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 日本にいたころ、春から秋にかけて、山菜採りやキノコ狩りでの遭難事故のニュースをよく聞いた。山に入る理由は、登山がダントツの1位だが、山菜採りやキノコ狩りが2位にくる地域もあるようで、人気だ。ついつい夢中になってしまい、滑落、道迷いするケースが多いとか。気持ちはよく分かるが、くれぐれも安全第一で楽しんでほしい。 春になると、近所の丘一面をラムソンが埋め尽くす。ニラの代用品として、餃子の具に入れると美味  不思議なことに、英国ではこの手のニュースを聞いたことがない。もちろん、日本と英国では風土も地形も違うので、単純に比較するのは無理があるとは思う。ただ、これだけフォレジングが盛んなのに遭難があまりないのには、何か理由があるのだろうか。素人なりにちょっと考えてみる。 秋になると、フォレジング教室があちこちで開催され、大変人気である  まずは、歩ける道が見つけやすく、安全に利用できる環境が整っていること。英国には「フットパス」というレクリエーションのために整備された歩道が、網の目のようにあちこちに存在している。各フットパスには、黄色の矢印マークの標識があるため、私のようなおっちょこちょいでも道に迷いにくく、ほとんどの道は地元住民によってきちんと管理されているので、歩きやすい。私が普段、犬の散歩やフォレジングに利用しているのも、このフットパスだ。  さらに、フットパスと並行してあるのが「アクセスランド」の存在。アクセスランドでは、主に環境保護団体や林業委員会が所有している土地、そして村が管理しているCommon land(日本の入会地と似たシステム)を、自由に歩き回ることができる。フォレジングも、生態に負担をかけない程度に推奨されているのが嬉しい。シーズンになると、フォレジング情報やワークショップなども開催されていて、人気のようだ。  そして、上記の2つをすべて表記している「OSマップ」という強い味方がいる。Ordnance Survey(英国陸地測量部)が発行している地図で、Exploreシリーズと呼ばれている2万5000分の1地形図は、ウォーキングやサイクリングをする人間にとってはマストアイテム。これがあれば、ほとんど迷わない(ただし、基本どこを歩いても良いスコットランドに関しては、また別の話)。素人でも簡単に理解できるデザインで、読図に自信がない私のようなド素人でも安心して使えるので、とても便利だ。また、どこの本屋、観光案内所でも買えるのもありがたい。最近では、デジタル版も充実していて、スマフォのGPSで現在地を表示できたり、歩いたコースを記録できたりする。天下のGoogleマップさんでは、太刀打ちできない領分だ。私の場合は、紙版とデジタル版の両方を必ず持って歩きに行く。また、紙版は本棚にズラッと並べらた私のコレクションになっていて、新たな地図が加わるたびに、ニヤッとしてしまう。 OSマップ・Exploreシリーズ。スマフォ・アプリ版もあり。ナビゲーションには、両方を携帯するのが、ベスト  ということで、私が出した仮説は、上記のような歩く環境が整っているため、遭難が少ないのではないかということ。ただ、フォレジングには、もうひとつの身の危険がある。キノコの誤食事故。こちらは、英国でも時々ニュースになる。リスクが高いため、私はまだ手を出せないでいる。まずは、キノコ狩りが得意なお友達でも作ることから、始めようかと思う。 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2023...

 ウチには犬がいる。だから、散歩は毎日欠かせない。出かける際には、犬のフン用のビニール袋を片方に、そして、フォレジング用のビニール袋をもう片方に入れていく。私にとってのフォレジングは、散歩コースの延長線上にあるのだ。近くの森、草原、農場、公園、垣根、車道の脇など、常日ごろから観察し続け、春から秋にかけて、旬のものを一番状態の良いときに採取する。同じ場所で見つけることができる果実や野草もあれば、キノコなどはどこに出現するか分からない。毎年気候が違うため、狙って行ってもハズレることも多々あるが、ハズレても、それはそれでワクワクするものである。かなりギャンブル性があるのだ。 フォレジングのバイブル本 ”Food For Free”  フォレジング争奪戦は、何も人間だけがライバルではない。森に住む野生動物たちも、刻々と良きタイミングを見計らっている。シカやアナグマ、キツネ、リス、ウサギ、野鳥など、彼らの目利きに人間が勝てる見込みは、かなり低い。この前も、牧草地の垣根にヘーゼルナッツを見つけた。「おお、たくさんなってる。時間のある明日、摘みに来ようっと」と思って翌日行ってみると、見事に実が全部に消えていた。リスの仕業だ。やられた!  またあるときは、「今年は、果実が少ないな」とボヤいていたころ、朝起きて庭に出ると、そこにはでき立てホヤホヤの糞があった。明らかに愛犬のものとは違うそのブツには、果実のタネがぎっしりと詰まっている。プラムなどを食べたキツネが夜こっそり忍び込み、わざわざご丁寧にも挨拶代りにとマーキングしていったものだ。それを見つけた愛犬は、毛を逆立て、私も地団駄を踏む。「野郎ども、挑発してきおったわ。」 そのまま鼻息荒く、愛犬と森へズンズン入って行けば、シカやウサギの置き土産のダニに食われて帰って来るのが関の山なのだ。ライバル恐るべし。 西洋ツツジの真下に、ヘーゼルの木が生え始めた。リスがナッツを埋めたのだ  ただ、ふと考えてみると、私のフォレジングは遊び感覚のゲームのようなもの。タダに弱い主婦が躍起になるぐらいの程度だが、野生動物にとっては、これは生死を懸けたゲームなのだ。そして、その食を提供している木々は、彼らによって種子散布ができ、広範囲に自分たちの子孫を残せる。つまり、上記の植物たちは自分で移動できない代りに、野生動物たちが種の運び屋となるよう、お互いに協力できる体制を進化させてきた。それをZoochory(動物散布)と言う。動物散布にはいくつか方法があり、先ほどのリスなどは、土にナッツなどを埋めるScatter Hoarding(貯食型)、キツネや鳥などは、食して糞として散布するFrugivory(周食型)とされている。そのほかには、毛や鳥のくちばしなど体に付着させるAttachment(付着型)などがある。 リスによって食べられたナッツの殻が、そこらじゅうに落ちている  はてさて、その共同体の輪の中に、私のような人間は入っているのだろうか? 一応、Anthropochory(人為散布)というのがあり、これは動物散布付着型が、人間によって行われることである。しかし、私の自宅付近の生態に関して、私が運び屋としての役割がそれほど大きいとは思えない。服に着いた種子をつまんで捨てる程度のお役目。むしろ、野生動物たちの餌を横取りする、邪魔者なのかもしれない。そりゃ、キツネも糞を落としていきますわな。  英国では、フォレジングはひとつの食文化であり、社会に認められている。私有地であっても、持ち主の許可があり、個人消費目的であれば採取可能である。ただし、みなこうアドバイスする。「分をわきまえて、ほどほどに」と。 つづく *第三部は、こちら >>。 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2023...

 先日、新聞を読んでいたら、ある記事が目に留まった。デンマーク・コペンハーゲンにあるレストランNoma(ノーマ)が、今年10月にガストロノミー界のアカデミー賞と謳われている「世界ベストレストラン50」で、1位に輝いたという内容。グルメではない私は、本来ならスルーする記事ではあるが、袖見出しに、“Chef René Redzepi, famed for foraging techniques, claims first place for Copenhagen eatery.* ”(フォレジング技術で有名なシェフ、レネ・レゼピ氏が、コペンハーゲンのレストランで1位を獲得”)と書かれていた。「Foraging techniquesって、シェフ自らが森に入って食材を探すってこと?」 Giant Puffball(オニフスベ)が、草原に突如現れる。  「Foraging(フォレジング)」とは、自然界に自生する食材を採取する行為を意味し、日本で言う「野草摘み」や「キノコ狩り」などがそれに当たる。ただ、本来の意味は「食べ物などを探し回る、あさる」で、卑しい、さもしいニュアンスが込められている。英国人にそのことを問うと、「元来、ぶらぶら歩いて食料を調達することは、下衆のすること。身分のある人たちは、馬に乗るから」と教えてくれた。日本の紅葉狩りに「狩り」が付けられたのと、相通じるところがある。 日本のより少し小ぶりな英国の栗  では、なぜいま世界一の高級レストランが、フォレジングなのか。旬のもの、地のものを提供するレストランはどこにでもあるが、このレストランが面白いのは、シェフとスタッフ全員で森や海に行き、北欧の自然から得られる食材しか使わないという、徹底したこだわりがあるから。例えば、レモンは北欧にはないので、アリが放つ酸を柑橘類の代用品とするらしい。  その時、その場で採れた食材のみ使い、芸術的な品々に仕上げたものを提供し続け、美食とは無縁だった北欧の食文化に革命を巻き起こした。そこにある自然、時、土地を通して食のあり方、向き合い方を変え、世界ナンバーワンのレストランとなったそうだ。今世界で最も予約が取れないレストランのひとつで、デンマーク経済をも救ったとか。古いんだか新しいんだか、なんだかよく分からないが、自然回帰ブームがグルメ界でも起きているとは、実に面白い。  欧州人は、フォレジングが大好きだ。歴史も長く、それが許される環境も整っている。特に秋はキノコ、ナッツ、ベリーなどを探しに、みな躍起になる。ウチの近くでも、タッパーやビニール袋を持って、せっせと薮いちごやカラカサタケを採っている人をよく見かける。みな目をキラキラと輝かせ、童心に戻ったように、夢中になっている。タダで食材を得られるのはもちろんだが、ふらふらと歩き回りながら季節を感じ、そこでようやく見つけた自然の恵みを手にしたときの高揚感は、格別。だから、いつもより丁寧に調理し、食したときは、増し増しで美味い! 自分と自然と時が一本で繋がるようで、体の奥底に眠っている人間の本能が、刺激されるのかもしれない。これは癖になる。 一番人気のセイヨウヤブイチゴ。ジャムやサマーベリー・プディングなどに使われる  コロナ禍によるロックダウンやEU離脱で、一時的に食糧やガソリン不足が起こり、旅行や外食の機会が減った英国では、身近にある自然の中で遊び、自分の身の周りにある環境を見直す人々が急激に増えた。テレワークや仕事の時短で時間ができた人たちは、自宅で野菜を育て、自然酵母でパンや保存食を作り始めた。そんなアウトドアズの醍醐味を知ってしまった新参者もフォレジングに注目しているようで、今年は争奪戦になりそうだ。私もビニール袋を提げて、いざ参戦!。 つづく *第二部は、こちら >>。 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2023...

ある日、義理の甥っ子が訊いてきました。 「ねー、シノ。パフィン知ってる?」 「知らない。何それ?」 「鳥だよ。体は小さいのに、大きなオレンジ色のくちばしと足をもった鳥だよ。俺、鳴き真似できんだよ。」 「ほー、どんな感じ?」 「ウィいいいい〜ン。ウィいいいい〜ン。」 「は?何じゃい、その変な鳴き声。バイクのエンジン音みたい。鳥でしょ?」 「そうだよ、こうやって土の中で鳴くんだ。うそじゃないって。この前実際に聞いてきたんだから・・・。」 「どこで?」 「スコーマー・アイランド!!」  このエンジン音みたいに鳴く謎の鳥は、いったいどんな鳥なのか? スコーマー島って、どこ? 7歳のチビ男くんに、詳しく話を聞くが想像できず、こりゃ、百聞は一見に如かずだなっと思い、私のバディであるジルちゃんに次回の旅にどうかと提案してみました。大の鳥好きの彼女は二つ返事で了解。Deco Boco Walking、ついにスコーマー島があるウェールズに初上陸です。 [osmap markers="SM7249009379!red;スコーマー島" zoom="0"]スコーマー島  スコーマー島は、大西洋に面したウェールズ南西部にあるペンブルックシャーにあります。ペンブルックシャー海岸沿いは、独特の自然と歴史的建造物が点在する、英国で唯一沿海にある国立公園に指定されています。また、その海岸線は、ペンブルックシャー・コースト・パス(Pembrokeshire Coast Path)というナショナル・トレイルのひとつで、およそ300キロの道を歩くことができます。随所に泳ぐのに最適なビーチもあり、泳ぐの命のジルちゃんにはうってつけ。学校の夏休みが始まる1週間前のギリギリ7月初めに、B&B最後のひと部屋をゲットができ、もうコレは「行け!」と神様のお告げだと、凸凹コンビは、慣れない地へと車を走らせるのでした。  さて、改めてエンジン音を発するこの鳥は、北大西洋と北極海に生息する海鳥、パフィン(Puffin)ことニシツノメドリということがわかりました。ジルちゃんが住んでいるブリストルから車で3時間弱で行ける、我々にとって一番近い繁殖地が、ペンブルックシャーの海に浮かぶ、チビ男くんも熱く語っていたスコーマー島になります。この730エーカー(2.95km2)の小さな島には、天敵となるネズミや狐がいないため、ニシツノメドリ以外にも、冬季に過ごしたアフリカや南米から10,000km以上かけて渡っているマンクスミズナギドリ(Manx Shearwater)、細長い赤いくちばしが特徴のベニハシガラス(Chough)など鳥たちのコロニー(集団繁殖地)になっています。そのため南西ウェールズ・ワイルドライフ・トラスト(The Wildlife Trust of South & West Wales)が、厳重な管理を行なっています。 早朝のランティングチケット購入待ち。長蛇の列が  この海鳥たちの楽園の島。当然バードウォッチャーたちが英国国内からだけでなく世界中から集結します。(余談ですが、バードウォッチャーたちの熱量って、マジ半端ない。カモフラージュ服着て、機材もパパラッチ並み。私たちとは、気合が違います。)そのスコーマー島では、6月中旬から7月中旬が観察できるピークとなり、8月ごろには彼らは姿を消します。そのため、必然的に大勢の人たちが来るので、上陸するにもひと苦労です。島に上陸できる人数は、1日250人までと限定されていて、ランディング・チケットという時間指定された上陸許可券を朝イチでゲットしなくてはなりません。私たちもがんばって、朝6時半にチケット売り場に行き、2時間行列に並び、無事に券を購入できました。高校生時代に外タレのコンサートチケットを購入した時以来の、ドキドキ感。思わず二人でガッツポーズ! この小さな船にぎゅうぎゅう詰めになりながら、いざ島へ  一度B&Bに戻り、しっかり朝食を取ってから、午前11時半のボートに乗り込み、いざスコーマー島へ。もう、これ以上は望めないぐらいの晴天で、波も穏やか。今年最高の夏模様に、すでにボートの上で、テンションマックスのふたり。15分ほどすると、島の玄関となる入江に入ってきました。崖のいたるところに巣作りしている海鳥たちの鳴き声が、キーキーとサラウンドで響き渡る。親鳥たちは、エサを捕まえに次々と海中へダイブしていく。ご多忙の鳥さんたちのところに、人間の私たちがちょいとお邪魔しま〜すといった感じでした。  上陸後すぐには解放されず、トラストのレンジャーたちによるレクチャーを受けます。今暮らしている鳥たちや島の状況説明、注意事項、望遠鏡の貸し出しや最低限の水と食料の販売などがありました。2018年の調査を元に繁殖している鳥たちの数が、手書きで表示されたボードが立っててあります。「マンクスミズナギドリは、35万羽!? え、なにその数!!」どうやってカウントされたのか不思議に思うぐらいの数字です。またご親切に、今生息している動植物リストもありました。管理体制がしっかりしていてることを、実感します。 島の野生動物生息情報が示されたボード 散策前に、トラストのレンジャーによる説明を聞く [osmap gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/09/Deco-Boco-Skomer.gpx" color="green"]  レクチャー後、まずは島の全体をぐるっと反時計回りで見ていこうと、港がある東側から北へと早速歩き出します。夏の太陽の暑さを、肌でジリジリと感じますが、海風がそれを冷やしてくれるほどの、完璧なウォーキング日和。英国は、北海道よりに北に位置しますが、西岸海洋性気候で、暖流と偏西風により、期間は短いですが、夏はかなり暑くなります。また、海沿いは湿度も高く、歩くと汗ダラダラで、正直歩くのが辛くなります。ただ、スコーマー島は、崖を上ると平地で吹きっさらし。西を向けばケルト海が広がり、その向こうは大西洋です。今日のような天気は天国。ただ、雨風なら地獄絵になるだろうと、シダと短い芝に包まれた島を見て想像ができ、恐ろしくなります。晴れて本当によかった。  ここは、鳥たちの島。当然邪魔者の人間は、決めれれたフットパスしか歩けません。天敵のいないパラダイスに、人間が害を与えてはなりませんもんね。気をつけながら歩を進めます。時々、可愛らしいアケボノセンノウやギョリュウモドキ(ヒース)の花が海風に揺れて、手を振っているかのよう。お目当のニシツノメドリは、遠目に数えるほどしかまだ確認でませんが、それでもその可愛さに胸がキュンキュン。スコーマー島に滞在するニシツノメドリは、3万羽ちょっと。スカンジナビアあたりでは、エサとなる魚が減り、巣からかなり離れた場所まで採りにいき、新鮮な魚をヒナに与えることができず、数を減らしているそうです。そのためもあり、1959年この島は保護区に指定されました。いかにこの島が重要なのかが、わかります。 アケボノセンノウが風に揺れている  平坦な道を、北から西、そして南へと、気ままにスナックを食べたり、時にボーと景色を見渡しながら、ダラダラ歩いていきます。お天道様もてっぺんまで上がり、木陰がまったくない道を行くのは、さすがに暑さが勝り、ペースダウンしてくる。持参した水もどんどんなくなっていく。そんな道中、悲惨な鳥の死骸が目に付き、なんじゃこりゃ?と思いながら通り過ぎていくことが、多々ありました。あとで聞くとマンクスミズナギドリがカモメに襲われたあとだそうです。彼らは、冬の間過ごしたアルゼンチンや南アフリカからはるばるここまでやってきたのにもかかわらず、その哀れな姿に心が痛みます。しかも彼らは、長距離を飛ぶことに特化していて、うまく着地ができないそうです。嗚呼、なんということか・・・(涙。 見渡す限り、パフィンの群鳥 パフィンと会話するジルちゃん  3万羽いるニシツノメドリちゃんたちは、一体どこよっ!と思っていたその時、視界いっぱいに、ミニラグビーボールぐらいの大きさの物体がひゅーひゅーと飛び交っているではありませんか。その物体は、私たちが立っている崖の下に広がる海から、ポンポンと現れ、次の瞬間には、我々の足元近くに、ぴたっと飛び降りてきています。背中側が黒く、腹側が白い。目元に歌舞伎の隈取のような模様があり、全体のサイズに対して、大きく目立つオレンジ色の嘴。なんとも不恰好なニシツノメドリたちが現れました。小魚を嘴いっぱいに咥えながら、人間の存在を感じていないかのように、テクテクとペンギンのように歩きながら、地中にある小さな洞穴に入っていきます。そして、穴からでてきて、再び海へと飛び出していきます。ニシツノメドリの親鳥たちは、新鮮な魚をひなに与えるべく、フル活動中でした。 [embed]https://youtu.be/2W60XX6YFNs[/embed] 撮影する人間の姿を不思議そうに見ているパフィン  呆気にとられて見ていると、ウィいいいい〜ンというチェインソーのような不思議な音が、地面下から聞こえてきます。飛んでいる海鳥たちのピーピーと鳴く音とは明らかに違うもの。「どこかで、木を切っている?いやいや、木は生えていないよこの島。えっ、まさか、コレは・・・。」その音こそ、7歳のチビ男くんが言っていた、ニシツノメドリの鳴き声だったのです。ゆるキャラの姿とチェンソー音のミスマッチ。なんとも不思議な生き物に、ますます萌えてしまいます。鳥大好きジルちゃんは大興奮で、ずーとニシツノメドリたちに話しかけている怪しい人になっているし・・・。