し続けてきました。ランブラーたちと土地所有たち間の軋轢は、徐々にエスカレートしていきます。 今でも週末になると、多くの人々が電車に揺られ、サイクリングやウォーキングにやってくる ナショナル・トレイル第一号のペナイン・ウェイは、ここからスタートする  しびれを切らしたハイカーたちが、キンダー・スカウトへ集団強行侵入を、1932年4月24日に決行したのです。歩いている途中、この土地の所有者であるデボンシャー公爵に雇われたいたゲームキーパーたちと揉め、ハイカー数十名が逮捕・投獄されました。このニュースは、たちまちメディアを通して全国へ伝えられ、「労働者の権利」の象徴として多くの同情と支持を得ました。その後通行権を求める運動が全国へと広がり、法案提出へと一気に勢いを増し、ついに第二次世界大戦直後の1949年、「国立公園設置と地方へのアクセスを定める法(The National Parks and Access to the Countryside Act)」が国会で可決され、通行権が、正式に法律に組み込まれ、全国のフットパスを自由に歩く権利を獲得。と同時に、ピーク・ディストリクトが英国国立公園第一号に認定されました。 キンダー・スカウト集団強行侵入記念式典の様子  キンダー・スカウトへ集団強行侵入から85年経った2017年4月、地元のキンダー・ビジター・センターを中心に、ピーク・ディストリクトで活動するナショナル・トラスト、ダービーシャー・ワイルドライフ・トラスト、ランブラーズ、英国山岳協議会(The British Mountaineering Council)、英国山岳レスキュー協会(Mountain Rescue in the UK)そして、ピーク・ディストリクト国立公園管理局(Peak District National Park)が一斉に集まり、記念式典を開催。私も、ちょっと覗いてきました。通行権を獲得するために長年戦い続けた先人たちを称え、今後彼らの努力を無駄にしないよう、この国立公園をどのように次世代に継承していくのか、それぞれの団体が話をしてくれました。継続する難しさはどこも同じようで、特に費用の確保が年々大き課題になっているようです。そこへさらにEU離脱となると、今までEUから受けていた補助金や環境負担軽減の規制がどうなるのかわからず、みなさん不安は隠せないようです。 各団体がパネルで保護活動内容を説明  それでも、諸先輩たちの逞しい行動力に勇気付けられ、前へ進もうと努力している姿は、彼らが誇りに思っている英国の歩く文化の重みを感じます。EU離脱問題で、「英国らしさを取り戻すんた!」と頻繁に聞きますが、私にはこの歩く文化の中にこそ真の”Britishness(英国らしさ)”があるように思います。それがまさに今、次へと受け継がれていこうとしています。たとえそれが険しい道でも・・・。 22nd April 2017, Sat @ Edale Village Hall 参考資料: キンダー・スカウト集団侵入を今に伝える、キンダー・ビジター・センター www.kindertrespass.com ナショナル・トラスト キンダー・スカウト www.nationaltrust.org.uk/kinder-edale-and-the-dark-peak 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

 公園を散歩したり、ウィンドーショッピングしながらぶらぶらしたり、自然の中でハイキングしたりと、ウォーキングという言葉には、のびのびリラックスした健康的なイメージがどこかあるのではないでしょうか。ただ、歩くという行為は、時に熱を帯びた過激なパフォーマンス手段と変貌する時があります。 子供が手作りのプラカードを掲げていた。なかなかのセンス  英国は今、ひとつの大きな壁にぶち当たっています。Brexit : EU離脱問題。2016年6月の国民投票により、英国はEUからの離脱を決定。2017年3月、正式に離脱宣言を欧州理事会に通告。ただ国内では未だ残留派も多く、国を二分する危機に直面。大きく揺れる中、6月に下院解散による総選挙が実施され、再度国民に離脱賛成・反対を問おうとしています(*これを書いているときは、総選挙2週間前です)。テロ事件も立て続けに起こり、国民の将来への不安は益々高まっています。この国の市民権を持っておらず選挙権がない私は、傍観者として行く末を見守っていますが、この問題を英国国民は、井戸端会議から国会まで、それぞれの視点から意見を述べ議論を盛んにしていて、「議会制民主主義が生まれた国なんだな」と感心してしまいます。どんなにアホな考えであっても、まったく同意できない意見であっても、誰しも意見を述べる権利、そしてそれに反論する権利が尊重されているのは、この国が階級社会であるゆえ、その壁を乗り越える手段のひとつとして、主張する権利が大切にされているユニークな社会なんだと思います。そして、時に個々の主張が塊となり、アクションを起こす。国を動かすデモンストレーションへと発展。庶民の表現手段として一般的なのが、歩くパフォーマンス、デモ行進です。 ロンドンで開催されたUnite for Europeのデモ行進。街頭がEUカラーの青色に染まる  3月25日、離脱宣言三日前、そして欧州連合が欧州経済共同体設立条約に調印したローマ条約60年周年のこの日、EU残留派による大規模なデモ"Unite for Europe"がロンドンで行われ、私も参加してきました。