17 4月 遺産ってなんだろう? #1 ジュラシック・コースト編
国の遺産と言われても、よくわからない
2018年2月平昌冬季オリンピック。日本人選手の大躍進で、日本では大盛りあがりだったようですね。日本において冬季五輪は、夏季ほど注目されていないイメージがありましたが、世界に通用する実力選手たちが、幅広くいろんな競技で活躍しているおかげで、立派なメジャーイベントにまで発展したようで、驚きました。これは、ひとつに長野オリンピックが残した遺産が、形になって現れた結果なのかもしれませんね。それと同時に、あの狭い日本の国土が、どれほどバラエティに富んだものなのか、物語っているとも感じました。夏季、冬季五輪両方での強豪国は限られ、大抵は大国です。例えば、同じ島国の英国は、夏季は強いですが、冬季は競技人口が少なく、ほとんどの選手は欧州に拠点を起き、自国でトレーニングできる環境がありません。冬季は、ウィンタースポーツの大会。つまり、自然の中で行われるのが基本にある、アウトドアスポーツです。それができる環境、雪山や凍湖があるのかが前提にあります。夏季、冬季両方のスポーツが楽しめる多様な土地が、ギュッとコンパクトに詰まっている国。世界にも稀に見るユニークなもので、日本の大事な遺産であると考えられないでしょうか。
さて、ここで2回も安易に「遺産」という言葉を使いましたが、そもそもこの最近よく耳にする「遺産」とは、なんぞや?とずっと疑問に感じていました。遺産=お金のイメージがまず先にきますが、よくメディアで見聞きする「遺産」は、それとはちょっとニュアンスが違うようです。英語では、国レベルの遺産という意味では、”Heritage””Legacy”と表現することが多いようです。前者は、歴史的・文化的な価値のある文物が、代々受け継がれていくもの。一番わかりやすい例は、UNESCO World Heritage、ユネスコ世界遺産。後者は、財産などの金銭的価値のあるもの、例えば、施設、インフラ、経済活動が、次へと受け継がれること。東京五輪誘致の際に、よく「オリンピック・レガシー」という言葉が使われていたのが、記憶に新しいです。しかし、日本語ではどちらも「遺産」と捉えるため、私の中でHeritageとLegacyの両方の意味が混在して、いまいち英語のニュアンスがわからない。そこで、「国の遺産」を英国ではどう捉えているのか、この目で直接確かめようと、家をと飛び出しました。
はじめに、Heritageを理解しようと、2001年から世界自然遺産に登録されているドーセットと東デヴォンの海岸、通称ジュラシック・コーストと、2017年に世界文化遺産へ登録されたばかりのイングランド北部にある湖水地方を覗いてきました。そして、Legacyでは、2012年に開催されたロンドン五輪のその後の街の様子を、観察してきました。世界遺産にしろ、ロンドン五輪レガシーにしろ、多くのレポートが専門家によって書かれていますが、今回は、一般の訪問者としてぶらぶら歩きながら感じたことを、素直に書いてみたいと思います。
世界自然遺産ジュラシック・コーストへGO!
まずは、イングランド南西部にある世界自然遺産ジュラシック・コーストへ。”Jurassic Coast World Heritage Site – 95miles of coastline … 185 millions years of history”と謳うこのエリアは、95マイル(およそ153キロ)にわたる海岸線一帯に、世界で唯一、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀にわたる中生代(約2億5217万年前から約6600万年前)、1億8500万年間の地球の歴史を記録している地層をほぼ連続して見ることができます。そしてここから、恐竜を含む中生代に生きていた生物の化石が、未だ多く発見され続けています。また、特徴的な地形が数多く海岸沿いに点在しており、地表面の形成過程などを知る重要なデータとなっています。以前に紹介した、古生代の地層があり、世界ジオパークに登録されているトーベイ周辺と共に、地質、地形変動、古生物を知る世界的に重要な拠点であり、英国が地学の発祥の地となっている証拠のひとつとなっています。これらの要素が、自然遺産のカテゴリー「地球の歴史を知る地形・地質(登録基準viii)」に値するということで、2001年にユネスコ世界自然遺産に認定されました。
今回はそのほんの一部、デヴォン州にあるシドマス(Sidmouth)からエクスマス(Exmouth)までの海岸線を散策してみました。ここは、世界遺産指定エリア内で、西側の一番端に位置し、おもに三畳紀(Triassic)の地層が見えるところです。鉄分を多く含む赤褐色の砂岩が、波によって荒々しく削られ、雄々しい姿を表しています。ただ、日本で登録されている自然遺産は、原生的な自然を保護するイメージが強かったため、崖の上に住宅地、農地、ホリデーパーク、軍事基地といった人工的なものが多く立ち並んでいて、ちょっと戸惑いました。さらに、コーンウォール州から続いているサウス・ウエスト・コースト・パスというナショナル・トレイルの道が引かれていて、自分も含め人がガンガン歩いている。どうやら世界遺産には、岸壁の露頭の部分のみが登録されたようです。またよく調べてみると、人工建設物がある場所のほとんどは、登録エリアには入っていないことがわかりました。とはいえ、これらの建物は崖のすぐ近くにあり、景観のバランスがちょっと微妙です。
世界遺産は、ただのブランドなの?