最後には、「カバンに入れて持って帰っていい?」と云い出す始末。とにかくキュートなニシツノメドリたちに囲まれた、渡り鳥たちのパラダイス。いつまでも、その癒し系キャラを眺めていたいと思ったふたりでした。かわいすぎるよ、君たち!! あの謎のエンジン音が穴ぐらから聞こえてくる 4th July 2019, Sat @ Skomer Island, Pembrokeshire, Wales トレイル情報: スコーマー島 www.welshwildlife.org/visit/skomer-island 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 私はありがたいことに、ここ一年ほど、世界のトレイルを直接肌で感じるチャンスを、与えられている。5年ほど前から、ガーデニング業の傍ら、英国のフットパスとトレイル、環境保護、自然教育などを趣味レベルだが自分なりに調べ、日本ロングトレイル協会を通じて、時々発信している。専門家ではない、英国に住む日本人主婦の私に、そのような機会を設けてくれた協会には、感謝しかない。その協会は、現在World Trails Networkという全世界のトレイル関係者が未来のトレイル文化発展のために活動する団体のメンバーになっている。私は、協会とWTN間の連絡係役を仰せつかり、世界のトレイルと日本のトレイルの橋渡しをしている。  ここ最近WTNメンバーたちから聞こえてくるのは、コロナ禍は世界各国のトレイル運営にも大きな影響を与え、トレイルのあり方を再考せざるおえなくなっているということだ。トレイル閉鎖、ロックダウンによる運営陣の人材と財政不足、スルーハイクやイベントの中止、保全の大幅な遅れ、新たなトレイル設立の延期など、厳しい状況は、日本だけでなく、世界中どこも同じようである。その一方で、野外活動が人気を博し、アウトドア商品の売れ行きが急上昇している。日本含め世界どこでも、デイハイカーが急増し、新規利用者や家族連れが大きな伸びを見せている。また、このご時世でsolitude(ソロ活動)が話題沸騰中である。そんな中、新たな問題も発生してきている。サウス・ウェスト・コースト・パスでも起こっているホットスポットが、米国アパラチアン・トレイル、カナダのオンタリオ・トレイルをはじめ、レバノン、ギリシャ、南アフリカなどのトレイルでも起きている。人気が集中した理由には、どうやらSNS上の投稿が、発端らしい。また、何の知識もない新規利用者に安全やマナーを教育することも急務となっている。  この新たな現象と問題は、トレイル運営陣のみで対応するのにはあまりにも急激に規模が大きくなりすぎている。そこでWTNは、今年6月11日から英国コンウォールで開催されたG7サミットの公式イベントとして、World Trails G7 Summitをオンライン上で開催し、諸問題解決の協力要請と高いポテンシャルを秘めているトレイルへの投資を、政府や関連機関に訴えることにした。G7とゲスト国合わせて全12カ国のトレイル代表が参加した中、大変名誉なことに日本代表のパネリストとして私が選ばれた。参加国それぞれ3分間のプレゼン時間を与えられた。日本のトレイルは、世界のトレイル専門家の間でもそれほど知られていない。そこで、1200年の歩く旅の歴史、八百万の神の国における自然保全、日本独自のトレイル風景など、しつこいほど「ニッポン」を強調し、他国と共にトレイルを盛り上げたい気持ちを3分間の短いプレゼンにまとめ上げた。手前味噌だが、大変好評で、日本のトレイルの存在を少しはアピールすることに貢献できたかもしれない。 World Trails G7 Summitでは、全12カ国のトレイル代表が参加 ©️World Trails Network  コロナ禍で予想をはるかに超えて、トレイルに注目が集まっている今、WTNとしては、この流れをしっかり握り、トレイル歩きが人々の旅や生活のスタンダートになるように推し進めていきたい意向のようだ。そして、さらに50年、100年先まで持続可能なトレイル作りを、自治体、地元民、利用者と共に実現していきたいと考えている。そのための策のひとつとして、世界同一記念日、World Trails Dayを立ち上げてようと動いている。また、これを機に子供達にトレイルの楽しさをもっと知ってもらい、ゆくゆくは次世代の育成と繋げていく狙いもあるようだ。歩くことが、アウトドアや観光からだけでなく、コロナ禍における健康、安全、社交など多方面から注目を浴びていることは、大きな希望となりえる。その大きな流れに日本も上手く乗りつつ、日本独自のトレイルを確立することで、世界に誇れる魅力溢れる財産を得られるように感じる。  トレイルだけではなく、他のアウトドア団体、自然保護団体も、このチャンスを逃すまいと動き出している。Re-wilding, Sustainability, Biodiversity, Green Spaceをスローガンに上げて、政府に、企業に、国民に、自分たちのミッションを達成させるために、この波に乗って、たたみかけようとしている。温暖化問題、生物多様性の保全を政府に働きかける市民団体Extinction Rebellionの動きもますます活発になっている。  今年の英国の初夏は、梅雨のような日々が続いている。自宅近くの森へ行くと、ブナの葉に雨が当たる音が、全方向から聞こえてくる。まるで、大合唱のようだ。その中に佇み、耳に傾け、「嗚呼、自然に生かされているんだな。」と改めて感じる。そのことを忘れずに、何をすべきか、今一度それぞれが考える時なんだと痛感している。 [embed]https://www.youtube.com/watch?v=-xZiSrkzT0o[/embed] セツダのプレゼン動画 ©️World Trails Network 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 悶々としているのは、私だけではなかった。パンデミックという今まで経験したことのない事態に、周りのひとたちもどう対応するべきか、何が正解なのか手探り状態で、非日常の日常をこなすことで精一杯のようだ。何に対して戦っているのかも分からず、先行き不透明な状態に陥る。ストレスはマックスにまで膨れ上がり、もう家で大人しくしていても頭がパンクしそうだ。そう思った人たちが、ウォーキングに、サイクリングに、ポンポン外へ飛び出していた。1日1回外での運動を許可されていた英国で、人々は制限をできる範囲内で拡大解釈し、工夫を凝らして、外出を楽しみ始めていた。気がつけば、私の住む静かな村には、いつもより人が増えている。明らかに今まで野外活動をするタイプではなかった人たちまで、フットパスを歩いていて、ちょっとした混雑が生じているではないか。ソーシャル・ディスタンスをそれほど気にしなくていいはずの野外で、人との距離に神経を遣う。「なんだ、これ?」 医療従事者たちへ子供達が描いた虹が、窓に飾られている光景をよく目にした  また、もうひとつ注目したことは、ロックダウン中、毎週木曜日夜8時になると、医療従事者たちに感謝の意を表す”Clap for Heroes”というキャンペーンが全国に広がっていたことだ。私の村でも皆それぞれの庭に出てきて、拍手したり、鍋やバケツを叩いたり、楽器を奏でたりして、「ありがとう」を伝えることが、ロックダウン生活の一部となった。このときが唯一人々が集まり、何かを一緒にすることができ、皆の心を和ませている。ネット環境が整っている現代、会えない人や行けない場所に繋がることはできるが、やはりそれはあくまでもバーチャル。直接ふれあうのとは、全然違うのである。そんなことを人々が再認識したのが、この”Clap for Heroes”だったように思う。皆の笑顔、そしてお互いを労う姿がとても印象的で、私もホッとして救われたのである。  20年春から初夏にかけて天気が安定してくると、自宅で過ごすことが多くなった人々は、普段できないガーデニングや家庭菜園、DIY、アート制作に勤しんだ。すると、それらに関連する品物の争奪戦が勃発し、店からもネットからも売り切れが続出する。コロナ禍とEU離脱による影響で、供給側は追加入荷が間に合わず、消費者は苛立ち、クレームが増え続けた。私も庭仕事で必要な培養土を探し回ったが、全て店から消えていた。店側も、政府の方針と需要と供給の落差に振り回されて疲弊していた。例えば園芸店では、第1回のロックダウンで店を強制閉鎖していたため、初春の人気植物を破棄せざるを得ず、大きな損害を出していた。その後の、この異常な品薄や品切れ状態。私の馴染みの園芸店スタッフも、「どう対応していいか分からないよ」と苦笑していた。しかし、人々が植物を育て、体を使って何かを創造しようとすること自体は、今後、面白い刺激を社会にもたらすような予感がした。ガーデニングは英国のお家芸である。アロットメント(市民農園)の制度は、1500年代後期からすでに存在している。今、再度彼らの中にあったDNAが目覚め、熱を帯び始めようだ。  20年7月ごろに、ロックダウンはほぼ解除された。待ってましたとばかりに、ロンドンなどの大都会からここ南西部に、人々がどどっと押し寄せてきた。週末になると、主要道路は大渋滞になり、名所付近では駐車場に車が止められず、外にまで溢れ出て道を塞ぎかねない状態になっていた。南西部海岸線沿いのトレイル「サウスウェスト・コースト・パス」には、眺めの良いポイントに人々が集中するホットスポットができ、行列ができる異様な光景が出現し、全国紙の一面にも載るほどのニュースになった。もう、ビーチもフットパスも芋洗状態。こんなことは、以前にはなかったことである。運営側や地方自治体は、動けるスタッフの人数を制限しているために、トイレや売店を開けることができす、対応が大幅に遅れた。また、利用者の安全確保も懸念材料となり、頭を抱えていた。利用者たちは、節度を持ち合わせていないわけでないが、それ以上に自然の中でリフレッシュしたい気持ちが強過ぎて、抑えることができないようだ。この様子を、観光業に頼っている地元民は「来て欲しいけど、来て欲しくない」と、複雑な思いを吐露していた。しかし、新規利用者獲得といった新たな可能性も生まれ、アウトドア業界や観光業に少し光が見えてきたように思う。あとはタイミングの問題か。「どうか、それまで業界の体力が保ってくれ!」 つづく *第三部は、こちら >>。 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 2020年春。新緑がようやく長い冬から目覚めた。小鳥たちが求愛の鳴き声を響かせ、ミツバチたちは、蜜を探して忙しく飛びまる。子羊たちが初々しく親を呼ぶことが聞こえてくる。いつもの生命力満ち溢れる、英国の春の訪れ。人間たちも、心なしか、ウキウキし始める。しかしそんな待ち望んだ春の中、私は清々しい空を見上げて、どうしようもない疎外感を感じた。ふっと、大きなため息がでる。  2020年始めに東アジアで広がり始めたCOVID-19は、あっという間に欧州にも広がり、英国政府も慌てて3月末から、ロックダウンを実施せざるおえなくなった。現在、英国の田舎サマセットに住んでいる私には、ちょっと買い物が不便になった程度で、日々の暮らしに、それほど大きな変化もなく過ごしていた。感染者数も都会に比べたら、そう多くなく、アジア人だからと何かいやな思いもすることもまったくない。確かに予定していた計画や旅行ができないことに、苛立ちはする。でも、それはみな同じ状況。見えない圧による閉塞感もあるけれど、それも想定内といえば、そうだ。にも関わらず、なぜこんなにも気持ちが落ちて、焦っているんだろうか。  ロックダウンが始まると、人々の活動が止まった。いつも聞こえる飛行機や車の騒音、近くの小学校から聞こえる子供達の声、誰かが作業をしている音。すべてがぴたっと止まった。異常なほどの静けさの中、五感に流れ込んでくるのは、春を謳歌している周りの自然の気配。普段なら癒されるはずなのに、今はその自然に対してイライラしている。人間は止まれと言われているのに、自然はそんなことは御構い無しに先へ先へと進んで行くからだ。自分は自然の中の一部だと認識していたはずなのに、突然大きな壁がドーンと立ちはだかり、取り残された気分だ。それが、どうしようもなく虚しい。「ねー、待ってよ。置いていかないで。」  ガーデニングを生業としている私には、自然とのふれあいは、生活の一部であり、いつも意識していることだ。しかしここにきて、思いっきり失恋したみたいだ。というか、ただの片思いだったのかもしれない。Wildlife Friendly, Re-wilding, Sustainability, Organicといった言葉に敏感に反応し、言葉にしてきた私に対して、「そんなことを求めてはいないよ。あんたなしでも、生きていけるんだ。」と自然に突きつけられたようで、失望を超えて、滑稽に思えてくる。癒しや豊かさを望んだ私のとんだ勘違いだったのか。よく考えたら、今回の大騒動を巻き起こしたウィルスにしたって、自然の一部なのだ。「こちらが自然に寄り添おうとしても、いつでも手厳しいな。ただえさえ、通常営業ができなくて、凹んでいるのに、この塩対応どうなのよ。もっとやさしくしてよー!!」空に向かってぼやいても、答えは返ってこなかった。ただの八つ当たりである。 つづく *第二部は、こちら >>。 [embed]https://www.youtube.com/watch?v=ez-B8j8VZcA[/embed] 2020年日本ロングトレイル協会 オンライン・シンポジウムに向けてのメッセージ 【この記事は、自然体験.comに連載された記事『英国カントリーサイドにて』を再編したものです。】 参考:2020年日本ロングトレイル協会 オンライン・シンポジウム ロングトレイルを歩こう 第1部「アフターコロナの歩き方」 ロングトレイルを歩こう 第2部「第8回ロングトレイルシンポジウム」 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

ロックダウン中、公共施設は、すべて閉鎖となった  2019年末からのコロナ禍。それに伴い英国では、2020年3月末からロックダウン状態になりました。  「ああ、どこかへ飛んで行きたい。」  ド田舎に住んでいる私には、さほど影響もなく生活しているのに、見えない緊張感と閉塞感で押し潰れそうになり、息苦しくなるのです。どこにも行けず、ただただ空を見上げ、籠の中から飛び立ち自由になる鳥の妄想をする日々が続きました。 ロックダウン後のフットパス  ロックダウン後、英国国内では車や飛行機の交通量が減り、大気汚染が改善され、ロンドンの二酸化窒素(NO2)量は、前年比で40%近くまで減り、全国の騒音が50%減った*1と報告がありました。私の家の周りも、鳥たちの鳴き声が響き渡り、遠くから羊の親子が呼び合う声がはっきりと聞こえてきます。星空はいつもより鮮明に見えるし、フクロウのホーホーと鳴く音が、妙に心を落ち着かせてくれます。そんな自然の癒しで少しでもリフレッシュしたいと、外を散歩したり、サイクリングしたりする人たちが通常の3倍ぐらいになり、フットパスはちょっとした混雑状態。今まで近所を散策したことがないであろう人たちの姿をたくさん見ました。ある友人は、「40年近く住んでいるこの土地で、今まで一度も歩いたことがなかったフットパスがあったけれど、今回初めて歩くことができたよ」と言っていました。 コロナ禍で、医療従事者に対する敬意と配慮が重視され始めた  YouGov pollによるとロックダウン中74%のひとが、何らかの運動したと答えており、そのうち女性は10人中6人、男性は半数がウォーキングを選択したとのデータ*2があります。自分の周りにある自然は、人間にとっての非常事態とは無関係に、何事もなく進んでいくことに安心すると共に、人間だけがあたふたして置いてけぼり状態で、思わず苦笑いしてしまいます。それでも、みなが近所を散歩する姿は、先行きが不透明な今、何かを変そうな予感がして、微かな希望の光ように映ります。今課題になっているソーシャルディスタンスが、ただ感染予防という点だけでなく、今後人と人とのの関わり方と距離間を変え、人々がもっと外へと出て行く機会が増えそうな予感がします。 心身の健康保持とソーシャルティスタンスのため、ウォーキング、サイクリングをするひとが、圧倒的に増えた 私たちを影で支えている人たちを想う ヘリコプターだけはロックダウン中も頻繁に飛行していた  そんな静かな空を見上げながら散歩していると、突然爆音が平穏を切り裂くかのように、ヘリコプターの姿が現れます。自宅近くには、ヘリ工場があり、基地もあるため、よく飛行していくのです。ロックダウン中でも、多い時には1日20機ぐらい飛んでいきました。飛び越していくヘリの姿を、私は無意識に毎回目で追いかけてしまいます。18歳の夏、山小屋で1ヶ月住込みでバイトをしたことがあり、ヘリが物資を運んだり、人命救助にあたる姿をよく見ていました。そのため、ヘリはライフラインであり、最前線で戦うものと私の脳みそに刷り込まれてしまっているのです。誰かの命を守るため、日夜私たちの健康と安全な生活を守るために、飛んで助けに行くヘリを眺めながら、感謝の気持ちと共に、私はこんな能天気にしていていいのだろうかと、複雑な気持ちになります。今回のパンデミック下では、財力、権力、テクノロジーがそれほど役に立たず、近年社会からぞんざいに扱われてきた、医療、福祉、食品小売業、物流、第一産業など生活の基本となるものが、一番大切なんだと思い知らされました。どれだけの人たちが影から支えてくれていて、私たちの当たり前を成立させているのか、改めて考える必要に迫られているように感じます。 医療従事者に感謝の印として、子供達が描いた虹の絵を窓に貼っているのが、そこら中で見受けられた 近所の子供達の虹アートに感化されて、私も前庭に色付けした柳と羊の毛で虹を作ってみた アウトドアスポーツは、危機管理能力を上げる  私がここで書いている「歩き」を含めたアウトドアスポーツも、高揚感、癒し、達成感を求め楽しむ遊びではありますが、一歩間違えれば、ケガや遭難事故で悪夢となりかねない、紙一重の細い線を綱渡りしているようなもの。そんな遊びを実現させてくれ、少しでも安全で楽しめるよう、見えなところで守り続けている人たちがいます。器具調達、ルート確保と整備、食事やトイレ、情報提供(地図・天気・ルートなど)、宿泊施設、万が一の時には救助など、実に多くの助けが必要となるわけですが、それらをサポートしてくださる方々の功績は表には出てきません。私のような凡人のぶらぶら歩きですら同じで、どれほどの支えがあって、無事に行えることができているのか、歩く旅ができない今だからこそ、振り返り思うのです。そして、そんな彼らに何か少しでも恩返しをしたいと思った時、自分に何ができるのか考えていくと、「危機管理」という言葉にあたりました。もちろん、ボランティア活動や寄付などで直接奉仕することも素晴らしいと思いますが、まずはその人たちの努力を無駄にしないように、ひとりひとりのアウトドアスポーツでの危機管理能力をもっと高め、行動することが、最低限必要だと考えます。なぜなら、場合によっては、自分の遊びによって、彼らに大きな負担をかけ、最悪命を奪うことにもなりなねない。リクスをすべて回避できずども、下げる努力は常に忘れてはいけないなと思います。  また、今回のパンデミックを含めた災害は、いつ起こるのか予測はできません。せめてできることは、災害などが起きた後に、周りにいる人間と協力して多くの人命を救助し、減災に努め、心身共々安定した生活へ戻せるかが重要であり、それしかコントロールできないのが、人間の限界だと思います。「想定外」のことが起こるのは、想定内なんじゃないかと。1995年に起きた阪神淡路大震災の時に「救出してくれた人は誰か」という調査で、自力が35%、家族に32%、友人・隣人28%、通行人2%、これらを自助、共助と呼び、合わせると97%となります。それに対し警察や自衛隊などの緊急時の救助を業務としている組織による助けは、公助と呼ばれ、それはわずか2%という結果*3がでています。災害が大きければ、公助には限界があり、政府や自治体に頼っていては命は救えず、自分たちで何とかしなくてはならない。今回のコロナ禍でも、改めて確信しました。それに、危機とは災害だけでなく、個人の日常生活上でも、いつ何時でも起こりえるものです。そのためにも、日頃から「危機管理」のトレーニングをしておく必要があるということだと思います。