人生一度も政治的な活動をしたことがない私は、デモがどうゆうものなのか半ば興味本位で、そして選挙権がない私が唯一自分の意見を主張できる手段として、集合場所であったハイドパーク脇にあるパーク・レーンへ向かいました。この集会五日前には、ロンドン・ウェストミンスターでテロ事件があり、厳戒態勢の中デモ行進が行われようとしていました。このタイミングでのデモそのものにも疑問視する意見もあり、かなりピリピリした雰囲気。私も今まで、ぶらぶら歩くことでこんなに緊張した経験はなく、一歩一歩の重みを考えると胃がキリキリしていました。 青色コーディネートファッションの女性。手には花束が エルヴィス・プレスリーも天国からデモに参加?! テロで殉職した警官を偲んで、警備のパトカーには沢山の花が飾られていた  会場へ到着すると、各地から到着した大型バスから、地下鉄出口からEUカラーの青色のコスチュームに身を纏い、それぞれの主張が書かれたプラカードが掲げられ、何かを祝うお祭り、フェスのような賑やかさがあり、想像と違いカルチャーショックを受けました。それでもテロ直後ということで、派手さやおふざけはかなり自粛され、命を失った人々への哀悼の意を捧げるために、多くの人たちが花を持っていたことが印象に残ります。 車椅子にバナーを立て参加する女性  約一時間遅れでデモ行進がスタート。ある政党のロゴを掲げるグループ、小さい子供や乳母車に赤ちゃんを乗せて歩く家族、コスプレした人たち、大きなEUの旗を振る学生、車椅子のひと、ヨーロッパからの移民、スコットランドやウェールズの旗をマントのように羽織る人々、犬を連れて歩くリベラル中流階級の中高年夫婦、ひとり地味な格好で静かに参加している女性などの集団が、ロンドンの大通りを青の波にし、黄色い星たちが浮かぶ、まるで天の川とでもいいましょうか、ゆっくり流れ進んでいきました。バイドバークから、有名な高級ホテル・リッツ・ロンドンがあるグリーンパーク脇を抜けて、トラファルガー広場へ出てから、国会議事堂・ビックベンがあるウェストミンスターへの2マイル(約3.2キロ)の歩き。10万人(警察発表。BBCは5万人参加と報道。どうして差があるのかは、よくわかりません)のデモ行進がゆっくりと、シュプレヒコールを大合唱しながら、時にはバンドが音を奏で、参加者が歌にのせてEUに残りたいと叫び、歩を進めていきます。あるグループは、スターウォーズのオープニングテーマ曲に合わせて歌いながら、離脱反対を訴えていました。テーマは重いのに、なぜかみな笑顔で平和な行進が続きました。トラックの運ちゃんが、クラクションを鳴らして応援したり、道沿いの部屋からスピーカーを出してきてビートルズの”All You Need is Love”を爆音でかけ盛り上げた住民がいたり、いつもは車でぎゅうぎゅう詰めになっている車道を、人々が歩いていく非日常的光景に、みなのテンションもマックスとなります。 スコットランドの旗を巻いた男性。ウェールズの旗も見られた  デモ隊の中には、個性的なコスチュームやウィットに富んだスローガンとインパクトあるグラフィックによるプラカードが注目され、多くの人々にスマートフォンで写真を撮られるスターも誕生していました。どうやらSNSが広がった現代では、デモ行進 = 歩くストリート・アートといった要素もあるようです。ウェストミンスターでは、集会も開かれデモ参加者が次々に到着し、ステージ上の演説者に耳を傾けていました。事後報告によりますと、事故なく、けが人も出ず、無事にデモは終了した模様です。 自作グラフィックが彼らの主張をうまくアピールしている 将来を不安に思う親の肩に乗り、子供たちも沢山参加していた 街頭を進むデモ隊。ウェストミンスター宮殿が見えてきた  正直今回のデモ行進が政治にどれだけの影響を与えたのかは、わかりません。ひとによっては、ただ派手な格好でぶらぶら歩くお気楽な行進に、社会を変えるだけのインパクトはないと言う人たちも多くいます。効果はともかく、自分の主張を形にして公共へ発信していく。ネットなどによりアピールする場は多様化した今でも、大昔から行われている原始的方法のデモ行進は、やはり民主主義を生み出した英国(または欧州)の伝統文化なのだと、今回参加して思います。大勢で一緒に歩くことで生み出す力、平和的アピール方法でも、彼らの熱は十分に感じ取れました。逆に、ストリート・パフォーマンス・アートとして、ライブ感覚でSNSを通して全世界へ発信する、また短時間で写真集を発売するなど、デジタル社会だからできる要素も加わり、デモ行進自体も時代とともに変化してきているようです。道は、ただ人が歩いたり、車が走ったりする交通目的だけのものではなく、表現できる場でもあることを人々は、デモ行進を通して再確認し続けているのかもしれません。世界的に有名なストリート・アーティスト、バンクシーがこの国から生まれたのも、なんとなく理解できるような気がします。歩くことは、時に武器にもなりえる。道は、表現の自由を体現できる場にもなりえる。とても有意義な政治活動初心者入門体験となりました。 路上に"We♥︎EU"。きっと子供たちが書いたのでしょう。彼らの未来を感じた一瞬 *第二部は、こちら >>。 25th March 2017, Sat @ Central London 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...