ウォーリー・プレイス0

消えた楽園で蘇る花たち ウォーリー・プレイスを訪ねて


夏草や 兵どもが 夢の跡

 言わずと知れた、松尾芭蕉の紀行作品「奥の細道」にでてくる平泉で詠んだ有名な句です。春が始まりかけた三月、英国のとある場所を訪ねた際、ふっとこの句が浮かび上がってきました。この句にまともに向き合ったのは、きっと中学の国語が最後かと・・・。全く違う季節、全く違うシチュエーションの中で、文学に疎い私の頭をよぎったのです。

ウォーリー・プレイス1 特設テントが張られ、水仙祭り化としたウォーリー・プレイス

 春先、クロッカスや水仙が咲き始める頃になると、ガーデニングのクライアントさんたちから、「シノ、ウォーリー・プレイスへは、行ったことある?あそこは、春の球根草花が綺麗で、特に水仙の群集は圧巻だよ。一度見に行ってみるといい。」と以前から言われていました。これはぜひ一度拝見せねばとタイミングを見計らっていると、ちょうどガイドウォークの開催情報が目に飛び込んできました。訪ねるだけではもったいない。説明していただけるなんて、一石二鳥、お買い得!主婦魂に火がついた私は、早速参加してみることにしました。

 ウォーリー・プレイス(Warley Place)は、ロンドンを大きな円で囲んでいる首都高速環状線・M25が通っているエセックス州ブレントウッドにあり、ほぼロンドンと言ってもいいぐらいの栄えた場所に位置します。通勤ラッシュ時には車でごった返すこのエリアに、野生動物保護団体エセックス・ワイルドライフ・トラストの自然保護区として、地元の保存グループと共同で管理されています。

ウォーリー・プレイス

 風はまだ若干冷たいが、柔らかい日差しが心地よい春の週末、これはお花見日和だと、早速片田舎にある自宅から都会へと車を飛ばし、ルンルン気分で入口に向かいました。エセックス・ワイルドライフ・トラストのテントが張られ、パーフレット、本、ハガキなどが売られ、ちょっとした水仙まつりといた様子。人々が次々に敷地内へと入っていきます。黄色の水仙たちがお出迎えのお辞儀をするかのように、頭を垂らして風に揺られいる姿が、すでに遠くからも見えます。まだどんより雲が残っている空の下、黄色の電灯が地を照らし、春のエネルギーが放出されているかのようです。春色に癒された訪問者たちも、どことなく笑顔が溢れ出しています。

ウォーリー・プレイス2

ウォーリー・プレイス4 廃墟となった豪邸跡。白黒写真の左に写っているガラス部屋だった部分
ウォーリー・プレイス3 以前の姿を写真で確認。この建物以外にも、番小屋、小家屋、馬小屋、温室、冷床などがあったが、全て取り壊されている

 ガイドウォークは、10名ぐらいの少人数でスタート。大きな敷地内をぐるっと一周するかたちで、1時間半ほど歩いていきました。そろそろ終わりになりそうなスノードロップ、クロッカスの花々もまだ咲いており、四月末ごろに花が咲くワイルドガーリックは、緑の葉をすでに伸ばし始めています。そして、視野に入りきらないほどの水仙たちが一面を覆い尽くしていました。今まで見たこともない、とんでもない数です。なぜこんなに多くの水仙がここだけ生息しているのか、不思議に思いながら歩き続けていると、突如大きな屋敷だったであろう崩れかけた廃墟が現れます。事情をよく把握せず、春の陽気に誘われて、ただ水仙の群生地見たさに参加した私には、かなりのインパクトで、びっくりしました。しかし、なぜだかこの廃墟と黄金に輝く水仙のコントラストが、とても美しく心を奪われます。まるで、フランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』のワンシーンのよう。そこには、さっきまで感じていた心踊る爽やかな春の空気はなく、ひやっと冷たい空気に、どことなく寂しさが漂っていました。

ウォーリー・プレイス5 今では、動植物が新たな家主となっている

 エセックス・ワイルドライフ・トラストが管理している保護区は、森、草原、湿地帯など、昔から人々が自然資源を得るために上手に管理して来た土地を買取し、野生動植物の住みかとして保護していくのが通常です。しかし、このウォーリー・プレイスは、全く違う歴史があります。そもそもここは、マナーハウス・ウォーリー(The Manor of Warley)として、代々地位のある人たちが暮らした場所だったそうです。しかし1934年、最後に住んでいたエレン・アン・ウィルモット女史の死後、廃墟となり、1938年には建物の崩壊が危ぶまれ取り壊しになりました。その後誰も住ことなく、この土地のオーナーがエセックス・ワイルドライフ・トラストと地元管理グループにリースし、自然保護区として管理する形で現在にいたります。

ウォーリー・プレイス6

エレン・アン・ウィルモット女史 エレン・アン・ウィルモット女史。一時期、ここは彼女の帝国だった。© R G Berkley

 最後の家主であったウィルモット女史は生前、園芸家、そして植物コレクターとして名を馳せていました。プラントハンターに依頼して世界中から珍しい植物を取り寄せ、甥っ子姪っ子たちが遊びにくるたびに球根をそこらへ投げ込ませ、常駐させている100人ほどのガーデナーたちに、次々と植えさせていきました。また、自分の山草コレクションを飾るため、ヨークシャーから取り寄せた巨大な石で峡谷を作らせたり、電気が普及していない時代に温度調節可能な温室と冷床で、園芸種の品種改良や英国では見ない植物を栽培したりと、持てる財産と時間をすべて園芸に注ぎ込みました。そのため、結婚もせず、晩年には財が底をつき、多額の借金を抱えたまま、この世を去ったようです。ガーデニングの端くれとして、これだけの設備とお金をかけた庭を当時私が見せられたら、圧倒されていたことでしょう。まさに、ガーデナードリームの地だった。それが、今では泡のように消え去り、彼女が植えさせた木々や花たちだけが、その当時を思い出させるように、春になると蘇ってくるのです。

ウォーリー・プレイス8 ここを整備しているボランディアによるガイド・ウォーク。自然だけでなく、価値ある建築物跡として管理していくことが大切なようだ
ウォーリー・プレイス7 立派な冷床があった一角は、スノードロップに覆われていた。積み上げられたレンガがかすかに面影を残す

 生い茂った夏草を見て、奥州藤原氏の栄華の儚さを思い、芭蕉がしたためた平泉での句。この名句がもつ無常観と虚しさが、ここウォーリー・プレイスにもありした。お抱えガーデナーたちという兵どもたちが、ウィルモット女史の理想の庭園のためだけに、汗水垂らし戦い続けた。しかし夢の跡なってしまった今は、皮肉にも自然が取って代わり、ここを支配しているのです。

 水仙の花畑から、霞んだ空の向こうに、ロンドンの高層ビルをかすかに見渡すことができます。まるで自然が抱きかかえるかのように、この地を包み込み、都会の喧騒から、そして時の流れから逃れ、秘密の隠れ家として、ひっそりと存在しているウォーリー・プレス。再生の季節である春。湧き上がる新たな生命力と相反して、朽ちていく夢の庭園。水仙が輝ければ輝くほど、残酷にも盛者必衰のことわりをあらわしています。鳥のさえずりが聞こえてくる中、ウィルモット女史の亡霊が、今もさ迷い続けているのです。

ウォーリー・プレイス9

11th March 2017, Sat @ Warley Place, Essex

エセックス・ワイルドライフ・トラスト自然保護区情報:
ウォーリー・プレイス オフィシャルサイト


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