それができる場は、予測不可能な自然を相手にするアウトドアスポーツなのではと、素人の直感レベルですが、感じています。 自然災害大国日本が、世界にできること ピーク・ティストリクトでのトレラン大会にて、緊急時のために待機していたチャリティー団体、Mountain Rescue England and Walesのスタッフ。彼らのような人たちの助けを忘れずにいたい  そしてさらに図々しい主婦の私は、日本こそが危機管理能力向上トレーニングの最適な場となり、世界をリードしていける可能性があるのではと、勝手に大きな絵を想像しています。なぜなら、日本は世界有数の自然災害大国だからです。それを自慢することではありませんが、日本の自然、社会、そして文化は、この自然災害に良くも悪くも大きな影響を受けて成り立っている以上、それを一つの特徴とし、その経験値を生かして、リスク、そしてクライシスマネージメントの点から世界に貢献する役割があるように感じます。例えば、東北被災三県に2019年にオープンしたみちのく潮風トレイルのような、災害をひとつのテーマとして織り込むアウトドアスポーツやツーリズムによって、被災地を訪れ、経験談を聞き、今そこで生きていこうとしている人たちと交流することひとつとっても、危機管理意識の啓蒙活動に繋がるような気がします。トレイルのような歩く旅の醍醐味のひとつは、自分、他人、そして人と自然の見えない繋がりを日常を離れてじっくりと再確認することです。それは、危機管理を考える上で大事なベースにもなりえます。 7月14日に行われたWorld Trails Network代表ガレオ・セインツ氏のネット公開インタビューの様子  ということで、私のような素人は、まず読図、ナビゲーション能力、応急処置法、ケガをしない体力づくりあたりから、危機管理能力アップを始めてみようと思います。そして、歩きまくる。歩くことは、災害避難の基本です。先日World Trails Network代表のガレオ・セインツ氏の公開インタビューがネット上で行われ*4、今回のパンデミックによる災害や自然災害の観点からも、安全で楽しめる歩く場がさらに求められるようになり、今後の街づくりにも大きな影響を与えると言っていました。  ということで、まず歩こう!!影にいる人々に感謝しながら・・・。 * World Trails Networkが、新型コロナウィルス下でのトレイル利用と運営についてのガイドラインを世界に向けて発表しました。ぜひ参考にしてみてください。 Covid-19 and Trails Guidelines For Trail User Safety and Trail Protection 参照: *1 British Geological Survey Press Release, 9th April, 2020 *2 YouGov, Changing consumer landscape:  Sports, dieting, and exercise, 21st May, 2020 *3 日本火災学会、1995年兵庫南部地震における火災に関する調査報告書 *4 World Trails Network Chair - Galeo Saintz, webinar interview with the Abraham Path Initiative, 14th July, 2020 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

路線バスを観光客に利用してもらおうと、二階をオープンにしたり、看板で情報をわかりやすく表示したりと、一生懸命工夫している様子がうかがえる *一日目は、こちら >>  二日目: 今日も長崎・・・、いやいや湖水地方は、雨だった〜♪ あちゃー、朝から本降りです。のちのち晴れる様子もないぶ厚い雨雲。今日も濡れるぞー!!と覚悟を決めて、B&Bを出ました。二日目は、湖水地方のもうひとつのシンボル的存在であり、英国を代表するロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースが暮らしていた家、ダヴ・コテージを訪ね、その周辺を歩きます。まずは、ウィンダミアからライダルという村へ、バスで北に向かいました。湖水地方は、マイカーで訪れる人が多く、自然環境や地元住民の生活への負担が懸念され続けてきました。2017年世界遺産登録をきっかけに、公共交通機関をさらに利用しやすくしようと努力を重ねています。その結果でしょうか、英国の田舎には珍しく、バスの本数はそれなりにあり、ストレスなく移動できました。運転手さんが、ヘッドマイクを装着し、運転しながら湖水地方の案内をしてくれていましたが、まだちょっと慣れていない様子。世界遺産のために頑張る彼らが微笑ましいです。ただごめん!訛りが強くって、聞き取りずらいよ〜、運ちゃん。 [osmap centre="NY3463906653" zoom="7.00" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Lake-District-_-Rydal-to-Grasmere.gpx" markers="NY3646806153!red;出発終着点: ライダル"] [osmap_marker color=red] ライダル  30分弱で、ライダルに到着。ここから、ライダル湖とグラスミア湖を左に見ながら、ぐるっと一周するコースをいきます。その途中にある村グラスミアに、ダヴ・コテージがあり、休憩がてら立ち寄る予定。バス通りから山側に一歩奥に入ったところにフットパスがあり、まずはライダル村の住宅エリアを抜けていきます。すると左側にライダル湖が姿を現しました。小さな山に囲まれ、その谷間に水が流れ落ちてできた小さな湖。山々には、オークなどの落葉樹の大木たちが、湖へ手を差し伸べるかのように枝を伸ばし、霧が葉の間を穏やかな川の流れのようにすり抜けていきます。昨日訪れた開放感のあるウィンダミア湖とは対照的で、ライダル湖とグラスミア湖周辺はとても可愛らしく、全体的にキュッとコンパクト。いつもは、くっちゃべり続けるふたりですが、今日は黙々と進んでいきます。カッパから伝わる雨音と濡れた大地をブーツが蹴る音だけが聞こえ、瞑想をしているときの気持ち良さが、歩きながら湧いてきました。母親の胎内にいるような、包み込む優しさが漂い、湿気った空気と共にスーと体に入ってきます。雨を通して、この地と同化したような感覚がありました。 ライダル一周コース  以前は外へ出る時、晴れ以外はハズレの日と思っていましたが、英国に住み始めてからは、今回のような雨でしか体験できない味わい深さがあることを知りました。それに、英国では、雨ぐらいで、外で遊ぶことをやめたりしません。歩くし、自転車漕ぐし、魚釣りもします。今日も雨がしっかり降っているのに、マウンテンバイクで通り過ぎていく若者たち、犬と散歩する人たち、そして私たちのように、散策するものたちで、フットパスはそれなりに賑わっていました。レバノンに長く住んでいた友人が、久しぶりに英国に帰国した際に、雨がどれだけ恋しかったか話していたことを、ふっと思い出しました。雨が続くと、みなブーブー文句を言いますが、場所が変われば、雨模様は貴重なんですよね。 1822年に出版された『湖水地方案内』の原本。本物を見ると、ワーズワースに会えたように思えるから不思議。もちろん、代表作である詩『水仙』が掲載された詩集の原本も見れる  一時間半ほどで、ダヴ・コテージ前に到着しました。さて、中を見学に行こうとする私に、ジルちゃんが難色を示します。もっと歩きたいと言うのです。「来る前に何度もコース説明したじゃん。この後も歩くんだよ。」ともう一度確認するも、「湖水地方までわざわざ来たからには、観光じゃなくて歩きたい。」と平行線。こりゃ、ダメだと思い、地図を広げられるカフェで一服するため、一度コテージから去りました。ワーズワース参りしないで、湖水地方もへったくれもあるかい!とちょっとイラっときていた私ですが、最近仕事や執筆活動で問題が山積し、ストレスマックスのジルちゃんの気持ちもわからなくも・・・。正直別のコースを考えていなかったし、雨もまだ降っているので、コースを変えずに納得してもらえないかと、なんとかなだめる私。ずぶ濡れの服を乾かすがてら、ダヴ・コテージを見学することを、ようやく承諾してもらいました。 早速コテージに戻り、まずは隣接している展示場で、コテージ内見学の順番待ち。ワーズワースの肖像画や当時出版された詩集本などを見て回りました。ロマン派詩人として、彼の英文学への功績はもちろん言うまでもないですが、私個人としては、今日の環境保護運動の先駆者としての尊敬の念が強く、ガラスケース内に1822年に出版された『湖水地方案内』の原本を見たときは、感無量でした。この本の中で、彼は湖水地方を、“a sort of national property, in which every man has a right and interest who has an eye to perceive and a heart to enjoy”ー見る目と楽しむ心を備えたすべての人が権利と関心を持つ、一種の国民的財産である(小田友弥訳、2010)と述べました。この考え方から、国立公園やナショナル・トラストなどが誕生し、今日議論されている環境問題や持続可能性などへと繋がっていくのです。日常で普通に使われるようになった「エコ」という言葉も、もしかしたら、ワーズワースがいなければ、世界中に認識されてることがなかったかもしれません。数ヶ月前に登録された世界遺産を機に、彼の環境思想は、学者たちの中で、再評価ブームがきているようです。約200年前に、新たな自然に対する視点が議論され、それが今私たちが当たり前のように感じ取っていることが、すごいことだなと感動していると、メモ帳片手に、真剣に展示物に見入るジルちゃんが・・・。なんじゃい、結構楽しんでるじゃねーか。 一生懸命メモしながら展示に見入るジルちゃん。文句言ってたの、どこのだれよ  ついに、コテージ内を見れる順番がきました。ワーズワースと彼の家族、そして訪ねてきたロマン派の詩人たちについて、丁寧にガイドさんが説明してくれました。彼らの生活した跡が若干残っている空間で、彼らが歩き、遊び、食事し、創作し、旅行し、恋愛し、時に失敗し、そして、湖水地方の自然を愛していたんだな。偉大な詩人も私たち同様、人生を謳歌していたことがわかり、「なーんだ。私たちとそう変わらないじゃん。友達になれそう。」とふたりで笑っていました。このガイドツアーを通して、私には、ひとつの発見がありました。ウィリアム・ワーズワースの妹、ドロシー・ワーズワースです。彼女についての記録は少なく、肖像画もないので、どんな人だったよくわからないそうです。ただ、彼女は詩人の兄の片腕として、一緒によく行動をし、歩きにも行っていたことが、唯一残された記録である彼女の日記から読み取れます。まだ女性の地位が低い時代に、ドロシーはよく湖水地方内をひとりで散策をしていたそうです。彼女もまた女性ウォーカーという新たなムーブメントを起こしたひとであり、私たちふたりにとっては、ウォーキングの女神と言えるのではないでしょうか。といくことで、最後記念に私はドロシーが書いた日記本"The Grasmere and Alfoxden Journals"をゲット。なんとジルちゃんは、ワーズワースの詩集をちゃっかり購入していました(その後、ジルちゃん宅のトイレでこの本に再会しました)。ホレ、みたことか。すっかりハマってんじゃん!  さて、後半戦。雨は我々の望みとは裏腹に、止むことなくシトシトと降り続けています。もう天気には期待せず、あとは歩いて出発点に戻るのみとグラスミアの目抜き通りを抜けて、大きくUターンするように、来た道とは反対側の湖の辺りを歩き始めました。雨が服にも靴にも染み込んで、二人のメガネも汗と混じって曇り、不快感を通り越して諦めの境地。二人の距離も少しづつ離れ、会話もなくなり、ただただ修行僧のように黙々と歩を進めていきます。でも、不思議と嫌な気持ちにはなりません。ジルちゃんも当初の目的である歩きができて、満足そう。やっぱり、ここは湖水地方。一年の2/3が雨天。降水量は半端ないのだ。しかし、出発点のライダルに戻って来たときには、さすがにクタクタになっていました。さっさと宿に戻り、服を着替え、夕食にタイ料理を食べ、昔ながらの映画館でまったりして、体に温もりを戻していきました。なんだか、学生時代に戻った夜でした。 ワーズワース以外にも、詩人のコールリッジ、画家のタナーなどが多くの芸術家たちがこの辺りに滞在していた  翌朝、カーテンを開けると、外は眩しいほどピーカンでした。体も心もすっかり洗い流された二人。「帰る日に晴れやがって。待ってろよ、また来るからな!!」と捨て台詞を吐いて、一筋縄ではいかない湖水地方をあとにしました。 30th September 2017, Sat @ Hilltop & Moss Eccles Tarn & Belle Grange, Lake District, Cumbria 参照: *1 湖水地方案内、ウィリアム・ワーズワス著 小田友弥訳(法政大学出版局 2010) 観光&トレイル情報: 湖水地方国立公園 www.lakedistrict.gov.uk/home ダヴ・コテージ wordsworth.org.uk 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 秋だよ、歩くよ、どこまでも。友人ジルちゃんとぶらぶら英国散策、Deco Boco Walking。今回はついに英国人ウォーカーたちの聖地、湖水地方にやってまいりました。日本人観光客にも人気のこの地は、年間2000万人近くの人々が訪れる英国を代表するリゾート地です。1951年に国立公園に指定を受け、2017年には30年越しの夢を叶え、ユネスコ世界遺産に登録され、今後さらにその勢いは増しそうです。 [osmap markers="SD4138598631!red;湖水地方" zoom="0"] [osmap_marker color=red] イングランド北西部 湖水地方 ウィンダミア  今回の拠点は、湖水地方南側の中心地、ウィンダミア。可愛らしい田舎町といった雰囲気で、ここに大勢の人々が来れるのかと驚くほどのコンパクトさです。駅周辺には、観光客向けの店が連なり、その奥にはB&B(朝食付き民宿)激戦区が続きます。どことなく、軽井沢や清里などの町並みを思い出させる、地元の人々の生活感が表に見えてこない空間がそこにはありました。今回は、初めての湖水地方ということで、コテコテの観光しながら、歩くことにしました。散歩レベルの歩きから始まった凸凹コンビが、まさか湖水地方へ上陸するとは…。高揚感が半端ない! [osmap centre="SD3932397227" zoom="6.00" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Lake-District-_-Windermere-Hill-Top-Walk.gpx" markers="SD4123898014!red;出発終着点: ウィンダミア"] [osmap_marker color=red] ウィンダミア 大雨でウィンダミア湖を渡るボートには、私たちふたりのみ  一日目:日本でも有名な湖水地方の代名詞ともいえる大ベストセラー児童書『ピーターラビット』。今回は、その生みの親であるビアトリクス・ポッターが暮らしていた家、ナショナル・トラスト所有のヒルトップを中心に歩きます。あいにくの雨。それでも我々の足を止めることはありません。ボウネス・オン・ウィンダミアから、ウィンダミア湖をボートで渡り、ファ・ソーリー(Far Sawrey)へ。そこからミニバスで、ヒルトップへと向かいます。朝から本降りで、ミニバスに乗ったときは、雨具も靴もびっしょり。服から滴る雫をどうすることもできずに、曲がりくねった道を進むバスに揺られ、小さな村ニア・ソーリー(Near Sawrey)に降り立ちました。 ビアトリクス・ポッターが住んでいた家、ヒルトップ。多くの観光客が訪れる名所 ヒルトップの階段の踊り場に展示してあった彼女の手紙からの引用。「雨続きで、我々のところも浸水しそうになってきていますが、とりあえず麦のタネを蒔きました。」今日のような大雨の中で書かれたのだろう。彼女と繋がった感じがする  さすがこの雨で客はいないだろうと思っていたら、ヒルトップには私たちのような物好きがたくさんいるいる。道中、だれも人を見なかったのに、ヒルトップには、ウジャウジャ人がいるのです。どっから湧いてきたんだ、このひとたち?どエライ人気。そのため、土砂降りの雨の中、外で順番待ちをすることに・・・。雨に打たれながら「これ、夏に来たら悪夢だよ、きっと」と頷き合うふたり。ようやく順番が回ってきて家に入れましたが、照明がない家の中はあまりにも暗く、よく見えない。ヘッドライトを照らして見ている人もいました。展示を見ながら私個人としては、ピーターラビットより、ロンドンのお嬢様で、絵が得意だったポッターが、この湖水地方へ移り住み、最終的にピーターラビットの大ヒットで得た土地すべてをナショナル・トラストに寄付したことのほうが、大変興味がありました。湖水地方内に多くあるトラスト所有地のまさに三分の一が、彼女からの寄贈によるものだそうです。「えらい、金持ちだったんだ〜」と彼女の財力の重さが、ピーターラビットの可愛らしいイメージを吹っ飛ばしてしまいました。そしてもうひとつ興味深かったのが、彼女は若い頃生物学に夢中でしたが、女性ゆえに講義を受けることも新説を発表することも許されなかったそうです。時代が違えば、有名な学者になっていただろう彼女の才能は、別の形で開花したのでした。 腹が空いては戦(歩き)はできぬ。困った時のパブ頼み  せっかくここまで来たのに、今のところドヨーンと暗くて寒い印象しかなく、雨が一向に収まる様子もないこの状況に、この後歩けるのか不安で、気持ちがしぼんでしまいました。ここは、凸凹ウォークのポリシーのひとつでもある、「困った時は、パブ」。早めの昼飯がてら一度暖をとる作戦に変更。ヒルトップ見学もそこそこに、隣接していたパブへ直行したのです。営業時間10分前にも関わらず、強引なふたりを快く招き入れてくれたパブで、暖炉の前にあったテーブルを確保。さっそく脱いだ雨具と靴と靴下を乾かし始めました。恥もへったくれもない、外国人観光客ふたり。スープと地元のカンブリアハムのサンドイッチをじっくり食し、温まった素足で床の上をパタパタと叩きながら、雨が弱まるのを待ちました。なんて至福の時間なんでしょ。ヒルトップ見学よりポッターの世界にどっぶり浸れたように思います。エネルギーをジャージし、歩く気分も上がってきたので、勇気を振り絞って外へGO。 忍者ジルちゃん。急遽沢登りへ変更!?  まずは、ポーターもよく絵を描きにいていたモス・エクル・ターン(Moss Eccles Tarn)という小湖があるところまで登っていきます。「雨が止んでラッキーじゃん」と思ったのもつかの間、地面に降り注いだ雨が溢れ出し、道が小川へと変貌していました。もうここまで来たのだから歩くぞ!!と貧乏性外国人たちの決意は硬く。池のような水溜りは、石垣を忍者のごとくはって通り抜け、水がザーザー流れる坂道は、石を橋代わりに右へ左へと渡りながら歩いていきました。それでもせっかく乾かした靴に水は入ってくる。「足が濡れてキショイよー」と叫ぶジルちゃん。友よ、自然の中を歩くということは、そうゆうものよ。ましてやここは湖水地方。降水量が多いから湖がこれだけできるのがよくわかるっしょ。これも致し方ない・・・。どっぷり湖水地方の洗礼を受けたふたりでした。 どこを見てもピクチャレスク。ポーターが惚れ込むのもわかる気がする  濡れた足の不快感とは反対に、雨上がりの湖水地方は、なんと絵になることでしょう。空、雲、山、森、草原、川、湖。人間が思い描く美しい自然の要素全てがそこにはあり、時間とともに、刻々と姿を変えていく。大自然の舞とでもいいましょうか。全く飽きがこない。多くの人々がこの地を愛してやまない理由がわかります。日本人の私でもノスタルジックな気分にさせられ、胸がキュンキュンしてきます。とてもロマンチックなのです。流れていた雲から徐々に青空が顔を出すようになってきました。英国の自然といえば、ヒースなどの低木が群生している高原地帯ムアランド(moorland)のイメージでしたが、湖水地方には、立派な落葉樹が多く生息していて、すごく印象的です。