産業革命以降、国の遺産や環境保護といった考えが、英国で活発に議論されるようになり、その考えが世界へと広がっていた経緯があります。ただ、その議論が始まった頃の英国では、すでに原生地域はほぼ全滅していて、人々が活動する場へと成り代わっていた状態からのスタートでした。米国や豪国など原生自然が多く残っている地域での保護とは、明らかに話が違います。ある意味失ったものは取り戻せないと開き直りからでしょうか、田園景観の保全、野外レクリエーションの利用などを含めた自然と人間がバランスよく共存できる保護活動を模索してきました。ここジュラシック・コーストも、18世紀からシーリゾート地として賑わい、観光業もそれをベースに発展してきました。そんな中、2001年世界自然遺産登録により、まったく別の風を地域に吹かせようとしています。そのため、経済(宅地開発、エネルギー資源)、住民生活(インフラ)、自然保護、観光(レクリエーション)のバランスを保つのが、大変難しいだろうなということは、歩いてみて感じます。お互いがどこかで妥協した結果が、今見えている不思議なコンビネーションの風景を作り出しているのかもしれません。すでに登録から17年経過した今も、まだ試行錯誤しながら、発展途上真っ只中ということなのでしょう。
ではなぜ、すでにリゾート地として確立していたところに、世界遺産という新たな風が必要だったのでしょうか。まず一番の目的は、観光資源にもなっている、この美しい海岸を遺産という枠にはめ込むことで、保護する理由づけができます。また、誰でもお手軽に海外リゾート地へ行ける現代、競争が激化する中、従来のリゾート観光では、限界が見えていたのかもしれません。世界遺産という新たな付加価値を得ることで、ランクを上げることができる、もっと幅を広げられる、知名度が上がると、地元の人々は考えたようです。そうすると、国内のみならず、海外からも注目され、訪問者が増え、地元経済がますます活性化する。その結果、持続可能な保護活動ができ、国や各団体からの援助もますます受けやすくなる。さらに、二つの州の自治体とそれぞれの保護団体がバラバラに活動してきたのを、世界遺産ジュラシック・コーストのもと、ひとつにまとめて連携がしやすくする目的もあったようです。きっと世界遺産を誘致しているところはどこも、似たような考えが元になっていると思います。
そうなると、ここでいう世界遺産は、ただのブランド化にすぎないのか。単なる観光業の起爆剤でしかないのか。ここはやはり、何百年も国の遺産について、あれこれ考えてきた英国ですから、一発でかい花火を上げるだけでは終わらないようです。特に、地形と地質が評価されたジュラシック・コーストは、自然遺産の中でも、イエローストーン国立公園やグレートバリアリーフのような優れた自然美や希少価値が高い生物が存在する地に比べ、とても地味です。なぜ遺産として残す必要があるのか、絵を見せて一瞬で誰もが理解できるものではなく、説明が多少必要となります。そのため、ここでは教育に重点を置いていました。”a Walk Through Time”と掲げ、歩きながら地層を自分の目で観察し、化石を採取し、1億8500万年間の地球の歴史を読み解いてもらう。もともとあったサウス・ウエスト・コースト・パスを大いに利用し、人々に直接遺産に触れてもらうことで、理解を深めてもらう。今回私が歩いたトレイルの各ポイントにも、目の前に見える地形と地質は、何を意味しているのか、絵や写真を使って、わかりやすく丁寧に説明してくれていました。まさに、巨大な野外博物館といったところでしょうか。
さらに、学びの場は、観光客はもちろん、地元の子供達から、大人まで。学校、博物館、観光案内所、地学科がある大学、ロンドン自然史博物館と連携して、ガイドブック、交通&宿泊情報、ガイドウォークや化石発掘ワークショップなどを通してのインタープリテーション、トークショー、滞在型地学学校、化石祭り、恐竜展など、あらゆる方面から情報を提供し、ジュラシック・コーストがどれほど地球の歴史を紐解く大きな手がかりとなりえるのか、徹底して教育していく。一種の洗脳のような、それぐらいの「熱」を感じました。そうすることによって、ここ一帯が、人類の遺産として後世に残すべく、大事な場所である認識をみんなに、特に地元の方々に持っていただくことで、自ずと保護活動へと関心が動き、協力していこうという気持ちに変化させていくことができる。そして、この遺産を世界のために自分たちがどう管理していこうかと知恵を出し合うことが、深い愛着と地元の誇りを強め、新たなビジネスへの刺激となり、地学という壮大な学びの場を広げ、美しい風景が芸術活動を活発化させていく。それが結果として、地元社会が経済面だけなく、社会的な質を上げていくことに繋がっていく、そう考えているようです。