紅葉した落葉樹は、陽の光で黄金色にキラキラと輝きます。日本の紅葉のイメージと少し違い、哀愁もあるけれど、それ以上に突き抜けた明るさを感じるのは、なぜでしょう。  あっという間にMoss Eccles Tarnに到着。そこらじゅう水浸しの道を歩いて来たので、小湖を見ても、ふーんといった感じです。それじゃ、もっと歩いてみようと、先に進みます。目の前に広がる牧草地には、放牧された羊たちが天気など気にせず、草を毟るのに夢中です。ところどころでフサフサした大型犬が歩いていて「なんだ、ありゃ?」とふたりで不思議がっていました。のちにそれが湖水地方原種で、ポーターが多くを保護したハードウィック羊とわかったのです。あちゃ〜、もっとちゃんと見ておけばよかった。残念。 雨で濡れた石段がつるつる滑り、ふたりからブーイングの嵐  徐々に下降しながら、ウィンダミア湖へと出ていくコースをとりました。今まで私たちが歩いてきた数々のナショナルトレイルは、どんぐりマークを追って歩くので比較的簡単でしたが、湖水地方は標識が少なく簡単なルートでも地図を見ながらでないと、すぐに道を間違える危険があります。今までのように、最悪タクシーを呼べばいいじゃんとは、いきません。湖に戻ってくるまで、あっちか、こっちかと不安になりながらも、なんとか降っていきます。読図に自信のない私たちの頼りは、紙のOSマップだけでなく、スマフォにダンロードしておいたOSマップ。現在地を示してくれるので、とても助かりました。読図力アップを心に誓いつつ、ついつい機械に頼るぐーたらなふたりです。 ジルちゃん、ブナと交信中  針葉樹の森を「なんか、ここだけ暗くてカラーが違うなぁ〜」と思いながら抜け、完全に水が氾濫した道を「最悪ぅー!!」と叫びながら通り、丁寧に作られた石段の道を「誰だ、こんないらぬ仕事をしたバカは!」と、文句を言いながら、滑りそうになり、ようやく湖にたどり着きました。天気はすっかりよくなり、肌寒いけれど清々しい空気の中、湖の岸に沿って、今朝に降り立ったボート乗り場へと向かいました。天気が回復したためか、老若男女多くの人たちが夕方の散歩を楽しんでいました。湖水地方に来たらハイキングしなくてはならない・・・とは限らない。散歩してお茶してのんびりしてもいい。一日中本を読みながら、景色を眺めていてもいい。スケッチブックに絵を描くのもいい。サイクリングしてもいい。乗馬してもいい。トレランしてもいい。セーリングしてもいい。自分なりの流儀で遊び、この風光明媚を謳歌すればそれでいい。誰も干渉などしてこない。湖水地方出身で、ロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースは、湖水地方のことを、「見る目と楽しむ心を備えたすべての人が権利と関心を持つ、一種の国民的財産である」(小田友弥訳、2010)*1といいました。そんな雰囲気が、実際にここには満ち溢れていたのです。明日は、そのワーズワースが暮らした家を訪ねます。  二日目につづく  二日目は、こちら >> 30th September 2017, Sat @ Hilltop & Moss Eccles Tarn & Belle Grange, Lake District, Cumbria 参照: *1 湖水地方案内、ウィリアム・ワーズワス著 小田友弥訳(法政大学出版局 2010) 観光&トレイル情報: 湖水地方国立公園 www.lakedistrict.gov.uk/home ナショナル・トラスト ヒルトップ www.nationaltrust.org.uk/hill-top 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

大都会からド田舎へと流れてきたワタシ  15年前までの私は、東京・新宿にある高層ビル内のオフィスで、映像編集の仕事をしていました。甲州街道とそれに吸い寄せられるようにコンクリートジャングルが遥か遠くまで続く風景を、オフィスの密閉されたガラス窓から、時々ボーと眺めていました。そして、その先には、富士山。徹夜で作業した朝には、赤く染まる姿を拝むこともありました。無機質の冷たい部屋から見る富士山は、遥か彼方にある桃源郷に感じていたのです。その私が、その後渡英し、ひょんなことから2018年夏に、ド田舎のサマセットへと、たどり着きました。今は、あの大都会東京で、リアルに感じられなかった富士山を見ていた自分とは、真逆の立場になったわけです。人生、不思議なもんですね。  そのサマセットって、どんなところかと簡単に申し上げますと、ブリテン島の南西部に位置し、比較的穏やかな気候で、古き良き英国が残る牧歌的でのんびりしたところです。チェダーチーズやサイダー(りんご酒)が有名で、英国最大の音楽フェスが開催されるグラストンベリー、ジェーン・オースティン小説の舞台になっている英国の保養地バースもサマセットにあります。そんな風土の中、「自分たちのことは自分たちで」という独自路線をゆく精神が育まれ、国の中心であるロンドンを意識せず、チェーン店の侵食を嫌い、地産地消の考えが浸透している、ちょっとアナーキーで、ヒッピー色が濃いのが特徴です。 [osmap centre="ST3707833796" zoom="1.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Somerset-area-new.gpx"]青色で示されたエリアが、サマセット州 大鎌草刈りって?講習へ参加してみた 元ヘビメタ少女には、大鎌のイメージは、死神。よい子は、真似しないで!© Gillian Best  新たな地に移り住めば、その土地の洗礼を受けるものです。ましてや日本人の私には、カルチャーショックがデカい!牛や羊がそこいらに放牧しているド田舎サマセットでの最初の洗礼は、大鎌で草刈りをするScythingでした。まったく見たことも聞いたこともないこのScything。元ヘビメタ少女だった私には、大鎌といえば、死神が持っているイメージぐらいしかありません。しかし、ここサマセットを中心にブリテン島の南西部では、かなり大きなブームになっており、大鎌草刈り競争の大会が毎年開催されているほどです。  でもここで普通に私は疑問に思いました。なんで、芝刈り機や草刈り機使わないの?と。その答えは「ガソリンを使わず、うるさい音もしない大鎌での草刈りは、エコで自然に優しいから」。どこかで聞いたような心地よいフレーズ。21世紀の今、そんなんで仕事になるの? 半信半疑だった私でしたが、急遽仕事で必要となり、これも良い機会ということで、早速初心者コースを受けてみることにしました。 大鎌のセッティングについて説明する講師のサイモン。英国で数少ない大鎌のエキスパートのひとり  古いお屋敷を、研修設備付きのエコB&Bに改築した、モンクトン・ウェルド・コート(Monkton Wyld Court)に週末二日間泊まり込みで、大鎌の基礎、歴史から実際の使い方と刈った草の処理まで、みっちり講習を受けてきました。講師は、ヒッピーコミューンで暮らして何十年のベテラン、サイモン。映画『ハリーポッター』にでてくるハグリッドのような顔。ヨレヨレのシャツ、ズボン、サンダル姿。無愛想で独特な話し方。パンチの効いたキャラが印象的です。そんな彼が、大鎌をブンブン振り回すものですから、ヒヤヒヤもの。いつもの好奇心が疼いて参加したものの、えらいところにきてしまったもんだと焦りました。しかし、私と同じようにガーデニングを生業としているひとたち、オーガニック牧場の経営者、庭の荒地をメンテしたい主婦、自然保護区の管理に役立てたいひとなど、私と似たような目的で集まった参加者に、ちょっと救われたのです。  大鎌と一口に言っても、実は地域によって違います。英国式、オーストリア式、バスク式、また東欧、中東でも使用され、それぞれデザインが違います。大変興味深いのが、インドから東側のアジアでは、大鎌は使われていないようです。風土の関係なのか、体の使い方の問題なのか、なぜ発展しなかったのかは謎ですが、どうりで日本人の私には、馴染みのない農具だったわけです。今回習ったのは、オーストリア式。英国の従来の大鎌はとても重く、力のある若い男性用に作られたものでしたが、オーストリア式は、全土の3分の2が山岳地であるため、機械がいけない急斜面での作業が可能で、女性や子供でも使える軽量なものになっているということで、最近英国でも主流になっているそうです。 左が英国式。右がオーストリア式。重さがぜんぜん違う  使い方は、まず左手で上、右手で下のハンドルを握り、鎌刃が地面と水平になるように少しだけ浮かせます。右後ろにおもいっきり引いてから、半円を描くように左へ、グイッとスイングさせていきます。そしてまた右後ろに戻すの繰り返し。ゴルフで、ドライバーを上から下へと振り下ろすのと同じ要領で、下半身は固定し、上半身、特に腰を使って、右から左へとスイングさせるのがコツです。15分ぐらい刈ったら、砥石で刃を研がないと、たちまち切れ味が悪くなるので、定期的にケアが必要です。そして、丸1日使ったあとは、刃がなくなってくるので、Peeningという、刃先をハンマーで打ちながら薄く伸ばしていき、再度砥石で研いて、切れる状態にする作業が必要になります。  草刈りの基本動作はそう難しくないのですが、実際やってみると、うまく草が切れなかったり、石に当たったりと、思いの外習得するまで、みな時間がかかっていました。しかも、両足を開き、中腰になり、右から左へとスイングしながら、徐々に前に進み、草を刈っていくのは、かなりの重労働。太もも、腰、両腕、手のひらが、筋肉痛でパンパンに。振れば振るほど、汗がダラダラ。芝刈り機で楽々やっていた作業が、手作業だとこんなにも大変だとは・・・。昔の人々は、タフだったんだなと感心してしまいます。 Peeningと言われる、刃先を叩いて薄くし、刃を再生する作業。写真中央の黒い突起をハンマーでひたすら叩きながら、刃の隅から隅まで鋼を伸ばしていく  かなり体力と手間がかかる作業。エコとは言え、こんなめんどくさいこと、わざわざやる必要ある?機械でチャッチャッと片付けた方が、断然お得と考えてしまいがちですが、そこにはメリットもありました。まず、急斜面やボコボコの地面など機械が使いづらい場所で使える。そして、雨や露で濡れた草は、機械では詰まり刈れないが、大鎌は逆に少し湿っていた方が、よく切れる。冬の霜が降りた草でも問題ないそうです。私のような、現代社会の利便性にどっぷり浸かっている人間には、自然にやさしいからと大鎌で芝刈りをするほどの、強いポリシーはありませんが、ガーデニングの道具としてなら、それなりの使い勝手はありそうだなと感じました。 Green Scythe Fairは、摩訶不思議なイベント  洗礼を受けたあと、サマセットの文化をさらに深く体験すべく、6月に開催された大鎌草刈り競争の全国大会・Green Scythe Fairに、凸凹歩きチームメイト・ジルちゃんと家族一緒に行ってきました。小さな村のイベントとして始まったものが、今では前売りチケットが完売するほどの大変な盛り上がり。大会内容は、①決めれれた面積を大鎌で刈っていき、速さと切れ具合を競い合う、大鎌草刈り競争。個人戦と団体戦があります。②刈った草を木の骨組みに上手に積み重ねて、どこのチームが一番高く綺麗に盛れたかを審査する、積みわら競争。合図とともに、長髪、髭、サングラス姿のオジさんが、スースーと手際よく刈っていく横で、ワンピース姿の女性が、スカートをなびかせながら大鎌をスイングさせていき、2メートルある大きな男性は、特大の大鎌で力強くどんどんと進んでいく。朝から晩まで、大人たちが真剣勝負をしていました。 大鎌草刈り大会のウェブより。© Green Scythe Fair  大鎌大会の傍、音楽、ダンス、トークショーなども開催され、各ブースでは、自然食、工具、手作り工芸品などの販売から、地球温暖化問題、環境保全に取り組んでいる団体のPR活動まで。電気は、すべて太陽光と風力発電。お手洗いは、コンポスト(バイオ)トイレ。ゴミ分別も徹底した、まさにヒッピー・フェスです。ただ興味深いのは、ここにいる人たちは、私たちがよくイメージする60年代米国発祥のSex, Drugs, and Rock 'n' Rollのヒッピーたちとは若干違い、英国の中世時代に回帰しているような、独特なカラーを放っていました。J・R・R・トールキン『指輪物語』の世界にいるような感じです。 [embed]https://www.youtube.com/watch?v=TWdxD4ci8xQ&feature=youtu.be[/embed]  癒し、エコ、オーガニックといった言葉が容易に使われる今、机上の空論ではなく、自分たちの体と人生を使って、自分たちの信じる自然回帰の世界を作り出そうとしている人たちが、そこにはいました。鉄のような意思とそれを体現していく力強さ。自分の手を土や血で汚し、汗水垂らして真剣に取り組む姿。考え方すべてに同意はできませんが、口だけ番長ではない彼らは、尊敬に値します。その彼らを象徴するのが、大鎌で草刈りをするScythingなのです。  最近大鎌は、ナショナルトラストなどのチャリティー団体が、使い方をボランティアに指導し、保全のいち道具として普及し始めています。すでにヒッピーたちだけのものではなくなり、人々がその良さを再確認し始めたようです。なによりも、腰回り、太ももが気になるあなたには、ぜひともオススメしたい。ScythingでExercising。一度お試しあれ!! 参考資料: 大鎌草刈り講座 monktonwyldcourt.co.uk Green Scythe Fair www.greenfair.org.uk 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

雨上がりの朝、どこまでも続くブルーベルとワイルドガーリックの群集に、身も心も肌も、洗われてしっとり * 一日目は、こちら >>  二日目:豪華な朝食でバッチリ腹ごしらえをして、バードリップのB&Bをあとに。車道に出てすぐコッツウォルド・ウェイの標識を見つけ、森の中へと入って行きました。湿気を帯びた暑さは、昨夜の嵐ですべて流され、ヒヤッとした空気が、足元から湿った大地の匂いを運んできます。新緑も恵みの雨を喜んでいたのか、艶やかな光を放っています。雨上がりは、独特の静けさと清らかさがあり、歩いていると洗礼を受けているような・・・。私利私欲にまみれている私たちには、なおさらそれがビシビシ強く感じられるのでしょう。胃も心も満たされ、「極楽じゃ〜」と、まったりしてきたふたり。歩く速度もノロノロ。上を見上げれば、ブナの葉で覆われた空は、緑で埋め尽くされ、その隠された青空が逆に地面から湧き上がってきたかのように、ブルーベルの群集が足元からどこまでも続いていました。ここウィットコンブ(Witcombe)の森は、英国国内でブルーベルの名所といわれているだけあります。本当に可愛らしい春の光景。日本の桜を愛でるときに感じる、美しさと儚さへの賛美とは、また違う味わいのお花見です。 [osmap centre="SO8910712455" zoom="5.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Cotswolds-Way-_-Birdlip-to-Painswick.gpx" markers="SO9244714520!red;出発点: バードリップ|SO8658009625!green;終着点: ペンズウィック"] [osmap_marker color=red] 出発点: バードリップ [osmap_marker color=green] 終着点: ペンズウィック ナショナル・トレイルのどんぐりマーク、凸凹コンビが名付けた"Acorn God"に導かれコッツウォルズ地方を満喫中  生い茂る高木の中をひたすら歩いていきます。気温が徐々に上がり、熱気が篭り始め、じとーっと汗が出始めました。時々ポコっと視界が開けるスポットで、風にあたり涼みながら、遠くの田園風景をボーと眺め、そしてまた森の中を進む。それを繰り替えしていきます。コッツウォルドの景色は、まさに「Chocolate-box ー おみやげ用のチョコレートの包装箱に載せている写真のような美しさ」。どこをとっても絵になります。コッツウォルズ地方は、14〜16世紀に羊毛産業で栄えましたが、18世紀産業革命後、時代は毛織物から大量生産の綿製品へ移り、時代に取り残されてしまいます。しかしそれは逆に奇跡的に荒らされることなく、古き良き英国を今に残すことができたました。英国ので「カントリー(Country)」の意味は、日本で言う「田舎」のイメージとは違います。美しい田園地帯に家を持つことはステイタスであり、逆に都会にしか住めない人たちは、労働者といった感覚があります。つまり、カントリーライフは、英国人にとって、洗練された憧れの生活なのです。その夢見るカントリーライフで一番人気エリアが、このコッツウォルズ地方。ロンドンから2時間ほどで行ける理想郷として世界中の観光客を魅了し、英国セレブやリタイアしたひとたちが、こぞって家を購入する人気のスポットとして返り咲いたのです。その後、この美しい景観を守っていこうと、1966年にArea of Outstanding Natural Beauty – AONB(特別自然美観地域)に指定され、国、地方自治体、住民が協力して、持続可能な景観保護と地域社会に努めています。その効果の現れなのか、外国人の私たちでも歩いていて、「なんか知らないけれど、懐かしいなぁ〜」とそんな気分にさせてくれます。 チーズ転がし祭りが開催されるコパーズ・ヒル(Copper's Hill)。写真ではわかりずらいが、かなり急斜面  タラタラ歩いていると、そこへ突然とてつもない急な坂に出くわしました。「この暑い中、マジでここを登るのか・・・」と地図をなんども見直しましたが、そこに選択の余地はありません。諦めて登り始めていきますが、距離がそうないためか、上まできれいな直線の道になっており、乾いた土で足は滑るは、暑さで息がさらに苦しいはで、ヘトヘト。「朝食のエッグベネディクト食べ過ぎなければよかったよー」と叫ぶふたり。後悔先に立たず・・・というか、先に進まず。ようやくの思いで登りきり、広場へと出てきたところで、ふたりともまさに「Time!! ー ちょっと待った!」。地べたに座り込みひと休みしなくては、動けませんでした。「なんじゃ、ここは」と水を飲みながらガイドブックを見ていると、英国の奇祭のひとつであるThe Gloucestershire Cheese Rolling ー チーズ転がし祭りが開催される丘ではありませんか。日本のテレビ番組で、お笑い芸人さんがこの祭りに参加した模様が放送されていた、あの丘です。「こんなところ、チーズ追いかけて転がり落ちていくなんて、アホか!」ふたりとも首を横にフリフリ「英国人の考えること、本当によくわからないよねー」と苦笑い。 地元民たちが、愛犬とともにランニング。この環境が家の近くにあることは、健康面から考えても、必要なこと 凸凹コンビの未来の姿!?どこへいっても、女性二人で仲良く歩く方々をよく見かける。どこの国でも女性は元気 地元に愛される道でなければ、後世には残せない AONB指定地域総面積(黄色部分)は、2038平方キロメートル。ほぼ東京都の大きさぐらいで、英国内のAONBで一番広い。青い線が、コッツウォルド・ウェイ © Cotswold Way | National Trails  今回の旅を通して印象的なのが、訪問客だけでなく、地元のひとたちが、犬の散歩やランニングをしている姿をよく見かけたことです。コッツウォルド・ウェイは、AONB指定地域の一番西側に、北から南へと道が一本引かれてたところになります。観光客が訪れるチッピング・カムデン、ブロードウェイ、バースなどを通過しますが、コースのほとんどは、地域住民の生活圏内を通り抜けていきます。ですので、観光ツアーで出会う景色とは違い、コッツウォルド本来の姿が垣間見れる。観光スポットが表なら、このトレイルは裏道を歩いているような感じです。トレイルと聞くと、アウトドアや観光目的で、お客さま向けのものと考えがちですが、英国の場合は、まず住民が日常で利用しているフットパスがベースになっています。レクリエーション目的でのフットパス保護運動は、300年前に始まりましたが、それ以前から普通に通勤通学で使っていた生活歩道がフットパスです。そして、それをより面白くしようと作られたのが、数多くあるフットパスを一本に繋げた、今回のコッツウォルド・ウェイ含むレクリエーショナル・トレイルです。米国のウィルダネスを歩くトレイルとは、まったく異なる文化がそこにはあります。だから、ヘタレな我々凸凹コンビでも、そんなにトレーニングもせず、気軽に歩きに行けるトレイルが多いのです。 石屋の敷地に、フットパスが縦断している。勝手に入って、そのまま進んでも、問題なし 「ゴルフ場にこれから入ること、心せよ」と注意書きが・・・。「入ってもいいけど、なんかあったら自己責任よ」という考え方、英国らしい  その後も森の中を歩き続け、車道にでてきたところで、今回のコース最後のポイントになる丘陵の上にできたもうひとつの森、ペンズウィック・ビーコン(Painswick Beacon)にあるパブを発見。キンキンに冷えた飲み物求め、倒れこむように中へ。炭酸水を一気飲みしたジルちゃんは、「もー、蒸れて我慢できないよ」と靴を脱ぎ、サンダルへ履き替え始めました。一息ついた後、重い腰を持ち上げて、もうひと踏ん張り、ペンズウィック・ビーコンの中を歩き始めます。暑さで体が怠く、二人とも無言に・・・。でも、これはこれで、心地よい時間が流れているのです。途中、この地方の家々に使われいる蜂蜜色の石灰石、コッツウォルド・ストーンを扱っている石屋の敷地内やゴルフ場を抜けて行きます。人の家に勝手に入り込むようで、外国人ふたりは戸惑うのですが、でもいいんです、勝手に入って。「通行権という印籠が、目に入らぬか〜ぁ!!」と、石がゴロゴロあっても、ゴルフボールが飛んでても、堂々と歩いて行きます。そうこうしているうちに、最終目的地のペンズウィックの村に到着し、やっぱり最後はビールで旅のシメとしました。 ゴルフ場を、サンダルで歩くジルちゃん。違和感があっても歩く権利があるので。でも、ボールには気をつけて! 真のコッツウォルドを見たければ、おススメのトレイル  まずは、地元のひとたちが歩いてなんぼ。それが英国のトレイルの根底にはあることを、今回のコッツウォルド・ウェイを歩いていて強く感じました。逆に、地域住民たちが歩かない道に、郷土愛からくる愛着もなければ、整備し続けていこうと思わせる気持ちも生まれない。安易に観光資源としてトレイルを管理していても、道は存続できない。その姿勢が、国内外でも定評があるAONBコッツウォルズが進めている持続可能な景観保護に繋がっているんだろうと感じました。ただのポッシュ気取りのエリアではないんだな〜、コッツウォルズ地方は・・・。ふたりでチョコレートを頬張りながら、そう思ったのです。 8th May 2016, Sun @ Cotswold Way (Birdlip - Painswick), Gloucestershire トレイル情報: コッツウォルド・ウェイ オフィシャルサイト Cotswold Way : Trail Guide (Aurum Press, 2012) 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 春が来た、春が来た、どこに来た〜♪ 英国にも春が来たぞー!!ということで、友人のジルちゃんと英国を歩く季節がやってまりました。英国育ちでない凸凹コンビが、ぶらぶらと歩きながら、千変万化するこの島国を肌で感じ取る。そんな旅は、山あり谷ありの我々の人生とも重なるということで、二人旅シリーズを"Deco Boco Walking"と命名しました。そしてこのDeco Boco Walkingの記録を残していこうと、フェイスブックで専用のページも開設してみました。 Deco Boco Walking: www.facebook.com/walkingupdown/ ぶらぶら歩きもページ開設もあまり深く考えず、ノリでやっておりますので、今後どんな展開になりますやら・・・、まずは、行けるところまで進んでみます。気長にお付き合いいただければ幸いです。 クリーブ・ヒルにあるゴルフ場から今回の旅はスタート。COTSWALD WAYの標識がお出迎え  さて、今回の旅は、春といえばお花見でしょ!っということで、英国流お花見は、なんぞやと考えた時、春の花の代名詞、ブルーベルを愛でることではと思い立ち、有名スポットがいくつかあるコッツウォルド・ウェイを歩いてきました。なんせ凸凹コンビのふたりは、Lazy Lady Walkers(気合の入っていない、ゆるゆる女性ハイカー)でして、寒くて、暗くて、泥だらけの英国の冬は、もっぱら脳内で旅してばかりでしたが、ようやく靴の紐を閉めて、外へと飛び出す心の準備が整いました。コッツウォルド・ウェイは、前回おしゃれに紅葉狩りと思って出かけたら、暴風雨に見舞われ、コッツウォルズ地方のポッシュな(上級階級らしいさま)雰囲気を味わうどころか、服はびしょ濡れ、髪はボザボザ、足元は泥だらけという、ワイルドな旅で終えましたので、今回はある意味リベンジ!!(コッツウォルド・ウェイ 秋編は、こちら>>。)前回歩いたコースより、若干北へ上がったコース、一日目は、クリーブ・ヒル(Cleeve Hill)からダウズウェル(Dowdewsell)、二日目は、バードリップ(Birdlip)からペンイズウィック(Painswick)をぶらぶらしました。 歩くひと、犬の散歩しているひと、羊の放牧。そして、ここはゴルフ場。まさに多目的に使われている土地があるのが英国式 [osmap markers="SO9891927164!red;クリーブ・ヒル" zoom="0"][osmap_marker color=red] クリーブ・ヒル  一日目:雨上がりの五月始めの週末、英国障害競馬の祭典が有名なチェルトナム(Cheltenham)の駅に降り立ち、そこからタクシーでクリーブ・ヒルに向かいました。ブルーベル満開時期は過ぎてしまっているかなと少し心配しながらも、坂道を上がっていく車に揺られ、私たちの期待値も高まります。今回のスタート地点は、なんと丘の上にあるゴルフ場。早速COTSWALD WAYの文字とナショナル・トレイルの印であるどんぐりマークが記された標識がお出迎えしてくれました。英国では、フットパス(通行権のある歩道)が法律によって守られているので、そこが私有地だろうと、農園だろうと、フットパスがあればいつでも歩いてOK。もちろんゴルフ場でも同じ。ゴルファーとは明らかに違う服装の人たちが、プレイとはなんら関係なく、勝手に歩いているのです。さらに今回のゴルフ場には、ゴルファー、ハイカー、ランナー、サイクリスト、犬の散歩するひとたちと混じって、なんと羊も遊牧していて、皆好き勝手にそれぞれの方向へと進んでいく、まず日本では考えられない不思議な光景がありました。さらに羊含め、お互いに邪魔しないように、いい距離感を保っていて驚きです。一歩間違ったらカオス状態になりそうなのに、絶妙なバランスで、のんびりと平和な時間が流れていました。でもよく考えたら、羊飼いたちが始めた遊びが起源と言われている(諸説あり)ゴルフ。また、草刈り機が開発される前は、放牧で伸びた草をコントロールしていたそうなので、羊がいてもおかしくはないはずです。むしろ、今の時代ではエコかも・・・。  「ゴルフボールが、羊のフンに突っ込んだら、どうするんだろうか?」「一発目で突っ込んだら、ホール・イン・ワンならぬ、プー(Poo)・イン・ワンだね。」とふたりで大笑いしながら、先へと歩を進めました。ゴルファーにとっては、迷惑な客です。 [osmap centre="SO9768123568" zoom="5.00" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Cotswolds-Way-_-Cleeve-Hill-to-Dowdewsell.gpx" markers="SO9892427188!red;出発点: クリーブ・ヒル|SO9848919721!green;終着点: ダウズウェル"] [osmap_marker color=red] 出発点: クリーブ・ヒル [osmap_marker color=green] 終着点: ダウズウェル ナショナル・トレイルの印であるどんぐりマークの標識の向こうでは、ゴルファーがティーグランドでショットを打っていた。柵も囲いもない。共有が当たり前のようだ  コッツウォルドのウォルド(Wold)は、古語で丘(Hill)という意味になりますが、まさにその名の通り、ゆるやかな丘陵地帯 ー Rolling Hillsが続いていて、天気が良い日には、ウェールズまで一望でき、開放感があります。ナショナル・トレイルの中でも、比較的アプローチしやすいコースで、なだらかとはいえ起伏があり、変化に富んでいて、飽きがきません。ポツンと現れるコッツウォルドの石造りの家が並ぶ村がよいアクセントになり、まさに古き良き英国を体現した絵画のような風景。さらに、標識も道もきちんと手入れされていて、まず道に迷うことがないのは、私たちのような読図がイマイチの人間には嬉しい限りです。 生まれたばかりの子羊たちが、なんとも初々しい。母親にくっついて歩く姿は、自然と笑顔にしてくれる キッシング・ゲート(Kissing Gate)と呼ばれる門扉。人だけが通れ、家畜が逃げないようにするためのもの[  ベラベラしゃべりながら、丘の稜線上にある自然保護区、農地などを縦走していきます。我々ふたりは、身なりと話す英語(ひとりは、カナダ英語。もうひとりは、日本語英語)から、明らかにコッツウォルドの人間ではないのがバレバレで、地元の人たちも興味津々なのか、「どこから来たの?」とよく声をかけられました。ハイカー慣れしているのか、みなさんフレンドリーで、プチ情報を教えてくれたり、わざわざ道案内までしてくれたり。そして言葉の節々にコッツウォルドの住人である誇りが感じとれ、自慢の土地を見ていっておくれよの気持ちがひしひしと伝わってきます。お国自慢したくなるのは、どこも同じですね。 犬の散歩中の女性と遭遇。凸凹コンビを不思議に思ったのか、すれ違いざまに声をかけられた  そうこうしているうちに、丘の上から緩やかな坂を下り始め、今日のハイライト、ワイルドガーリックが生息するダウズウェル自然保護区の森に差し掛かりました。今までのどこまでも広がる空と大地の絵とはうって変わって、青々と生い茂る木々の中を抜けていきます。ヒヤッとする涼しい風が、汗ばんだ肌に心地良い。そして緑に白玉模様のカーペットとなったワイルドガーリックが一面に咲いており、目にはおとぎ話のワンシーンのように美しく映り、鼻にはニンニクの匂いを感じとれ、食欲をそそります。お腹空いたー!!ということで、倒れた丸太に腰掛け、遅めの昼食。朝握った鮭おにぎりを頬張ります。鼻からニンニク、口からシャケ。なんて素敵なマリアージュ。しかも、カナダ人のジルちゃんが、日本食のおにぎりを、英国の森で食す、へんちくりんな現象。思わずシャッターを切らずにはいられませんでした。 カナダ人が英国の森で日本のおにぎりを頬張る。シュールだなぁ〜  その後、更に丘を下り、大きな貯水池に出てきました。ひとりサイクリングで、一息している男性。水辺でピクニックを楽しむ若いカップル。森を散策している家族連れ。先ほどのゴルフ場同様、それぞれがそれぞれの楽しみ方でこの場を共用している。暗黙の了解で、お互いに邪魔しな距離感を保ちながら・・・。英国民性の素晴らしいことと一言で言ってしまえばそれまでなのですが、どうしてこのようなことが自然とできるのか。どうゆう経緯でこのような習慣が確立したのか、私には不思議です。でも確かなのは、そこには、何にも干渉されない心地よさがあり、現実の役職や立場などを忘れさせてくれ、自分が自分らしくいられる空間があること。だからこそ、みなこの場にいたんだと思います。 これでもかと続くワイルドガーリックの園 可愛らしい花を嗅いでも、にんにくの匂い  今日の旅はここまで。車道に出て、タクシーを呼び、明日のスタート地点、バードリップにあるB&Bへ。晴れていた空が、宿に着いた途端、黒雲に覆われ、夕立の雷が落ちてきました。それをBGMにいつも通りビールで乾杯!B&B内にあるパブには、ハイカー、サイクリスト、観光客、地元民で、いっぱいになっていました。ここでも異色凸凹コンビに話しかけてくる人が多く、中には毎年どこかへ歩きに行っている男性3人グループもいました。今まで、デムズ・パス、オファス・ダイク・パス、サウス・ウェスト・パス、のナショナル・トレイルを歩いてきたとのこと。天気のせいか、旅のせいか、酒のせいか、皆テンションが高く、ノリノリで話してきます。このような場が、いい情報交換の場になるようです。しかしみなさん、歩くの好きねぇ〜。 二日目につづく。 二日目は、こちら >>。 7th May 2016, Sun @ Cotswold Way (Cleeve Hill - Dowdeswell Wood), Gloucestershire トレイル情報: コッツウォルド・ウェイ オフィシャルサイト Cotswold Way : Trail Guide (Aurum Press, 2012) 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

夏草や 兵どもが 夢の跡  言わずと知れた、松尾芭蕉の紀行作品「奥の細道」にでてくる平泉で詠んだ有名な句です。春が始まりかけた三月、英国のとある場所を訪ねた際、ふっとこの句が浮かび上がってきました。この句にまともに向き合ったのは、きっと中学の国語が最後かと・・・。全く違う季節、全く違うシチュエーションの中で、文学に疎い私の頭をよぎったのです。 特設テントが張られ、水仙祭り化としたウォーリー・プレイス  春先、クロッカスや水仙が咲き始める頃になると、ガーデニングのクライアントさんたちから、「シノ、ウォーリー・プレイスへは、行ったことある?あそこは、春の球根草花が綺麗で、特に水仙の群集は圧巻だよ。一度見に行ってみるといい。」と以前から言われていました。これはぜひ一度拝見せねばとタイミングを見計らっていると、ちょうどガイドウォークの開催情報が目に飛び込んできました。訪ねるだけではもったいない。説明していただけるなんて、一石二鳥、お買い得!主婦魂に火がついた私は、早速参加してみることにしました。  ウォーリー・プレイス(Warley Place)は、ロンドンを大きな円で囲んでいる首都高速環状線・M25が通っているエセックス州ブレントウッドにあり、ほぼロンドンと言ってもいいぐらいの栄えた場所に位置します。通勤ラッシュ時には車でごった返すこのエリアに、野生動物保護団体エセックス・ワイルドライフ・トラストの自然保護区として、地元の保存グループと共同で管理されています。 [osmap markers="TQ5838091022!red;ウォーリー・プレイス" zoom="3.50"][osmap_marker color=red] ウォーリー・プレイス  風はまだ若干冷たいが、柔らかい日差しが心地よい春の週末、これはお花見日和だと、早速片田舎にある自宅から都会へと車を飛ばし、ルンルン気分で入口に向かいました。エセックス・ワイルドライフ・トラストのテントが張られ、パーフレット、本、ハガキなどが売られ、ちょっとした水仙まつりといた様子。人々が次々に敷地内へと入っていきます。黄色の水仙たちがお出迎えのお辞儀をするかのように、頭を垂らして風に揺られいる姿が、すでに遠くからも見えます。まだどんより雲が残っている空の下、黄色の電灯が地を照らし、春のエネルギーが放出されているかのようです。春色に癒された訪問者たちも、どことなく笑顔が溢れ出しています。 廃墟となった豪邸跡。白黒写真の左に写っているガラス部屋だった部分 以前の姿を写真で確認。この建物以外にも、番小屋、小家屋、馬小屋、温室、冷床などがあったが、全て取り壊されている  ガイドウォークは、10名ぐらいの少人数でスタート。大きな敷地内をぐるっと一周するかたちで、1時間半ほど歩いていきました。そろそろ終わりになりそうなスノードロップ、クロッカスの花々もまだ咲いており、四月末ごろに花が咲くワイルドガーリックは、緑の葉をすでに伸ばし始めています。そして、視野に入りきらないほどの水仙たちが一面を覆い尽くしていました。今まで見たこともない、とんでもない数です。なぜこんなに多くの水仙がここだけ生息しているのか、不思議に思いながら歩き続けていると、突如大きな屋敷だったであろう崩れかけた廃墟が現れます。事情をよく把握せず、春の陽気に誘われて、ただ水仙の群生地見たさに参加した私には、かなりのインパクトで、びっくりしました。しかし、なぜだかこの廃墟と黄金に輝く水仙のコントラストが、とても美しく心を奪われます。まるで、フランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』のワンシーンのよう。そこには、さっきまで感じていた心踊る爽やかな春の空気はなく、ひやっと冷たい空気に、どことなく寂しさが漂っていました。 今では、動植物が新たな家主となっている  エセックス・ワイルドライフ・トラストが管理している保護区は、森、草原、湿地帯など、昔から人々が自然資源を得るために上手に管理して来た土地を買取し、野生動植物の住みかとして保護していくのが通常です。しかし、このウォーリー・プレイスは、全く違う歴史があります。そもそもここは、マナーハウス・ウォーリー(The Manor of Warley)として、代々地位のある人たちが暮らした場所だったそうです。しかし1934年、最後に住んでいたエレン・アン・ウィルモット女史の死後、廃墟となり、1938年には建物の崩壊が危ぶまれ取り壊しになりました。その後誰も住ことなく、この土地のオーナーがエセックス・ワイルドライフ・トラストと地元管理グループにリースし、自然保護区として管理する形で現在にいたります。 エレン・アン・ウィルモット女史。一時期、ここは彼女の帝国だった。© R G Berkley  最後の家主であったウィルモット女史は生前、園芸家、そして植物コレクターとして名を馳せていました。プラントハンターに依頼して世界中から珍しい植物を取り寄せ、甥っ子姪っ子たちが遊びにくるたびに球根をそこらへ投げ込ませ、常駐させている100人ほどのガーデナーたちに、次々と植えさせていきました。また、自分の山草コレクションを飾るため、ヨークシャーから取り寄せた巨大な石で峡谷を作らせたり、電気が普及していない時代に温度調節可能な温室と冷床で、園芸種の品種改良や英国では見ない植物を栽培したりと、持てる財産と時間をすべて園芸に注ぎ込みました。そのため、結婚もせず、晩年には財が底をつき、多額の借金を抱えたまま、この世を去ったようです。ガーデニングの端くれとして、これだけの設備とお金をかけた庭を当時私が見せられたら、圧倒されていたことでしょう。まさに、ガーデナードリームの地だった。それが、今では泡のように消え去り、彼女が植えさせた木々や花たちだけが、その当時を思い出させるように、春になると蘇ってくるのです。 ここを整備しているボランディアによるガイド・ウォーク。自然だけでなく、価値ある建築物跡として管理していくことが大切なようだ 立派な冷床があった一角は、スノードロップに覆われていた。積み上げられたレンガがかすかに面影を残す  生い茂った夏草を見て、奥州藤原氏の栄華の儚さを思い、芭蕉がしたためた平泉での句。この名句がもつ無常観と虚しさが、ここウォーリー・プレイスにもありした。お抱えガーデナーたちという兵どもたちが、ウィルモット女史の理想の庭園のためだけに、汗水垂らし戦い続けた。しかし夢の跡なってしまった今は、皮肉にも自然が取って代わり、ここを支配しているのです。  水仙の花畑から、霞んだ空の向こうに、ロンドンの高層ビルをかすかに見渡すことができます。まるで自然が抱きかかえるかのように、この地を包み込み、都会の喧騒から、そして時の流れから逃れ、秘密の隠れ家として、ひっそりと存在しているウォーリー・プレス。再生の季節である春。湧き上がる新たな生命力と相反して、朽ちていく夢の庭園。水仙が輝ければ輝くほど、残酷にも盛者必衰のことわりをあらわしています。鳥のさえずりが聞こえてくる中、ウィルモット女史の亡霊が、今もさ迷い続けているのです。 11th March 2017, Sat @ Warley Place, Essex エセックス・ワイルドライフ・トラスト自然保護区情報: ウォーリー・プレイス オフィシャルサイト 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 日本よりも遥か北に位置する英国の冬はとても長いです。空はどんより暗く、雨が多いため湿気っぽい。フットパスもぬかるんでいて、長靴でないと歩けません。