人間は、地球のことをこれっぽっちも理解していません。ジュラシック・コーストでも、300年間調査を続けてきていますが、わからないことだらけです。逆に言えば、その鍵を解くものがまだ多く眠っている地でもあります。ここに来た誰しもが、化石発掘者になり、地層分析係りになり、調査活動のスポンサーになりえる。宝探しは、まだまだ続いていき、みんながこの冒険の参加者です。そして思い出だけでなく、知を持ち帰ってもらう。旧来のリゾート観光から、体験型、学習型へと変化することで、みんなが時空を超えた地球の旅というロマンを共有できる。これを、ひとつの文化として形にしていこうとしているように感じます。今まで地元経済を支えてきたリゾート観光業にとっては、この考え方は革命であり挑戦だと思います。乱暴に言えば、この世界遺産を守っていくための資金確保の手段のひとつとして、観光が新たに位置づけされようとしているのです。
世界遺産ジュラシック・コーストの挑戦は、まだまだ続く
そんなチャレンジを世界遺産として17年続けてきているジュラシック・コーストですが、まだまだ課題はあります。大きな課題のひとつが、海岸侵食を受け入れること。ここで見ることができる地層や化石は、海岸侵食によって表面に現れました。そのため、ここでは人々の生活が危険に犯される状況でない限り、海岸堤防は設置しません。侵食によって世界遺産の「地球の歴史を知る地形・地質」が存在するため、これを止めることはできません。侵食するのが大前提。何もしない、何も加えない。崩れるのも自然のなせる技ということです。また、景観という点でも、堤防だけでなく、リゾート施設、住宅、風力などの発電施設などの建設許可はかなり難しくなっており、手を加えることがほとんどできない状況を、地元の人々に理解してもらうのは、至難の技です。また、自然保護の観点では、陸だけでなく海と両方をカバーすることが必要とされ、常に水質、地質、野生動物、景観保護に目を光らせていくのは、かなりの労力ですし、コストもかかります。また、ハイシーズン中のマイカー規制と公共交通機関の充実を計らないと、地元の人々の生活に負担がかかりすぎます。さらに、国の財政難やEU離脱のしわ寄せにより、直接の支援も減少傾向にある上、大学や研究所への補助金が大きくカットされたことにより、地学会とより深い関わりを持ち、世界へ発信し続ける場づくりにも、苦戦しています。
しかし、地元9割以上の人々*1が、世界自然遺産・ジュラシック・コーストという認識をすでにもっている地域です。また、ジュラシック・コーストがある英国南西部には、美しいカントリーサイド、田園風景があり、英国人にとっての里山、心のふるさとを感じさせるスポットが点在しており、今でも国内旅行では大変人気があり、別荘地沸騰エリアです。今後は、地中海のリゾート地のような華やかな賑わいとは違う、上質で閑静な、知的好奇心を溢れさせるようなシーサイドということで、欧州を皮切りに、世界へとPRし続ける。地球の謎を解き明かすカギとなる地層同様、大きな可能性がまだまだ潜んでいるように思います。そしてそれは、世界遺産を守り続けることを、誇りに思っている地元民の強い気持ちによって支えられているのを教えられました。
*第二部は、こちら >>。
参照:
*1 An Economic, Social and Cultural Impact Study of the Jurassic Coast
参考資料:
世界遺産ジュラシック・コースト jurassiccoast.org
ジュラシック・コースト 世界遺産管理計画 jurassiccoast.org/about/site-management/
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