雪解けの北海道は、どこも泥だらけになると聞いたことがありますが、ここではその状態が4、5ヶ月続きます。そのため、みなちょっと鬱気味。Seasonal affective disorder (季節性感情障害。通称SAD)になる人も増えます。 正月過ぎに咲き始めるスノードロップ。春がそう遠くないことを知らせてくれる  そんなドヨヨーンとした日々。外に出るのも億劫になりがち。しかし、愛犬がいる我が家では半強制的に散歩に行かざるおえません。冷たい空気が刺さる外へ、勇気を出して一歩踏み出せば、ご褒美として、心をポッと温かくしてくれる春を呼ぶ野花たちに出会えます。一月ごろ、道脇の土手にスノードロップがまず咲き始め、二月、三月にかけて、水仙、プリムラ(Primula vulgaris)、ヒメリュウキンカ(celandine)、ヤブイチゲ(wood anemone)の順に、大きな木々の下や丘の斜面に花が開き始めると、「もう春はすぐそこまで来ているな」と感じられます。イースターを迎える四月中旬から、イングリッシュ・ブルーベルが一斉に森を占拠し、遅れてワイルドガーリック(ラムソン)の花が真っ白へと変えてくれます。人も動植物も徐々にエネルギーが満ちてきて、ムンムンとしてきます。日々の散歩も、変化し続ける自然に、私と愛犬の気分は上々↑↑、アゲアゲです。 越冬したハチたちも、栄養補給に大忙し。スミレとヒメリュウキンカを行ったり来たり  目線を少しあげると、二月の寒い時期にリンボク(Blackthorn。スロー・ジンにいれる青い実がなる。)が雪のような花で場を明るくし、三月に入ると梨、梅、ダムソン(Damson。セイヨウスモモの一種。)が我先にと競い合うように白い花を咲かせます。霜が降りなくなる四月中旬になると、セイヨウミザクラ(さくらんぼうがなる桜)、林檎、セイヨウサンザシ(Hawthorne。花は、May Blossomと言われている。)が、透き通った青空へ白い花火を上げているかのように、開花のピークを迎えます。もしかしたら、英国にも花咲か爺さんがいるのかも・・・。日本では、梅、椿、桜、桃などが順に咲始めると、春を実感し、愛でる文化があります。それと同様に、英国人たちも物見遊山に出かけ、花の美しさに思わず立ち止まり、見とれてしまうのです。鬱気味だった心も、カラッと晴れ渡ります。 英国の春といえば、森に生息しているブルーベル。多くの人たちが見に、森へ足を運ぶ  森の中ではシジュウカラやクロウタドリなど、野鳥の求愛の歌がサラウンドで鳴り響き、秋に土中に埋めたクルミやドングリを、トランプゲームの神経衰弱でもするかのように、記憶を頼りに、リスがあちらこちらを掘り出し始めます。晴れの日は、羊の親子と共に、ウサギたちが巣から出てきて草を食べ、大きな木の上からは、森の大工キツツキが、「今年もこの忙しい時期がきたぜ!」とみなに告げるように、カカカーンと音が聞こえてきます。さらに土が温まってくると、アナグマ(Badger)がミミズを探しに、森から人様の庭の芝まで、そこらじゅう掻き出し、そんなミミズを渡すものかと地中ではモグラが激走し、小山をポコポコと残していきます。越冬した樹木や果樹がようやく新芽を出すと、待っていましたと鹿がパクリと食べていく。こうなると、農家や園芸家たちの苛立ちは、穏やかな春の日差しでも、さすがに癒せません。 シャンデリアのような、セイヨウトチノキの花  春分すぎると陽の光が強くなり、草原の緑が一層映え、まだ冷たい北風に揺らされキラキラと波打っていきます。寒暖差が激しい中、高木の若葉が迷いながらタイミングを見計らうように、徐々に延びてきます。「お先に失敬」と言わんばかりに、まずはメイプルがうぐいす色の葉と房状に垂れ下げた花芽を広げていきます。セイヨウトチノキ(Horse Chestnut)は、大きな手のひらが延びたような葉で、光を掴んでいるかのよう。日がさらに延び始めると、恥ずかしげに円形のハシバミの葉が顔を出し始めます。寝坊助のブナは、なかなか葉芽を開らこうとしません。英国の象徴的な木、イングリッシュ・オークの葉が見え始めると、アフリカから飛んできた渡り鳥たちが巣作りに精を出し、夏へと季節が移ったことを告げています。 子羊たちが、母羊とのんびり日向ぼっこ。英国春の風物詩  英国での最大の春の祭典イースターは、キリストの復活祭です。ただ、もともとは春の到来を祝う古代の祭りがベースになっているようです。長い冬から目覚め、春の息吹に開放感を得た昔の人々のその気持ち、犬の散歩で春を味わっている今この瞬間、理解できるように思います。自然が還ってくる春に、心が踊る。これが、本来の復活祭なんでしょう。でも、あまりはしゃぎすぎると、満タンになった生命のエネルギーにより、火傷するので注意が必要。五月病は、英国にもやってくるのです。 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

ガイドウォーク2: ジェーン・オースティンのロンドン ジェーン・オースティン は、出版当時、名前を伏せて、作者名を「ある女性」としていたため、数人の家族以外、彼女がベストセラー作家であることを知らなかった  シリーズでお伝えしているガイドウォーク。(*ガイドウォーク#1はこちら >>。*ガイドウォーク#2はこちら >>)  今回紹介するのは、London Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」。オースティンも、シェイクスピアと同じく、英国文学を語る上で、外せない作家です。恋愛小説の大家と称されることが多い彼女ですが、明治の文豪、夏目漱石もが、彼女に賛辞を送っるほどの文才の持ち主。没後200年を記念し、2017年新10ポンド札に彼女が載ったのは、ただの恋愛小説家ではないことを証明していると思います。最近では、ロンドンに住むアラサー独身女性を描いた世界的ヒット小説『ブリジット・ジョーンスの日記』で、オースティンの『高慢と偏見』が注目を浴びました。いつの時代も彼女の作品は、女性たちのバイブルになっているようです。  そのオースティンは、ロンドンに住んでいたことはありません。ただ、家族、親戚や出版社を訪ねて上京しています。滞在中は、私たちと同様に、ショッピング、観劇、公園での散歩などを楽しんでいたようです。その経験を活かして、自分の小説のネタにもしています。今回のガイドウォークは、彼女と深い関係があるメイフェア、 セント・ジェームス周辺を中心に歩きました。現在は高級品店舗が立ち並ぶこのエリアで、彼女の姿を追うと同時に、彼女が生きた18世紀後期から19世紀始めのジョージアン、そしてリーシェンシー様式の建物や流行を中心に見ていきました。フリーのキュレーター兼歴史家の男性の方が案内してくれました。ツアーは、地下鉄駅グリーンパークにまず集合。予約不要ということもあってか、その日に観光でロンドンを訪れていたであろう、国内外からの方々が30人ぐらい参加していました。オースティンということで、やはり女性客が断然多かったです。 さすが、ジェーン・オースティン。女性の参加者が圧倒的に多い  駅からピカデリー通り沿いに歩き始めると王立公園のひとつグリーン・パークに隣接している五つ星ホテル、ザ・リッツ・ロンドンが見えてきます。皇室、政治家やセレブ御用達のホテルで、映画『ノッティングヒルの恋人』の舞台にもなったことで有名です。しかし18、19世紀は、White Horse Cellarという駅馬車があり、英国南部、西部からの玄関口だったそうです。我々が歩いている場所は、かつて多くの馬車が行き来し、馬と人と荷物でごった返していた。そんな中、上京してきたオースティンも、華やかなロンドンに心踊る思いで、ここに降り立ったのでしょう。 王立公園のひとつである、グリーンパーク。芝生の広場があり、リラックスできる場所として人気。ビルが立っているあたりがメイフェアのエリアになる。オースティンは駅馬車でロンドンに上京し、この公園前で下車していた  その後、ピカデリー通りから左に入り、メイフェア内へとツアーは進みます。オースティンの時代にはロンドン随一の高級住宅街として人気を集め、多くの上流階級の男性が社交の場として集まり、女性は流行の品を買い求めていました。当時、イギリス最大の英雄ネルソン海軍提督、詩人のバイロンなどが、このあたりにいました。なんでしょ、歴史で習った人物が実際にこの道を歩いていたり、お茶していたと聞くと、絵でした見たことがない人物に、急に血が通い始めたようで、実に生々しい。そして、メイフェアが放つきらびやかさの裏では、ゴジップニュースもお盛んで、惚れた腫れたの騒ぎは日常茶飯事だったそうな。オースティンもしっかり自身の作品の中で、フィクションという形でゴジップネタを入れていました。 [osmap centre="TQ2861680444" zoom="7.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Mayfair.gpx"]青色で示されたエリアが、メイフェア マレー出版社があったアルバマール通り50番のテラスハウス。ロンドンに住んでいたジェーンの兄の働きかけのおかげで、彼女はこの会社から出版できた。きっとここを訪ねてきているはず  メイフェアにあるアルバマール通り(Albemarle Street)50番の建物前にグルーブは止まりました。そこは、オースティンの主要作品の中から四作品、『エマ』、『マンスフィールド・パーク』、『説得』、『ノーサンガー・アビー』を出版した、ジョン・マレーの出版社があった場所です。このマレー社は、当時大きな影響力を持っていた文芸出版社で、バイロンの文芸書、ダーウィンの『種の起源』なども出版していました。また、早くから旅行ガイドブックシリーズも出版しており、今日私たちが見るガイド本の先駆けと言われています。1891年には、日本のガイドブック(A Handbook for Travellers in Japan)も出しています。ロンドンの高級エリアでよく見る古めのテラスハウス。特に特徴ある建物でもなく、プラーグもないので、知らなければ完全に素通りするであろう場所に、こんな歴史が隠されていたとは驚きです。きっと、ロンドンにはこういった場所が多々存在するんだと、初めて気付かされました。 少し前までは、男性専用だったアルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンション。ジェーンの兄が一時期オフィスを構えていた。最近だと俳優のテレンス・スタンプが暮らしていたことが有名  その後も、高級ブランド通りのボンド・ストリート、老舗のオーダーメイド紳士服店が並ぶサヴィル・ロー、世界一古いアーケードと言われているバーリントン・アーケード、アルバーニーと呼ばれているジョーシアン様式のマンションビルなどを見ながら、興味深い当時の話を聞き、オースティン作品の舞台になった場所を巡っていきました。世界中から来ているお金持ちたちが買い物している中、ぞろぞろと列をなして歩く私たちのグループは、明らかに異色です。そんなツアーですが、オースティン作品を真面目に読んでおらず、いくつかの映画版を眠そうになりながら見ていた私には、話がちょっとオタクすぎで、話についていけず。登場人物が他の作品とごっちゃになり混乱していました。話と歩は、パニックの私など気にせず、どんどん進んで行きます。恐るべきガイドウォーク。参加者もしっかり勉強しておかないと、置いてけぼりを食います。  後半は、ピカデリー通りを挟んで反対側のセント・ジェームスに移動しました。こちらは、重厚感溢れる大きな建物が連なっています。セント・ジェームスも老舗名店が並びますが、メイフェアが若者・女性向けが中心とすると、こちらはどちらかというと紳士向けのお店、例えば、巻きタバコ、帽子、ブーツなどのお店が多いなと感じました。ガイドさん曰く、この辺りにはエリート階級紳士専用の会員制クラブ、ジェントルマンズクラブが多くあるそうで、そのあたりも関係しているのかもしれません。1693年に設立したロンドン最古のジェントルマンズクラブ・White'sもここにあり、みなで外観を見上げていました。チェールズ皇太子が、ダイアナ妃との結婚前夜にバチェラー・パーティーを開いたところだそうです。このあたりになると、宇宙人と同じぐらい異次元の世界の話になり、異国から来た庶民の私には、想像を超えてきます。かなりゆるくなったとは言え、英国はやはり階級社会なんだとつくづく感じました。 リージェンシー様式のドレス。古代エジプト、ギリシャ・ローマの影響を受けている。英国では今でもこの様式を取り入れたウェディングドレスが人気 Printed Circa 1801, © The Graphics Fairy 2007  二時間のツアーは、狭い範囲でしたが、とても濃い内容で、最後はお腹いっぱいに。オースティン好きは、満足したことでしょう。無知の私は、きっと三分の一ぐらいしか理解しておらず、ちょっともったいないかった。ただ今回の歩きで、現代の英国女性が、オースティンが生きた時代のリーシェンシー様式ファッションへの強い憧れを持つ気持ちが、なんとなく理解できるような気がします。日本女子が、大正ロマン、昭和モダンといったものに、ときめくのと同じように、時代背景は違えども、自国が外国からの刺激を大いに受け、経済、文化がさらに発展し、希望に満ち溢れている元気な時代に対して、人々はノスタルジックに感じるのかもしれません。オースティン作品の人気は、そこがひとつ関係していると思います。そして、オースティンの巧みな心理描写により、女性の地位が低かった時代にも関わらず、力強く生き抜く女性たちの姿に、時代を超えて世界中の読者を魅了し続けることを、今回のツアーで強く感じ取りました。私も彼女の作品に学んで、表現力豊かにできたら、このウェブももっと話が面白くなるかもしれないなぁ・・・と、ちょっと反省しながら、帰路につきました。 ジェーン・オースティンゆかりのスポットを巡るロンドン・ウォーキングガイドブック。オースティン以外にも著名人とロンドンの関わりを見て回るために、多くのガイド本が出版されており、ロンドンの本屋さんには、そのためのコーナーが設けられている  ロンドンでのオタク・ガイドウォーク、二つほどご紹介しました。いつもそれほど魅力を感じていなかったロンドンが、このツアーに参加してから、ちょっと違って見えてくるから不思議です。前に何度も通った道もあり、そんなところがシェイクスピアやジェーン・オースティンとゆかりがあるとは、以前は考えもしていませんでした。また、建物ひとつとってもその時代を反映した様式や工夫が隠されていて、それを知ることで、大きな目覚めがあります。私のロンドンの見方を、ガラッと変えてくれたガイドツアーでした。そして、ブラブラ歩く、散策することは、いつでも、どこでも、どんな形でも、楽しめることを改めて認識しました。特に今回のような学ぶツアーでは、歩くスピードがじっくりとその時代に浸らせてくれます。知識を得るのにちょうど良いスピートと距離感だったと感じます。今までは、ショッピングや美術館巡りしかしてこなかった大都会を、まるで森の中で野生生物を見つけるかのように、今後はどんな秘密や歴史が潜んでいるのか、意識しながら歩いてみたいと思います。みなさんも、観光客でなくても楽しめるオタク・ガイドウォークに、ぜひ参加してみてください。ガイド本も案内もたくさんありますので、セルフ・ガイドでも十分楽しめると思います。非常にお手軽で気楽なのに、学びが十二分にある遊びです。みなさんの近くにもきっと開催されていると思います。よく知っていると思っている地でも、知らないことだらけ。新たな出会いが待っているはずです。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: London Walks ウェブサイト walks.com 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

ガイドウォーク1: シェイクスピアのロンドン ウィリアム・シェイクスピアの人生は、謎だらけ。未だに別人説が浮上する William Shakespeare associated with John Taylor oil on canvas, feigned oval, circa 1600-1610 NPG 1 © National Portrait Gallery, London  前回説明してきたガイドウォーク(*前回のページは、こちら >>)、実際に私が参加したのは、どんな感じだったのか。まずご紹介するのは、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」。2016年は、彼の没後400年記念の年ということで、多くのイベントが年間通して全国各地で開催されました。その一環として、ロンドン博物館での特別展示、そしてこのガイドウォークも行われました。彼は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンという村で生まれ育ちましたが、のちにロンドンに上京し、俳優兼劇作家として活躍し、世界的に有名になる戯曲を発表していきました。しかし、彼の作品はよく知られているのに、彼自身についてはあまり記録がなく、謎に包まれています。今回のガイドウォークは、シェイクスピア自身に関する貴重な資料を元に、彼の足跡を追いながら、彼が生きたテューダー朝時代のロンドンと当時の人気エンターテインメントであったイギリス・ルネッサンス演劇を追体験するものでした。 復元されたグローブ座。独特の円形野外劇場(amphitheatre)では、春から秋にかけてシェイクスピア劇が、上演されている。1666年ロンドン大火後、唯一許可が下りた茅葺き屋根の建物 旧グローブ座跡地にて。ロンドン博物館の学芸員が、当時の様子を説明してくれる  スタートは、テムズ川の南岸サザックにある、グローブ座から。この劇場は、近年多くの俳優たちのサポートを受けて、復元されたもの。今では、シェイクスピア劇が頻繁に上演されていて、ロンドンの人気スポットです。エリザベス朝時代には、テムズ川を挟んで北岸は、政治やビジネスをする地域、南岸は娯楽の地域とされ、この一帯に多くの大衆劇場が建てられました。人々が、船以外で唯一川を渡れるのは、ロンドンブリッジだけだったそうで、いつも大混雑していたとか。南岸はある意味隔離された場であり、種々雑多な人々でひしめいていたそうです。そんなエネルギッシュな地から、シェイクスピア劇のあの独特の世界が生まれたではないでしょうか。 Money Potと呼ばれている発掘品。劇場の入場料支払いに使われたそう  テムズ川沿いにある現グローブ座から230メートル奥へと、ガイドウォークは進みました。そこには、元々のグローブ座があった跡地があります。また、同じ時代に建てられ、グローブ座のライバルだったローズ座があった場所も見ることができます。今では、オフィスビルが立ち並ぶ間に、ぽつんとある跡地。400年ほど前、ここら一帯は、劇場から溢れる人々の熱気でムンムンとしていたのか・・・。今にも観客の笑いや叫び声が聞こえてきそうです。いつの時代も、人々は娯楽に熱狂するんですね。演劇にあまり触れてきていない私でも、ちょっと興奮してきます。ガイドの学芸員さんが、大事そうにタッパを取り出し、蓋を開けて中身を見せてくれました。そこにあったのは、壊れた焼き物のようなもの。入場料を支払う際に使われた壺だそうです。縦線の隙間が入っていて、そこにコインを入れるシステム。発掘の際発見されたものらしく、参加者全員に回して見せてくれました。さすが、博物館のツアー、太っ腹!!コンディションはよくなくとも、貴重な資料に触れられる機会を与えられ、ますますその時代の人たちにがリアルに感じられます。 セント・ポール大聖堂近くにあるカーター・レーン(Carter Land)の飲食店前。ビルの柱にプラークが埋め込まれている。友人がシェイクスピア宛に手紙を書いた宿があった場所とのこと。知らなければ、気づかず素通りしそう  そのあとも、テムズ川の渡し舟の船頭たちが待機しているときに座っていた石の椅子、シェイクスピアの父親が紋章獲得の嘆願書を出した紋章院、シェイクスピアの友人が彼宛に手紙を書いた記録が残された宿、シェイクスピアが住んでいたい場所などを見て回りました。行く先々でプラーグ(銘板)や貴重な記録のコピーを見せてもらい、当時の様子について詳しく話を聞きました。彼に関する少ない記録の中から、社会的な地位、名誉回復、借金などで奔走していた話などが出てくると、偉大な功績で歴史に名を残したひとでも、やはりひとりの人間なんだと、親近感を感じ、ちょっと微笑ましくなります。 実際のファースト・フォリオのコピーを見せながら、この出版が英文学史上どれほど大きな意味があったのか、説明してくれた  最後に、ロンドン博物館近くにある聖メアリー・オルダーマンベリー公園にあるシェイクスピアの胸像前に来ました。彼の死後、ヘンリー・コンデルとジョン・ヘミングスふたりが、バラバラになっていた彼の戯曲36作品をかき集め、1623年に「ファースト・フォリオ」として、作品集を出版しました。その記念碑がここにあります。(実物の作品集は、大英図書館に保管。)この出版がなければ、私たちが今シェイクスピア劇に触れることがなかったかもしれません。2時間のツアーがあっという間に、終了しました。今回は、シェイクスピアの足跡のほんの一部を見て来ましたが、内容はボリューム満点。私のような、演劇に疎いものでも、彼の目を通して当時のロンドンを思い浮かべながら歩くのは、一種のタイムスリップのようなもので、その時代の人々と肌で触れ合う感覚があり、ちょっとワクワク、ゾクゾクしました。都市をテーマにした博物館で、展示物を見る延長線上に、ガイド付きで街を歩くことは、とても面白いし、理にかなっていると感じました。そして、ガイドウォーク後、また再度博物館を訪れて、展示物を見ると理解がさらに深まります。なかなか賢いアイデアだと感心しました。また、当人が歩いたであろう場を、自分の足で歩いて見て回るからこそ、じっくりと内容の濃い話が、リアリティを増して伝わってくるんだと感じました。それによって、ロンドンの違う面が見えてきて、魅力をさほど感じていなかったロンドンに、ちょっと興味を持ち始めている自分がいました。 参加者は30名ほど。英国国内だけでなく、ヨーロッパの国からの参加者もいた。シェイクスピアの人気は絶大。ローズ座跡地にて [osmap centre="TQ3198581040" zoom="7.75" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/London-_-Shakespeare-Walk.gpx" markers="TQ3222480539!red;出発点: グローブ座|TQ3222981610!green;終着点: ロンドン博物館"] [osmap_marker color=red] 出発点: グローブ座 [osmap_marker color=green] 終着点: ロンドン博物館 つづく *「ガイドウォーク2:ジェーン・オースティンのロンドン」は、こちら >>。 6th August 2016, Sat @ London ガイドウォーク情報: ロンドン博物館(Museum of London)ウェブサイト 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022 ...

"When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford." 『ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから』  18世紀英国文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンが残した有名な言葉です。長い歴史を刻んできた欧州最大都市ロンドン。しかし、このサミエルさんがゾッコンだったロンドンに、なぜか私がときめくことはありませんでした。もっと若い時にロンドンに出会っていたら、その関係性は違っていたかもしれませんが、ロンドンの全てを知る前に、私が都会そのものに飽き、すでに別れを告げていたからかもしれません。ロンドン、あなたはきっと魅力的なはず。あなたが悪いわけじゃないの・・・。タイミングって、何においても難しいですね。そんな、なかなか距離を縮めることができなかったロンドンが、ぐっと近づいた瞬間がありました。それは、ロンドン内で多く行われているガイドウォークに参加した時です。 ガイドウォークといってもいろいろ。ただし、ガイドは道案内、安全管理だけでなく、どんな質問でも答えられるよう、豊富な知識が求められる  ガイドウォークとひとことで言っても、いろいろあります。英国では、ざっと大きく分けて三つのタイプがあるようです。 1)道案内のガイドによる、旅行規模の歩き。山岳ガイドや旅行会社の添乗員などが付くタイプで、日本でも一般的です。 2)ある特定の情報や知識を学びながら歩くツアー。いわば大人の社会科見学みたいなもの。観光というより、アカデミックな要素が強い。 3)お試し体験のガイドウォーク。よくイベントの一環として行われ、ある団体や地域の魅力、日頃行なっている保全活動を、体験や見学を通して知ってもらうPR型。今回お話しさせていただくのは、タイプ2の学ぶガイドウォーク。私は、オタク・ガイドウォークと呼んでいます。  オタク文化といえば、日本ですが、英国も負けず劣らずオタク大国です。強い探究心がある国民性で、いろんな分野のマニアやコレクターが存在しています。なんでしょ、島国の特徴なんですかね。そんこともあり、今回レポートするロンドンで体験できるガイドウォークは、名所巡りや名物を食するといったよくある観光ツアーとはちょっと違う、ある一つのテーマに特化した内容の濃いもので、全国だけでなく海外からも探究心が止められない方々が参加されます。その中から私が実際に参加したガイドウォークを二つほどご紹介したいと思います。 ロンドン内では、純粋な観光ツアーのほかに、あるテーマに特化したツアーが、毎日どこかで行われている。オタクな人々には、たまらない ロンドン博物館のガイドウォークは、人気のアトラクションなのか、前もってチケットを購入しておかないと、すぐに売り切れてしまうほど人気がある  まずは、ロンドン博物館が行なっているガイドウォーク。この博物館は、旧石器時代から現在までの、都市ロンドンの歴史や文化を専門に研究。市内二ヶ所に博物館を持ち、貴重な資料を展示しています。そして天気の良い季節になると、展示と関連したガイドウォークが、頻繁に開催されます。ロンドンは、都市としての歴史が長いため、ガイドウォークのテーマも豊富です。しかも案内してくれるのは、テーマごとの専門学芸員、または、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)になりますので、かなり深い話や最近の研究情報も聞けるので、通好みかと思います。 London Walksのパーフレット。このパーフレットを掲げたひとが集合場所にいる。それが目印  もうひとつのガイドウォークは、London Walks。その名の通り、ロンドンのガイドウォークを、50年前から専門に扱っているツアー会社です。ツアーは、2時間ほどで10ポンド。予約不要。指定された時間に集合場所へ行けば、誰でも参加できます。365日毎日開催され、毎週約100ツアーの中から選べます。ロンドンの時代ごとの歴史、文化はもちろん、お化け、パブ、医療、地学、ギャング、映画ロケ地、スパイ、殺人事件現場、土木、法廷、インド文化、テムズ川での発掘作業などなど…。ロンドンをあらゆる方向から掘り下げていくガイドウォークです。ガイドは、英国政府公認観光ガイド(通称ブルーバッジ・ガイド)だけでなく、弁護士、俳優、学者、エンジニア、作家などそれぞれの分野の専門家が担うこともあります。こちらも聞ける話は、かなり興味深く、ツアーによっては、寸劇が入るエンターテイメント・ショーのようなものもあるようです。  では、後半2回に分けて、私が実際に参加したツアー、ロンドン博物館による「シェイクスピアのロンドン」とLondon Walksによる「ジェーン・オースティンのロンドン」のそれぞれの様子をご紹介します。文学に疎い私ですので、正直オタク情報は理解できない部分もあります。それでも、時代ごとのロンドンでの生活は、どのような様子だったのか。少しでも理解できたらなと思い行ってまいりました。 つづく *後半は、こちら >>。 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 深秋。朝晩の冷え込みは、冬の足音がそこまで来ていることを知らせてくれています。不思議な国、英国を歩こうと、カナダ代表ジルちゃんと日本代表シノの凸凹コンビがゆく。今回は、最後のチャンスを逃すなとばかりに、コッツウォルド・ウェイへ紅葉狩りに行ってきました。 [osmap markers="SO8497504976!red;ストラウド" zoom="0"][osmap_marker color=red] ストラウド  ロンドンから西北西150キロほどに位置し、石灰岩の丘陵地帯であるコッツウォルズ地方。羊毛取引で栄えた中世の趣をそのまま残した村、藁葺き屋根と蜂蜜色の石灰石、コッツウォルド・ストーンの家々と美しい田園風景が続いています。イングランドとウェールズ内で最大のArea of Outstanding Natural Beauty - AONB(特別自然美観地域)であり、まるでおとぎ話の世界にいるような景観が、古き良き英国を感じられると、英国セレブの多くが別荘を所有し、日本人観光客にも大人気です。そのコッツウォルズ地方を縦断したトレイルが、コッツウォルド・ウェイで、ナショナル・トレイルのひとつです。産業革命時代に起こったアート・アンド・クラフツ運動の重要な拠点のひとつだったチッピング・カムデン(Chipping Campden)から、女流作家のジェーン・オースティンが暮らしていた保養地のバース(Bath)までの、約160キロの道となります。今回は、トレイルのちょうど真ん中あたり、ペインズウィック(Painswick)からストラウド(Stroud)までを歩いてみました。  あいにくの天気。ガラス窓を激しく打ち続ける雨を気にしながら、バスに揺られて、ペインズウィックに到着。吹きっさらしの丘を、まるで矢が降っているような雨と風の中、歩き始めました。途中で出会った牛たちも「アンタたち、物好きね」と言いたいのか、不思議そうに我々を見つめ、道を通らせてくれました。前線が、妙に生暖かい雨をもたらし、二人のメガネを曇らし続けて、ちっとも美観を拝めません。強風で紅葉狩りどころか、葉と共に吹き飛ばされそうになりながら歩いている。このおかしな状況に、"This is ridiculous(アホくさい)!!"と叫び、笑いが止まりませんでした。道中、単独で歩いている、ずぶ濡れの男性に二回ほど遭遇しましたので、どうやらアホは私達だけではないようです。午後には雨が上がるという予報を信じて、まずは進みます。 [osmap centre="SO8393507371" zoom="5.50" gpx="https://rambleraruki.com/wp-content/uploads/2021/11/Cotswold-Path-_-Painswick-to-Stroud.gpx" markers="SO8658309648!red;出発点: ペインズウィック|SO8152304708!green;終着点: ストラウド"] [osmap_marker color=red] 出発点: ペインズウィック [osmap_marker color=green] 終着点: ストラウド 林の一部は、ナショナル・トラストの管理下に。そのエリアだけ、 綺麗に整備されすぎて、逆に不自然に感じる  トンネルのような細長い林の中へ。英国では、1600年、もしくはその前に存在していた森林をAncient Woodlandと国が指定し、保護の対象となっています。長年燃料として使われてきた森林は、今では国土全体の13%ほどしか残っていません。他の欧州国に比べても、圧倒的に少ない。そのため、どんなに小さくとも、古い木々が密生しているエリアは、徹底して管理しているようです。失ってから、森のありがたみを理解したのか、なんとも皮肉です。そんなAncient Woodlandに指定されているブナ林を、二箇所ほど通り抜けました。「Ancient Woodland ー 原始林と言われても、日本のばあちゃん家の裏にある雑木林みたいな感じだな〜。」「Woodland ー 森林地帯っていったら、カナダではクマやヘラジカが住んでいるようなところだよ。」頑張って自国の森林を守っている英国人の気持ちなどおかまいなし。よそ者外国人二人は、言いたい放題。しかし、英国の森林は森林で、独特の味がありますし、何よりも人が歩くことを前提に管理しているので、散歩には快適です。 目の前が開け、青空が見え始める。写真右、木々の向こうに見える青い線が、セブン川。そしてその反対側が、ウェールズ ナショナル・トラストのどんぐりマークが、私たちの歩きを見守り続けている  残念なことに、今回の強風で多くの葉は枝から地面へとすでに落ちていました。とはいえ、紅葉によるレッドカーペット上を歩いているようで、なかなか趣があります。足を踏み込むたびにサクサクと音がする。蹴り上げると、葉がヒラヒラと舞う。落ち葉と戯れ合う足は、体の奥底に隠れていた童心を、くすぐり始めました。そうこうしているうちに雨がようやくあがり、地元の人たちが犬の散歩に現れ始めました。高級ハンティング・ブランドのワックスジャケット、ハットに、長靴を履いた人たち。さすが、コッツウォルド。ポッシュな人たちが愛犬と共に、洗練された大人の時間を過ごしていました。どこぞの社交界に迷い込んだような、場違いの大きな「子供たち」のぶらぶら歩きとは、明らかに違います。しかし、童心にかえっても、しょせん中年おばさんのふたり。気にせず歩き続けます。  林を抜けて、再び丘へ出てきました。最後のひと押しとばかりに、強風が全てを飛ばし、突然青空が見え始めます。まるで、舞台に立った役者の目の前にある幕が上がったかのよう。ブリストルへと流れるセブン川。そしてその川を挟んで反対側に南ウェールズが広がっていました。ブレコン・ビーコンズ国立公園にあるブラックマウンテンズも見えます。雨風に打たれながらも、なんとかここまで来たご褒美。サプライズ・プレゼントに、歩く遊びに半信半疑だったジルちゃんの足も、必然と軽くなり嬉しがっているのがわかります。 スタイル(stile)と呼ばれる踏み越し台。左側にある木製の柵は、犬用。中央二枚の板を上にあげると、犬が通れる仕組みになっている  収穫後の畑、ワイン用のぶどう園、馬牧場を通り過ぎながら、徐々に丘から降ってくると、電車の音が聞こえ始めました。ストラウドがそう遠くないことを知らせてくれています。そしてついに、繊維工場への輸送に使われていたストラウド運河へと出てきました。この運河は、先ほど丘の上から見たセブン川へ繋がっているそうです。大雨のあとということもあり、歩いてきたフットパスはかなりぬかるんでいて、気が付いたら靴やズボンの裾が泥だけになっていました。なんとか泥を落として、街中のパブへダッシュ。ひと仕事終えて、ビールで乾杯。飲みながら、ふっとジルちゃんが、「今度カナダに里帰りした時、山靴探してこようかな〜」とつぶやきました。普通の運動靴で歩いていた彼女。どうやら、ぬかるんだ坂道は、さすがにすべることに気がついたようです。 ジルちゃんもぶらぶら歩きに本気になり始めたのかな・・・。しめしめ。 7th November 2015, Sat @ Cotswold Way (Painswick - Stroud), Gloucestershire トレイル情報: コッツウォルド・ウェイ オフィシャルサイト Cotswold Way (Aurum Press, 2012) 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

 突然ですが、みなさんは、自分の住んでいる土地のことをどれだけご存知ですか?地形、地名の由来、歴史、文化、名産品、生息する動植物のことなどを、訪ねてきた人たちと話すことは、ありますか? 友達、親戚は、どこに住んでいる?  私は、英国に住んで15年弱になります。それ以前の私は、友人や親戚を訪ねても、会って話をすることが目的で、彼らがどのような土地に住んでいるのか、まったく興味がありませんでした。せいぜい住所を調べて、自宅からどうたどり着けるか、名所や名店があれば、たまに行くぐらい。その程度の認識でしかありませんでした。しかし、英国に拠点を移してからは、ある意味自然に、でも半ば強制的に、自分が立っている土地について学ぶようになり、今ではそれが普通になりつつあります。どうしてそのように変化したのか振り返ってみると、確かに異国での生活に慣れるために必要な知識だった、中年になりネオンより自然に目がいくようになった、都会から田舎暮らしを始めたなど、たまたまタイミングが重なったと言えばそうです。しかし、なによりも私が知る英国社会では、自分が住んでいる地域を知っているのは当たり前、普通のことでしょっといった空気があり、それに私が感化されたことが一番の理由なのではないかと思います。 自分だけの地図作り  こちらに住み始めたころは、人を訪ねるたびに、自分の英語力不足もあり、話についていけず置いてけぼりをよく食らいました。みな食事をしながら、お互いの近況報告、政治経済、ゴジップの話と共に、自分の家から半径二キロ圏内の出来事をこと細かく話をしているのです。その土地の天気はこうだ、庭に何が咲いた、家庭菜園に何を植えた、どこそこの森に野生動物が現れた、向こうの丘で珍しい石を見つけた、あそこの教会が修理を始めた、村の誰々さんからこんな昔話を聞いた・・・などなど。この人たちは、何が面白くてこんな話をするんだろう。世界がめちゃくちゃ狭くて、つまんないなぁ〜と笑顔を見せながら思っていたのです。そして、食後に散歩へ行き、同じような話をずーとしながら、時には話題の現場を見せてくれたりします。なんで毎回毎回、同じようなところを飽きずに散歩し、同じような話題ばかり話すんだろう。こんな地味な遊びをする英国人って、倹約家・・・というより貧乏くさい。ハイテク大都会・東京から移り住んできた私は理解できず、ちょっとバカにしていました。しかし、あんなに熱心に話をしているし、聞くほうも楽しんでいるし、喜んで歩いてるし、なんだかよくわからないけれど、みな好きなんだろうなと感じてはいたのです。  その後、英国情報も私の脳にちょっとずつ蓄積されていき、アナログな田舎暮らしにも慣れはじめていきました。そんなある日、毎日行なっていた犬の散歩でのことです。情報溢れる都会とは違い、何の変化も刺激もないと思っていた田舎道で、昨日は蕾だった花が、今日は咲いていることに気づき驚きました。「あれ?毎日同じ道を歩いているのに、毎回変化があったんだ。」諸行無常を、私なりに知る体験でした。どうやら、ガーデニングの仕事の影響もあったのか、街の流行から目の前の動植物へと視点が移っていったのかな・・・。そんなこともあり、半径二キロ圏内トークを、徐々に理解できるようになりました。英国では、食事や散歩をしながら、自分が置かれている環境の話をすることで季節や変化を丁寧に紡ぎとる。つまりそれが彼らの社交なんだろうなと思います。以前は、遠い世界やトレンドばかりを追っていた私でした。しかし、自分の拠点ををまず知り、その知識を元に他の土地を訪ねる。そうすることで、自分だけの3D、場合によっては4Dの世界地図を脳内で組み立てていける面白さを、英国で教えてもらいました。そしてその地図は、トークだけでなく、自分の足で確かめることで初めて完成となるようです。 新たな土地の過去、現在、未来  今年(2018年)の夏に、片田舎のエセックス州から、ド田舎のサマセット州に引っ越しをしました。引越しを終えて、まず最初にしたことは、購入した家の元オーナー家族と我々夫婦ふたりプラス犬の全員で、案内を兼ねて村を一緒に散歩しました。家を売買した関係だけなはずなのに、106年前に建てられた家と彼らの家と村に対する思いを、引き継ぐ儀式のように、私には感じられました。最後に、地元のパブでお互いの未来へ乾杯しました。それは、私の新たな地図作りがスタート!!と、鐘が鳴った瞬間でもあります。今は、愛犬の散歩がてら村を散策しながら、どんな地質、地形なのか。ここの地理がどのように人間社会と結びついたのか。今見えている古い建物がどう建てられ、どうしてそこに建てたのか。どんな野生動植物が生息しているのか。時には、家族や友人たちと一緒に、半径二キロ圏内トークに花を咲かせながら、調査をしている毎日です。 掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。© rambleraruki.com 2022...

国の遺産相続、ややこしや  「遺産相続」と聞いただけで、ややこしや、ややこしや。トラブルの火種、業と業のぶつかり合い、ドロドロした人間模様。サスペンスドラマやワイドショーにもってこいの題材であります。他人事として見ているぶんには楽しいですが、当事者となると、えらいこっちゃ!これは国の遺産レベルでも同じ。次世代に残そうとする者同士、または受け継ぐ者同士でごちゃごちゃと揉めることは、よくあることのようです。この場を守っていきたい熱い気持ちは同じなのに、その方法論が全く違うため、地元民を巻き込んで政治論争へと発展。さらにややこしいやなのです。 ドライストーンウォール(Dry Stone Wall)と呼ばれる石積みの壁に囲まれた牧草地。湖水地方の風景には欠かせないもの  今回取り上げる国の遺産の舞台は、英国のカントリーサイドの代名詞的存在であり、日本人観光客にも大人気のThe Lake District ー 湖水地方です。氷河によって形成された美しい山と湖、独特の石造りの家々、放牧された牛や羊たち。それらが醸し出す牧歌的でノスタルジックな魅力あるこのリゾート地が、なぜか論争の場となっています。それは、2017年ユネスコ世界遺産への登録という、ある人々には大きな希望、ある人々には嬉しくない遺産相続の形となったからです。そんな熱い現場へ、登録直後早速行ってきました。 なぜ、湖水地方は世界文化遺産? [osmap markers="SD4138598631!red;湖水地方" zoom="0"] [osmap_marker color=red] イングランド北西部 湖水地方 ウィンダミア  湖水地方が世界遺産に登録されたというニュースを聞いた時、「なんで今さら世界遺産なんだろう」というのが、正直な私の感想でした。18世紀産業革命初期から今に至るまで、この風光明媚な地は、人々を魅了続けてきました。1951年に国立公園に指定されてからは、さらにその勢いを増し、2017年度の観光客数は、1917万人*1にまで上り、2018年は、2000万までいくとされています。2016年に訪日外国人観光客が2000万人突破したことがニュースになっていましたが、それとほぼ同じぐらいの数が、限られた地域を毎年訪れていることになります。そのためハイシーズンに宿を予約するのは困難で、しかも高い。車の渋滞や駐車場、環境への負担やゴミの問題なども深刻で、地元民の生活への影響が懸念されています。 英ロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース。偉大な詩人、環境保護思想の原点を生み出した人物として、欧米では評価されている。ワーズワース博物館にて  多くの人たちが訪れるということは、想像以上のインパクトを、正負両方面から受けることになります。18世紀から地元では、この正負のバランスをどう保ち、この場を守っていくべきか、常に議論されてきました。湖水地方出身で、英国を代表するロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースは、1835年に出版された"A Guide through the District of the Lakes in the North of England "(湖水地方案内)*2の中で、湖水地方のことを、"a sort of national property, in which every man has a right and interest who has an eye to perceive and a heart to enjoy" ー 見る目と楽しむ心を備えたすべての人が権利と関心を持つ、一種の国民的財産である(小田友弥訳、2010)。ワーズワースは、時代の流れや外からの影響には逆らえずとも、国民的財産であるこの地が持つ美を損なわないよう、みなが努力する必要があると説いています。この一節は、今でも英国の環境保護思想の原点とされており、そこから自然・文化景観保全の概念、ナショナル・トラスト運動、国立公園構想が派生し、世界へと広がっていきました。この国民的財産の考えが巡り巡って、1972年の世界遺産条約に繋がったと言えなくもないわけです。そんな本家本元が、なぜユネスコ世界遺産に登録されることに、そんなに一生懸命になるのか。過去二度失敗し、三度目の正直の今回、ようやく文化遺産として獲得したこのステイタスに何のメリットがあるのか、不明でした。 その名の通り、湖が多く点在しているため、ハイキングやサイクリングだけでなく、ウォータースポーツも人気 グラスミアにあるダブ・コテージ。ワーズワースの代表作『水仙』は、ここで書かれた  そんな疑問を持ちながら、9月末の秋、湖水地方観光ホットスポットのひとつであるウィンダミアの駅に降り立ちました。湖水地方は、「景観設計の発展に重要な影響を与えた、価値感の交流 (登録基準 ii)」、「あるひとつの文化を特徴づけるような土地利用形態 (登録基準 v)」、「顕著な普遍的価値を有する芸術作品、文学的作品 (登録基準 vi)」の三つの基準を満たし、世界文化遺産として登録されました。ざっくり言うと、1)18世紀から続く環境保護思想、2)1000年続く自然と調和する畜産業、3)湖水地方の自然賛美から生まれたロマン主義、この三点の伝統文化が世界遺産として今後保護されるべきと認められたということです。この三点がどのようなものなのか、少しでもヒントが得られればと思い、まずは、ウィリアム・ワーズワースが住んでいたダヴ・コテージ、そして絵本『ピーターラビット』の生みの親であり、湖水地方環境保護活動家でもあったビアトリクス・ポターが晩年住んでいた、ヒルトップに行ってきました。世界中からの観光客で溢れる名所を、なぜわざわざ訪ねたか。湖水地方を深く愛した二人が、それぞれの創作活動する中で、湖水地方をどう捉え、どのようにこの国民的財産(遺産)を残していきたいと考えていたのか、少しでも感じ取れるかもしれないと考えたからです。 二人のレジェンドを訪ねて、答えを探してみた 大雨の中のヒル・トップ。それでも、多くの人たちが訪れていた  天気はあいにくの雨。ハイシーズン最後の週末にもかかわらず、ダブ・コテージ、ヒル・トップ共に人が集まっていて、見学待ちをすることに。ハイシーズン真っ最中だったら、一体どれだけ待つことになるのだろう。考えただけで、ぞっとします。ダブ・コテージは、ワーズワースの作品はもちろん、彼と交流があったロマン派の作家たちの作品保管と研究をしているチャリティー団体、ワーズワース・トラストが、ヒル・トップは、湖水地方で誕生し、ポターも支援者であった英国最大のチャリティー団体、ナショナル・トラストが管理しています。家内のガイドはすべてボランティアが行なっていましたが、皆プロ意識が強く、ジョークを交えながらも二人それぞれの人物の興味深い話を聞かせてくれました。学校の教科書や絵本でしか触れていない、遠くにいるレジェントたちが、私たちと同じように仲間と食べたり、飲んだり、散歩したり、自然を愛でたりしながら、インスピレーションの宝庫であるこの地で創作活動していたことを聞くと、存在がとてもリアルに思えてくるから不思議です。難しいことは理解できませんが、それでも二人の原稿や原画を見ていると、この土地への愛と守りたいという強い気持ちからくる使命感が溢れ出ていました。 決して標高は高くないが、崇高感がある湖水地方の山々  そんな二人の面影を感じ取りながら、家の周辺を3時間ほどぶらぶら歩いていると、なんだか彼らと繋がっているような気分になってきます。雨の中でも湖水地方は、幻想的な空気を織りなし、紅葉した落葉樹が、豊かな色彩を奏でていました。服も靴もびっしょり濡れて不快に感じる体は、この土地が持つ魔力に麻痺させられているのか、ずっと歩いていたい気持ちが抑えられず、足を止めることを忘れていました。確かに"Picturesque Scenery" 「絵になる風景」が、そこにはありました。何気なく感じているこのPicturesque (ピクチャレスク=絵のような)という審美上の理念は、ここで開花したロマン主義が残してくれた遺産です。 放羊は、畜産業?それとも、観光産業?  空、山、緑、水がある湖水地方の風景は、柔らかさと荒々しさが混在していて、どことなく日本の自然美と通ずるものがあります。今まで訪ねた英国の他の地域にはない親しみを感じ、とても新鮮です。いつまでもボーと見ていられる飽きのこない世界。ただ、日本ではお目見えしないものが、ここにはあります。ドライストーンウォール(英国式伝統石積み)で囲まれた牧草地。そこに、牛や羊が放牧されている光景です。英国の典型的な田舎の風景で、日本人が里山に対する郷愁と似たものが、ここにはあります。世界遺産でも、この地方で代々受け継がれてきた、山を生かした畜産業が評価のひとつとされました。ですが、これが問題だと指摘する方々がいます。畜産業なのに、畜産業の体をなしていない。産業としてすでに廃れていて、観光イメージ保持のためだけに、国やEUから援助を受けながら放牧を続けていることが、なぜ世界遺産に値するのか疑問の声が上がったのです。 放羊は、湖水地方になくてはならない存在と考える人が多いようだが、維持するには苦労が尽きない(注:写真の羊は、スワリデールという別の種類。ハードウィックは、撮り逃した。残念!!)  その象徴となるのが、湖水地方原種の羊、ハードウィック・シープ(Herdwick Sheep)です。この地方にしか生息しない希少種で、絶滅寸前であったところを、印税などで財を成したビアトリクス・ポターが、ナショナル・トラスト創立者のひとり、ローンスリー司祭と共に、この羊の保護に力を入れていきました。ハードウィック・シープは、湖水地方の厳しい自然の中でも生き延びることができる性質を持っていますが、逆に成熟するのに時間がかかり、羊毛も固く、激しい価格競争内では採算がとれず、農場から姿を消していきました。それでもこの希少種は、湖水地方の環境にはなくてはならない存在であると考え、ポターとローンスリー司祭の意思を継ぎ、ナショナル・トラストが後ろ盾となり、地元農家に協力する形で、保護活動を進めてきました。その後も、ナショナル・トラストやEUからの助成金を受けながら、グローバル経済、口蹄疫問題などをなんとか乗り越え、飼育されているのが現状です。ここの土地は耕作には向かず、そのために牧畜が発展してきましたが、このハードウィックをはじめ羊を飼う目的が、本来の製品価値より、観光のための景観保護という付加価値の要素がどんどん上回っていったのです。そして最後のひと押しが、世界文化遺産登録だったようです。 迷える子羊、湖水地方  私なりに見たり聞いたりしていくうちに、もしかして、今の湖水地方は、大きな壁にぶち当たっているのかも・・・? 彼らには、自然と人間の関係を時代の流れに押されながらも、より良いバランスを模索してきた豊富な経験とプライドがあります。そんな彼らが、新たな時代の価値観の前で、どちらに舵を切るべきか、もがき続けている。客を増やしたい。経済を活性化させたい。でも、観光資源は破壊したくない。新たな産業を発掘したい。でも、従来の農業も守りたい。便利な暮らしがほしい。でも、自然美を失いたくない。いろいろ欲張りすぎて、前に進まない。そんなどっちつかずの状態が続いている。素人の勘違いかもしれませんが、私にはそう映ります。 ワーズワースは、湖水地方の美を損なうカラマツの大規模植林を嫌っていた。今は、それに代わり北米原産シトカトウヒの植林が行われている。彼から厳しい声が聞こえてきそう  上にあげた羊の例ひとつとっても、そうです。エコロジーへの関心が高まっている今日、放牧を湖水地方の景観のひとつとして、助成金にどっぷり浸かりながら継続していくべきなのか。生産性のない家畜の数を減らし、森林を育てていくことが自然を守ることなのか、世界遺産登録後の現時点でも、議論は続いてます。保守系の新聞が、「英国は農業国だった歴史が長い。湖水地方の畜産業を保護するのに、何の疑問もない」と言えば、リベラル系の新聞が、「世界遺産登録は、放羊を推奨し、湖水地方をビアトリクス・ポターのテーマパークにしようとしている」と意見がぶつかり合い、イングランドの南北経済格差、EU離脱問題まで話が広がっていきます。  また、国民のための自然とレクリエーションの場としての国立公園の位置づけと、自然の中から発展した独自の文化を保護する世界文化遺産の間では、微妙にヴィジョンが異なります。観光やレクリエーションの要素を盛り込みながら、同時に環境も文化も守る。いい塩梅をどうやって保つのか具体的に見えてこないですし、二つの方向性内で解釈の食い違いもあるようです。他にも、観光重視の美しいカントリーサイドに徹っしていくのか。地元民が受ける観光公害や利便性が後回しになるジレンマをどう対処していくのか。緊縮財政やEU離脱による助成金削減をどう補うのか。全国の中でひとり当たりの年収が低い現状をどう打破していくのか。舞台裏では多くの疑問と意見が飛び交い続けています。 ロマン派の画家により、湖水地方の「絵になる風景」が多く描かれた  今回の世界遺産登録は、そんな多くの疑問と意見を消化しきれないまま、一部の力ある人たちで見切り発車させたのではないのかと、勘ぐってしまいます。いずれにせよ、世界遺産になったことは、ひとつのきっかけであり、この地域社会が生き残っていけるか、これからの方向付けが勝負になるように感じます。自然の中で育まれてきた文化が世界的に評価された。しかし、自然と文化が時には対峙してしまうこともあり、うまく調和しながらこの地の魅力を保つことは、難題です。きっと世界遺産に登録された地域どこもが抱える問題なのかもしれません。現地が抱える理想と現実の間で、地域住民や常連客の声を拾い、話し合いを十分に重ねることで、迷いや戸惑いが徐々に消えていき、10年、20年後には壁を乗り越え、進むべき道が示さること期待しながら、湖水地方をあとにしました。その時はきっと、世界にまた新たな波を届けてくれることでしょう。  ウィリアム・ワーズワースやビアトリクス・ポターは、今回の世界遺産登録をどう思うのでしょう。彼らの思う理想の遺産相続とは・・・。今回の訪問では、私の勉強不足もあり、結局答えを見出せませんでした。今後の湖水地方の動きに注目しながら、宿題とさせていただきます。 参照: *1 Tourism facts and figures, Lake District National Park *2 William Wordsworth, A...